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勇気を出して飛び越えてみたら、爽快感を味わえた。重い荷物を全部放り投げたみたいな、爽快な解放感。


のっちがへし折ったギターはゆかが次の日拾って持って帰った。これって直せるのかな?これだけ見事に折れたらさすがに無理か。
修理が出来たら返さないで弾いてみたいだなんて思った時には、さすがに自分ののっちへの頑固な憧れに絶望した。それは彼女の恋人になれたら満たされる欲望ではないと気付いているはずなのに。

ゆかは変わりたいんだ。
自分を変えるのに一番便利そうなのがのっちなんだと思い込んでるだけなんだ。だから欲しがるんだ。子供みたいな無い物ねだり。こんなんじゃいつまで経っても大人になれる訳ない。




「じゃあ、付き合っちゃうか」

のっちは軽快なテンポでこう言った。半分冗談で、半分本気だったんでしょ。その時のっちの心には確かに当時の彼女が輝いていたはずだ。
のっちに握られた手をゆかは振り払って、嫌だと首を横に振った。涙が零れる目に朝日は痛いくらいにしみる。

「いや」
「なんで嫌なん?好きなんでしょ、のっちの事が」

乱暴に手首を掴まれて、窓に押しつけられる。それは強い力で、拒みたいのに喜びが溢れる正直なゆかの女な部分。女って嫌だな、って最近ようやく気が付いた。

「いや、いやっ」
「好きって言ったじゃん」

押し当てられた唇はカサカサしていた。ゆかのもカサカサで、気持ち良くもなんともない。これがのっちの心なんだと思うと、ゆかは泣きたくなった。あ、もう泣いてんだった。
のっちの唾液を飲み込むと、その手はゆかのスカートの中をまさぐる。ゆかは濡れていた。弱りきったのっちに興奮していた。守ってあげたいだとか、慰めてあげたいだなんてがらにもない事を考えた。ゆかを慰めてくれる道具としてしかのっちを見てなかったのに。


こんなのは嫌だ。
これ以上弱い女になりたくないよ。元はと言うと、のっちに似合う女になりたいと思ってただけなんだから。こうなりたかった訳じゃない。だけどそれは弱いのっちを避ける為の理由でしかなくて。つまりそんなゆかは、強くなれる訳なんかなくて。


歯を食い縛って、ゆかは弱いのっちを全身で感じた。傷付けられたなんて思っちゃいない、我慢する事でのっちの弱い部分を受け入れるんだ。憧れだとかそんなちっぽけな衝動を捨てて、人間らしい彼女を見つめ直す為に。
のっちは人間の女の子なんだって、そんな今更な事を思い出してゆかはまだ泣いていた。





それから二週間後、バイトから帰った家の前にはのっちがいた。新しいギターケースを抱えて、少し痩せたその頬にはちょっぴり動揺。のっちの弱い部分を感じたゆかは、あれから音沙汰なくても、また近いうちに出会える気がしていたから。
彼女とヨリを戻そうが別れようが関係なく、ゆかは今自分のやるべき事が何なのか、やっと考え出す為の準備が整ったんだから。憧れなんて感情は捨てた。弱いのっちの為に何が出来るか、それを考えたら今は夜も眠れない。

「由里子と別れたよ」
「そっか」
「あの男と付き合うんだってさ」
「ふーん」
「反応うっす」
「だって由里ちゃんの事、全然知らないもん、どんな子かも分かんないし、てか興味ない」
「あら酷い」
「上がってく?まだだったらご飯食べてきなよ」
「お、やった、気が利くねぇ」

あんな事をした後で、ゆかはのっちに対してあの頃みたいなときめきなんかは無くて。幻滅、なのかもしれない。要は完璧に見えたのっちも所詮は普通の人間だったって事で。
何を思ってたんだろ、のっちに何を求めてたんだろ。この心境の変化こそが、ゆかの求めていた「変わる」って事なのかもしれない。のっちはあの日、ゆかにしたベランダでの酷い事は一切口にしない。負い目を感じてくれてるのだと心地悪さで実感出来ただけで良しとする。

「のっちのギターじゃん、これ拾ってきたの?」
「あー…うん、」
「捨てりゃ良いのに」
「今度捨てるよ」
「あ、そういや昨日新しいギター買ったんだよ…じゃじゃーん」
「へーかっこいいじゃん」
「一目惚れしちゃった、音も前のより良いし」

聞きたい事はたくさんあった。だけど聞いた所で好奇心しか満たされない事は分かっていたし。
それ以上に、のっちの事はかなり知ったつもりだから、今度はゆかの事を知って欲しい、だなんて口が裂けても言えないんだけど。


「またパスタで良い?」
「うん、なんでも良い」

ゆかはのっちの自由を羨ましく思ってた。だけどそれは違くて、のっちは自由の中でもがき苦しんでいる様に今は見える。先の見えない自由が、恐怖でしかないんでしょ。
めちゃくちゃ簡単に言えば、寂しがり屋で甘えん坊なんだよね。どうして良いか分かんなくて目的も見つからない所なんか、ゆか達そっくりだよ。でも考えようとしてるだけ、ゆかのがしっかりしてるかな。


「ねぇ」

のっちに背後から抱き締められてるのだと気が付くまでには少し時間がかかった。ほら、やっぱり甘えん坊じゃん。のっちの鼓動が伝わって、ゆかは呼吸の仕方を忘れた。

「のっちって、もしかして誰からも必要とされてないのかな?」

その明るいトーンとは対照的に、のっちの手にこめる力は強かった。彼女のこんなにも惨めな弱音を聞いて、あの日ベランダで感じた体温を思い出す。

ゆかは振り返って、その体を抱き締めた。強く強く抱き締めて。

「ゆかは必要としてる」
「こんなに弱いのっちでも?」
「のっちは弱いままで良い、ゆかが守ってあげるから」


のっちは声を出さずに泣いた。
守ってあげるだなんて言って、ゆかはこの美人の弱みに付け込んで一生飼い殺してやるんだ、なんて。
こうでもしなきゃ見出だせない自分の存在価値。結論から言うと、ゆかとのっちは、今の社会に向いていないって事。





「なんか元気出たわ、ありがとね」

ご飯を食べてすぐに、のっちはそう言って帰る支度を始めた。ゆかは見送る為に立ち上がる。
座ってスニーカーの紐を結ぶ後ろ姿に、ゆかは笑顔で言った。

「ゆか達、付き合ったら意外とうまく行くかもね」
「そだね、のっちもそう思うよ」
「楽しいだろうな」
「かしゆか可愛いからな、身が保たんくなりそ」
「どーゆー意味よ」
「のっちの愛情表現、うっぜーよ?」
「へーどんな?」
「かしゆか可愛いーかしゆか大好きーって言いまくると思う、それこそかしゆかが前に付き合ってたキモいメールしてくる男みたいな」
「想像できんわ」
「まぁ、のっちはメールより電話派」
「てかさぁ、ゆかのっちの番号もアドも知らないんだけど教えてよ」
「あ、今携帯ねぇや、また今度で良い?」
「うん分かった」

それだけ話すとようやくのっちは靴ひもを結び終えてゆっくり立ち上がった。凄く近い距離で目が合って、お互いなんだか恥ずかしくなって笑った。
分かってたはずだ。こんな不器用な二人が付き合った所で何かが変わる事なんて有り得ない事くらい。だけどそれは、神頼みする人間の意味不明な行動と同じ。目に見えない、存在するかも分からない希望の光を信じていたいだけ。ゆかとのっちを結ぶ見えない糸を、信じたいだけなんだ。

ゆかはもう、この子の為なら今の自分を犠牲にする事くらい容易く思えた。この子の為だとか言って、全ては自分の為な訳だけど。


「のっち思ったんだけどさ」
「うん」
「かしゆかって、ただモンじゃねぇな」
「は?」
「じゃあ、おやすみ」
「はぁ〜?」

バタバタと外に飛び出していくのっちの耳はなぜか赤かった。可愛い、意味分かんない、なんなの今の小学生の男子みたいなの。今すぐ走って追い掛けて取っ捕まえてやりたかったけど、ゆかは一歩も動けず。
ベランダから走り去るのっちの車を見下ろして、高鳴る鼓動に動揺を隠しきれない。


ゆかは確信した。
のっちとゆかは、恋人同士になるのだと。
のっちとならこの異国みたいな地でも幸せを感じられる気がする。右も左も分からないけど、二人でならうまく行きそう。全部ただの憶測にすぎないのだけれど、ゆかはそれを感じ取ったんだ。

出会うべくして出会った。
運命だなんてロマンチックな響きは苦手だけど、もし一言でいうならそれが一番単純明快。のっちはゆかの運命の人だ。絶対そう。


「…ただモンじゃねぇな」




◇0G:終◇





最終更新:2009年10月22日 22:05