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side.A


インターフォンを押して数秒すると、静かにドアが開く。
そこから顔を出した彼女の髪は、雨に打たれた後の様になっている。
そして、笑顔。いつもの、困った様な笑顔。
「お風呂上がり?」
「うん」
「ごめんね、タイミング悪かったね」
「ううん」
「上がってもいい?」
「うん」
「んじゃ、お邪魔します」
あたしは? うまく笑えてるだろうか。
部屋に進むと、数ヶ月前と何一つ変わらない光景。
今更驚いたりはしないけど。
「ずっと部屋にはおらんかったん?」
「ううん、そんなことないよ」
「……ちゃんとご飯食べとる?」
「う〜ん……どうだろ」
少し痩せた体と、少し伸びた髪。
そして、あの頃と同じ柔らかい空気。
あたしは目一杯空気を吸い込む。
お風呂上がりの心地好い香りがした。
「ねぇ、きて」
「ん?」
「髪、乾かしてあげる」
「あぁ」
ソファに見えたドライヤー。
それを手に取り声をかけると、あたしの横にストンと彼女が座る。
口数は少なくても、伝わってくる彼女の気持ち。
きっと、伝わっているだろうあたしの気持ち。
「伸びたねぇ」
「暫く切ってないから」
ドライヤーの音に負けないように、少し声量をあげる。
靡く前髪が入らぬ様、瞳を閉じて答える彼女の瞼に、キスをする。
ドライヤーのスイッチを切ると、静まり返った室内に、自分の鼓動のリズムを感じた。
穏やかなリズム。
瞼を上げて、柔らかく微笑む彼女。
今度は、その唇にキスをする。
今、ゆっくりと時間が流れているのが分かるよ。
こんなに愛しくて、こんなに幸せ。
それなのに寂しくて、それなのに苦しい。


油断して少し気が緩めば、すぐに涙が流れてしまいそうで。
でもそれだけは絶対にしてはいけないから、我慢する。
代わりに、微笑む。
弱々しくたって、かわいくなくたって構わない。
最後くらいは、って決めたから。
だから今はなにもかも忘れて、あたしだけを見て欲しい。
なにもかも忘れて、あたしだけに全部頂戴。
それをあたしは体中に染み込ませて、あなたの姿を焼き付けて……
この先ずっと、消えない様に。
これから生きていく中で、あなたとの全てを今に全部つめこんで。
もう決して、あなたに甘えてしまわぬ様に。
これからは、自分の選んだ道をしっかり歩んで行ける様に。



side.N


泣いているのか笑っているのか。
簡単には判断できない、そんな表情をした彼女。
明るく振る舞う、憂いを帯びた表情。
穏やかに聞こえても、震えて響く言葉。
今どうであれ、ここに来るまでの彼女がどうであったかは、想像するまでもない安易に分かる事だった。
人一倍泣き虫なくせに。
人一倍寂しがり屋なくせに。
強かな女性の様に振る舞う彼女。
でも、そうだ。これが彼女だ。
包み隠さない素の彼女は、この状態だ。
それなら、あたしがどうすれば良いかなんて簡単だ。
余計な事考えなければ良い。
「久しぶりじゃね」
「あ〜……まぁあたしはテレビとかでちょくちょく見てるからなぁ」
「あ、そっか。それって凄いね」
「うん」
「でもこっちとしては、ちょっと面白くないわ」
「あ、でも……」
「……でも?」
「……やっぱりこうしたい、って思ってたよ」
二度三度重ねた唇を、もう一度重ねる。
彼女のゆるやかにウェーブした髪に手を差し入れ、その小さな頭を両手で支える。
逃がさない。その思いとは裏腹に、すぐに背中に回される彼女の両腕。
彼女と抱き締め合えば、ぴったりと身体に良く馴染む。
「あたしも……うん。そう思っとった」
「うん……」
「ありがとう……嬉しい」
「……うん」
今までで、一番なんじゃないか、ってくらいに落ち着いてる二人。
別に大人になったから、なんてつまりもない味気もない理由ではない。
もったいないから。
余計なことは、したくない言いたくない考えたくない。
だって、もったいないから。
そんな暇はない。
これは、ただ楽しいだけの時間ではないから。
だけど、これ以上ないくらいに想い合わなくちゃいけない時間だから。
これから先の為に。
ずっとずっと、これからうんと先のあたし達の為まで。
「……好き」
「あら、どしたん急に」
「好き」
「ふふ、これは貴重じゃね。良く覚えとかんと。のっちが可愛い顔しとる」
また、自然と重なる唇。
“覚えておかないと”
何気ない単語一つで、押し潰されそうになる。
簡単に全て壊れてしまいそうになる。
そんな繊細な空気。
身体だけでも、隙間がうまれない様に寄せ合う。
伝えるって事は、凄く難しい。
かといって、あたしは言葉じゃうまく言えない。
彼女の都合なんて一切合切知らないふりして、なにもかも奪ってしまいたくなる反面、離せないものもある、卑怯で中途半端な自分。
でもきっと、彼女なら、あ〜ちゃんなら全部分かってるんだろうな。
言葉とか、態度とか、行為とか……
もうさ、全部面倒臭いよ。
できるなら、あたしの心をそっくりそのまま、彼女にさらけ出したい。
今ならなんの、不安もないよ。



side.A


お風呂上がりののっちの身体は、ぽかぽかして抱き心地が好い。
ずっと、こうしていたくなる。
今日という日が、終わらなくてもいい様な気になる。
このまま、時間が止まってしまっても、別に構わないかな……なんて。
そんな事を考えてしまう。
でもこの世界、そうは都合良くできてないから。
いつまでも立ち止まってなんかいられないから。
「……のっち?」
「ん?」
「アンタなにしたん? その手」
「あぁ」
かわいらしい手が、少し荒れていた。
それは、彼女の手には似つかわしくなくて、なんだか痛々しい。
しかも、時期も時期だ。
このタイミングで、この子何をしてたんだ?
まさかおかしな事でもしてないだろうな。
そんな些かの心配を余所に、痛々しい手と対称的な彼女の表情。
困った顔。同時に、照れた顔。
ああ、可愛い。また抱き締めてやりたくなる。
「仕事、始めたんだ」
手を弄りながら、俯き加減。
反面、あたしは凄く嬉しくなった。
「そっか」
「うん……今、洗い物ばっかりやっててさ。水冷たくて」
「なるほど。じゃあ、この手は頑張っとる手なんじゃね。心配して損したわ」
彼女の両手を、あたしの両手でつつみ込む。
やっぱり、世界は動き続けてる。
「あんね、あたしのワガママ聞いてくれる?」
「いいよ」
「あたし、甘えん坊になるから」
「うん」
「これから、うんと甘えたちゃんになるから」
「うん」
「だからのっちは、うんと優しくして」
「わかった」
「そん代わり、あたしに甘えたくなったら言ってもええよ」
顔を上げたのっちと、視線が絡む。
二人でいるっていう事実だけで、いつまでだって笑ってられそう。
二人揃って、なんともだらしない表情。
「そしたら、あたしがうんと優しくしてあげる」
「ほんとにぃ? だったら最初っからそっちのが良いかも」
「それはダメ。最初はあたしの番。のっちに甘えに来たんよ、あたしは」
「そうなの?」
「そうなの」
身体をソファに投げ出して、のっちの膝に頭をのせた。
当たり前みたいに、あたしの髪を撫でる手。
それだけのことで、こんなに気持ち好い。
こんなに、幸せだと思える。


それは、ずっと一緒にはいられなくたって、あたしとのっちだから。
だけど、ふとなにもかも虚しくなって泣きそうになるのも、あたしとのっちだから。


〜続く〜







最終更新:2009年10月22日 21:05