大学のキャンパスはやっぱり広い。今だになんとか室とか言われても場所とか方角はパッとしないし、人が多くて在校生なのか部外者なのか若い先生なのかすれ違う人を判別する事すら出来ない。
そんなのっちも驚く程、今日は大雨。だけど新しいアンプを買ったって情報を入手したので、のっちは愛妻弁当とギターケースを抱えて軽音同好会の部室へと向かう。その途中に、可愛いあの子と出会った。
「あ!のっちー」
「あ〜ちゃん」
「一緒にお弁当食べようよ」
「良いけど、のっちこれから部室行くから部室で食べても良い?」
「うんっ」
あ〜ちゃんとは入学式で隣の席に座った時からの友達だ。こんなに愛情に満ち満ちている女の子って、今時珍しいと思って興味が湧いた。そしてのっちの皆無の社交性をものともせず手を差し伸べてくれた……まぁ簡単に言うと天使。あ〜ちゃんの属性は天使。
彼女といる事で救われた事は数えきれない。物理的にも、精神的にも。けれど深手を負った事も少なくはない。こんなにも女が嫌いな女の子っぽいなんとも人間らしい人間なのに、のっちはやっぱり、彼女の愛情と溢れ出る母性を崇拝していた。
きっとこの子にもこの子なりの悩みはあるんだろうけど、のっちはこの子のそんな弱い部分を避けてきた。神様は、神様。目に見えない力を頼りたがるのが人間の宿命なんだ。簡単に言えば妄想。全て神様の仕業って事にしとけば、人は逃げ出せるって訳。
普通の女の子で間違いないのに、どうしてのっちはこの子をこんなにも大切に思うのか。無くてはならない存在なのか。分からない。分からなくても今日も当たり前みたいに彼女はのっちを「友達」と呼んでくれる。
「のっち、またバンドやるの?」
「さぁ、どうだろうね」
しばらく振りの部室は、のっちが毎日の様に使用していたあの頃より綺麗に整理整頓されていた。当時は机に積み上げられてた資料も、見事に本棚に並べられている。よく見ると五十音順だ。やべぇ。半端ねぇ。
「あ〜ちゃん見てみたいんじゃけど、のっちがライブやってるとこ」
「えー」
「絶対に誘ってくれんかったよね?あれってなんなん、あ〜ちゃんのこと嫌いなん」
「そうじゃなくて、あ〜ちゃんに見られるとなんか嫌だったの」
「他の友達は誘うくせに、なんであ〜ちゃんだけダメなんよ」
「じゃあ今度ライブする時は見に来てよ」
「どこでやるん?」
「日本武道館」
「げほっ」
あ〜ちゃんはむせた。
のっちはそれを見て笑った。あ〜ちゃんは真っ赤な顔。苦しそう。
「もー、鼻からゼリー出るとこじゃったわ」
「あ〜ちゃんお昼ご飯それだけ?」
「うん」
「少なくない?のっちのちょっと分けてあげるよ」
「んーん、いらん、かしゆかがアンタの為に頑張って作ったんじゃけちゃんと食べんさい」
その日のあ〜ちゃんの昼食は、0キロカロリーのゼリーと、サプリメントの錠剤。のっちの昼食は、羊のショーンの二段お弁当箱に、上段は卵焼きと豚のしょうが焼きとサラダ、下段には白ご飯にふりかけ少々。見た目も味もボリュームも完璧な、愛妻弁当だった。
正直言う所、彼女の悩みなんて、のっちからしてみたら塵に等しい。プライドが高いから、のっち以外の前でこんな格好悪い姿を見せたくないと思っているんだろう。彼女を昼休みに見掛ける事は最近めっきり減ったのがその証拠。
のっちになら弱みを見せても良いと思ってくれてるのは嬉しい反面苛立ったのも事実。負けず嫌いだから、この世の中の可愛い女の子はみんなライバルか何かだと思ってんでしょ。そのライバルのリストから追放されたのっちは嬉しいよ。嬉しいけど、格好悪い君の姿を見るのはどうも苦手だ。
のっちの神様が、そんな事で悩んでんじゃねぇよ!
そう怒鳴ってやりたいけれど、のっちはそんなダメな神様を天から引きずり下ろしたいだなんて思ってしまって。彼女の神様になるにはどうしたら良いのか、分かったのだけれどそうするとのっちは人間でいられなくなる。
だから諦めた。のっちは人間のかしゆかと二人、神様の存在を信じて、希望を信じて生きて行くって決めたんだから。神様は、神様でなきゃ困るんだ。これからずっと、死ぬまでずっと。
「遠慮しないで、食べて良いよ」
「うん」
今日のお弁当も美味しい。
ゆかちゃん、今頃何してんのかな。って仕事に決まってんだけどさ。きっと一番強いのはゆかちゃんだ。あの子はのっちよりも、あ〜ちゃんよりも強い人間なんだ。
その強さに惹かれたのかもしれない。あ〜ちゃんの強さは幻、神様と同じ創造の産物に過ぎないのだとしたら。かしゆかのあの強さは、確かに目に見える物だった。
「かしゆか、元気?」
「うん」
「あ〜ちゃんね、ずっとかしゆかに嫌われとると思っとったんよ」
「嫌ってはなかったけど、最初は苦手だったみたいよ、でも今は大好きだから」
「そっか、プレゼント作戦が効いたかな?」
「あはは、かしゆかは物で釣られる様な子じゃないでしょ」
二人が仲良くなれるなんて、ぶっちゃけ思ってなかった。あ〜ちゃんとかしゆかとじゃ、ただ単純にタイプとか相性の問題で。
そんな相反する白と黒の二人を、のっちは大事にしたいっていつも思っているよ。二人がいないと、のっちは生きて行けない自信がある。かしゆかはのっちを見捨てない、あ〜ちゃんはのっちを手放さない。心のどこかでそう信じてる自分がいた。
あ〜ちゃんがこれだけ可愛いのは、全て周囲から受けた愛情とプライドの仕業だとしたら。かしゆかがあれだけ可愛いのは、全て世間への何かしらのコンプレックスと純粋な欲望の仕業だとしたら。
そんな二人が普通、仲良くなれるなんて不思議だな。少なくとものっちという共通点はそれを手伝ってはいるよね。そう思うと自分って何者だよ。謎だ。
「部室に用って、何だったん?」
「新しいアンプがね、部室にあるって言ってたんだけど、ある気配がないというか」
「ふーん、じゃあ無駄足じゃね」
「ちくしょー嘘つきやがったな岸本のデブ」
弁当を食べ終えたのっちは、立ち上がって綺麗になった部室を見回した。あ〜ちゃんも同じ様に立ち上がると、本棚を見て「このバンド知っとる〜」とか言って楽しそうだ。
「あ〜ちゃんは、楽器とか出来るん?」
「ちっちゃい時にピアノ習ってだけど、嫌いだったなー」
「あ、ピアノやってそう」
「けど発表会はピンクのドレスが着れるから好きだったよ」
あ〜ちゃんが手を伸ばしたノートは、見覚えがあった。あの水色のノートは、もしかして、もしかすると。
「何これ、すごーい、歌詞かな?」
のっちは乱暴に、慌てて、あ〜ちゃんの手からそれを奪った。驚いた顔したあ〜ちゃんを余所に、のっちは乱れた呼吸を整える事は出来なかった。
動悸が激しくなってる、手が震えて、目の奥がチカチカ光って。
「のっち?」
「…ご、ごめん…」
「どうしたん、大丈夫?」
「大丈夫…大丈夫だから」
のっちは鞄にそのノートを詰め込んだ。無くしたと思っていた。こんな所にあったなんて。
これはのっちのノートだ。中学生の頃から書きためた幼い自分の黒歴史そのもの。当時の感情なんかを曲に出来たら格好良いじゃん、なんて思って書き始めたものの、一度誤ってクラスの子に見られてしまい、影で変な奴だと噂されてからは楽しかったその行為自体が格好悪く思えて。それでも友達にも親にも言わず黙々と書きためたのがコイツだ。日に焼けて変色した表面に触れると、書いた歌詞を少し思い出した。
「それ、のっちの?」
「…うん」
あ〜ちゃんも言うのかな、キモいって。ダサい歌詞ばっか書いて、メロディーなんかもどれも似た様なのばっかで。
あ〜ちゃん程のナルシストではないけれど、のっちだってプライドくらいある。人に批判されるのは嫌いだ。自分が作った物には少なからずこだわりなんかもある訳だし。そもそも誰にも見せる気なんかなくて自己満足だったんだよ、だから好きに書いたんだよ何が悪い。
窓から差し込む光を背に、あ〜ちゃんは微笑んだ。のっちは言葉を失う。震える手を握られると、動悸はゆっくり治まっていって。
「凄いね、のっちって作詞作曲してるんだ」
「…人前で披露した事はないよ」
「どうして?」
「否定されんのが、怖いから」
「ばーか」
「なんでよ」
「何をしたってこの世の中じゃ否定されるんよ、そんなんいちいち怖がってたら生きていけん」
「分かってるよ、あ〜ちゃんよりはずっと分かってる」
初めてあ〜ちゃんに楯突いた。
楯突いた、なんてそんなつもりで言ったんじゃないけど、あ〜ちゃんはきっとそう思ったに違いない。
「のっちのくせに生意気じゃ」そう言いたくても言えないあ〜ちゃんは、凄く凄く痛々しくて、凄く凄く可愛かった。だってそうだもんね、あ〜ちゃんの一番言われたくない事くらい知ってるよ。プライドの塊みたいなあ〜ちゃんを、ぐっちゃぐちゃにする方法くらい。
「あ〜ちゃん何キロ痩せた?」
「…知らん」
「今のあ〜ちゃんは可愛くないよ、前のが可愛かった」
「そんな事、」
「今のあ〜ちゃんは、見ていて痛いよ」
「なんでそんなこと言うんよ、のっちいつも可愛いって言ってくれるじゃん、なんでいつもみたいに可愛いって言ってくれんのん」
そう言うと、あ〜ちゃんは堪えきれずに泣いてしまった。
神様を泣かせてしまった自分を殺したくなった。また別の神様がいるならのっちを罰してよ。だけど泣き顔は残酷なくらい綺麗で、溜め息が出た。
この子を守りたい、守ってあげたい。のっちはそう願ってしまった。そして、
「あ、虹だ」
曲を作ろうと思った。
◇13:終◇
最終更新:2009年10月22日 21:19