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ある日の昼休み。
大学の友人から、近くの自然公園で小さな祭をやるらしいことを小耳に挟んだ。

夏も終わり秋が深まる長月の下旬。
上京して6年ほど経つが、そのような祭の存在など全く知らなかった。
大抵の祭といえば夏の間に終わってしまうものだが、この時期にやるなんて珍しいなと思いつつ、行ってみようと思った。
誘うのは大学の友人でもよいが、今週末ということで大抵の人はもう予定を立てているかもしれなかった。
だから綾香は「友達がいない」故に予定もないだろう”彼女”を誘った。

彼女の答えは、二つ返事でOKだった。


当日、久しぶりの休みを楽しもうと、化粧、髪、服装を入念に支度して、秋晴れの中颯爽と家のドアを開けた。

「いってきます」

お気に入りの音楽プレイヤーにイヤホンを繋げ、耳へ押し込む。
西には橙色の綺麗な夕暮れが広がっていた。
その夕日の眩しさを手で遮りながら、最寄の駅へと足を急がせる。

秋の装いを楽しもうと、重ね着をして少し暖かい格好で出かけた。
ここ最近の気候を考えると、昼は暖かくても夜になればひどく冷え込むに違いなかった。

最近仕事や学校のことで諸々悩みを抱えていた綾香にとって、今日は待ちに待った楽しみの日なのだ。
すぐには解決しない悩みや問題もあるけれど、今日くらいはそれらを忘れて羽目を外して、たくさん遊んでやろうという心意気で来た。
少々出発が早すぎたらしく、待ち合わせの30分も前に到着してしまった。



初秋になると日の入りも早く、待ち合わせ場所の自然公園に着く頃には美しい夕日は身を沈めて、周囲はもう薄暗くなり始めていた。
公園内のレトロな意匠の街灯は、すでにオレンジ色の灯りを点していた。
その街灯の間には昔ながらの赤提灯が吊り下げられており、いっそう祭の雰囲気を醸し出している。

駅からこの祭会場に向かう道のりで、綾香と同じように祭に出かけるであろう若者や夫婦、家族をたくさん見かけた。
その目的地ともなれば人がごった返しの状態で、普段は犬の散歩にしか使われないような自然公園は、焼き鳥の炭火の煙や匂いが立ち込め、がやがやと賑わいを見せているのだった。

綾香は幟が林のように立つ公園入口で相手を待った。
いつも彼女は待ち合わせ時間ぎりぎりに来るから、きっと今回も2,3分前とかにやってくるだろうと、待ち人の顔を思い浮かべてふっと微笑んだ。
音楽プレイヤーは流行の最近お気に入りのラブソングを奏でていた。


待って5分が過ぎようとした頃、携帯電話が震えた。
画面を見ると着信は彩乃であった。
彩乃からの電話なんて滅多にないのだが——何か緊急事態でも起こったのだろうか。
一抹の不安を消し去って、電話に出る。

「あっ、あ〜ちゃん?」
「ほーよ。どしたん。」
「——あのー、えっとね…。なんていうか、」
「なんよ歯切れ悪いねぇ。はっきりいいんさいや。」
「あの…ごめん!」
「え…」

相手が言い放ったたった3文字の言葉に、綾香は言葉を詰まらせた。

「ほんっとごめん、あ〜ちゃん。どうしても外せない用事できちゃって…今日行けない。ごめんね。」

電話の向こうの人は何を言っているのだろう、という錯覚さえ覚えた。
その言葉は一番聞きたくなかった。
「もうすぐ着くから」「ちょっと遅れる」とか、そういう言葉だと思い私は通話ボタンを押したのだ。
そんな事実認めたくなかった。
電話に出なければ現実のものにならなかったかもしれないというありえない仮説さえよぎった。

絶対に彼女は待ち合わせに来るという前提でいた綾香の期待は、一気に崩れ去ったのである。

——外せない用事ってなに?それは私より大事なことなの?

してはいけない嫉妬が心をじわじわと支配する。
こみ上げてくる悲しみと、どうしようもない寂しさが綾香の口を鈍らせた。

「——…あ…そっか…。しかたないね。うん。わかった。…また今度。」

当たり障りのない軒並みの言葉を並べることしかできない。
表現し難い虚脱感が身体を襲った。

——楽しみに、してたのに。



自分でもわからない空しさに、綾香はへたり込みそうになった。

周囲の雑踏が、かろうじて自分を現実に引き止めてくれていた。
一方で、楽しそうな談笑の声が、耳障りにも聞こえる。
どこからか大音量で流れてくるひょうきんな祭囃子が、綾香の耳を燻らせた。

急に風が冷たく感じた。いつの間にか空には雲に隠れた下限の月が浮かんでいた。
寒気を覚えながら、綾香は電話を切り、ため息をついた。
その息と一緒に秋風に乗ってどこかに消えてしまいたくなる。
耳から外していたイヤホンからはシャンシャンと耳障りな音が聞こえるだけだった。


呆然と、身体の向きを変えたときだった。

横から視界に突然侵入する人影。

「わあ」

悄然とする綾香の目の前に、突如現れたのは、

「の…っち…」

目を疑った。

綾香は思わず右手で持っていた携帯電話を落としかけた。
現れるはずがないと思っていたその人は、

「えへへ、びっくりした?」

してやったり顔で、にやにやと満面の笑みで綾香を見つめている。

「普通に来るんじゃおもしろくないかな〜って思って…」

「ばか!!!」

「へ…」



綾香の突然の大声に、溢れかえる人々の何人かが驚いてこちらのほうを振り向いた。
綾香の笑顔を見られると思っていた彩乃は、信じられないという表情で立ち尽くした。

「ばか、ばかぁ、のっちのばか!」

連続で彩乃を罵倒し続ける綾香の姿に、思わず彩乃はパニックになってしまった。
次第に綾香の目には涙さえ浮かび始めていた。
その様子を見て、彩乃は大慌てで綾香をなだめる。

「ああああああ、あ、ああ、あ〜ちゃん?え、あ、あの、ご、ごめん、えっと、とりあえずさ、あっち…行こ?」

まさかこんなにことになると思いもしていなかった彩乃は、とりあえず突き刺さる周囲の視線から逃れたい思いで、綾香を落ち着けるため人気の無い並木道の脇へと連れて行った。
途中、両手を添えた肩は、洟をすするたびに小さく震えていた。
「えらいことになった」と彼女は内心叫んでいた。


公園の並木道はベンチも何も無い、殺風景なものだった。
街灯もぽつぽつと点在するのみで、その灯りには羽虫がたくさんたかっている。
祭の出店の食べがらやゴミが散乱していて、その景観をさらに損ねていた。
逆にいえば、そのゴミが人がよく通るという証を示し、普段ならば女性が歩くには危険であろうこの夜道を多少は安全なものにしていた。
よく見れば遠くのほうに、祭に遊びに来たであろう若い男女が何組か腰を下ろして談笑していた。

比較的綺麗そうな縁石を探す。
彩乃はバッグの中からハンカチを取り出して、縁石に敷いてそこに綾香を座らせた。



「あの…ごめん。」

とにかく申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
綾香が泣いた理由がわからない故、謝ることしかできなかった。
自分の軽い悪戯心で、綾香を泣かせてしまったことをひどく後悔した。

きっとこの日を楽しみにしてきただろうに、こんなことになってしまってはこの先にあったはずの楽しい時間は訪れるのだろうかと、次々と不安が襲う。

綾香はなんとか泣くのを止めようと努めているように見えた。
何度も洟をすすって、ぐしゃぐしゃになった顔に流れる涙を拭っていた。

「ごめんね、なんでこんなことで泣いてんだろう。」

自嘲するように笑いながら、目頭を押さえていた。
気付いてハンカチを渡そうかと思ったが、生憎一枚しか持っていなかったそれは今綾香の下にあるため、彩乃はバッグから街頭で貰ったらしいくしゃくしゃのポケットティッシュを一枚取り出して渡した。

「いじわるなんだか優しいんだかわかんない。」

その言葉の意味を彩乃は理解できず、綾香の一挙一投足、一言一句に動揺し、ただ困り果てた顔で綾香を覗き込むだけだった。
綾香はティッシュで顔を拭った。しわだらけのティッシュはいつも彩乃がつけている香水の香りがほのかにした。

「あのね、私ね、今日のことすっごい楽しみにしとったん。最近いろいろ悩んでたから。今日のためにがんばってたんよ。それなんにのっちがドタキャンするもんじゃけぇ、すっごい悲しくなったん。
私なんか最近変でさ、すごいネガティブでね、のっちがあ〜ちゃんと遊ぶの嫌なんかなって、そんなこと考えちゃったの。悲しくなって思わず涙目なっちゃってね、そんなときにあんなふざけてのっち出てくるんじゃけぇ、馬鹿っていいたくもなるんよ。」

大分落ち着いたのか、涙声ながらも自分の気持ちを正直に綾香は話した。
途中笑顔を含める余裕もできたようで、彩乃は少し安心した。
脇に置いたポケットティッシュをまた一枚取って、洟を思いきりかんだ。



「そっか…。ごめん。」

綾香の言う「悩み」については気にならないわけではない。
自分でよければ相談に乗りたいくらいだが、今は触れるべきではないと思い、謝罪の言葉のみを伝えた。

「もう謝らんでええよ。」

いつもの笑顔を見せようとする綾香の声は、まだ元気があるとはいえない。
すっかりしょんぼりとした様子の彩乃を見て、今度は綾香が焦った。

「のっち、あ〜ちゃんを楽しませようとしてくれたんじゃろ?それを私が勝手に泣いちゃったんじゃけぇ、のっち悪くないよ。泣いたのは、のっちが来てくれたっていう嬉しさもはいってたから。」
「あ〜ちゃぁん…。」

すっかり見慣れたハの字眉で、綾香にすがるように呟いた。

「でも許さないからね。今日は全部のっちのオゴりで。」
「えっ、」

ぴょんと軽い動きで立ち上がった綾香を、思わず彩乃は見上げる。
ハンカチを拾い上げて埃を払うと綺麗に畳む。

「女の子泣かせるくらいの悪戯したかと思えばハンカチとかティッシュとか無駄に優しいし、ずるいよ。」

今度は綾香がいたずらっ子のようににかっと笑って見せた。




それからというもの綾香はいつもの調子を取り戻し、彩乃をさんざん出店に連れまわした。
たこ焼き、チキンステーキ、焼きそば、りんご飴、チョコバナナ、たいやき、ラムネといった、祭の代表的なメニューはほとんど網羅した。
これでもかと悪戯の仕返しをするように綾香があれこれと買って、食べ残しの処理は彩乃。
合間には射的や金魚すくい、くじ引きなどの祭固有の娯楽にも興じた。
いるのかいらないのか微妙な景品をいくつか入手したところで、満足感を得ることもできた。

そろそろ彩乃の胃袋が悲鳴を上げたころ、綾香は最後に夏の風物詩を選んだ。
もう祭は終焉に近いらしい、ぽつぽつと帰る人々が目に付く。
いくつかの店ももう店じまいを始めようとしていた。

「最後にかき氷。のっち食べる?」
「…私はいい。もうお腹無理。てか身体冷えるよ。大丈夫?」
「のっちにくっついとったらあったかいけぇ大丈夫。」

彩乃の腕に自分の腕を絡ませて、綾香は近くにあった店じまい間際のかき氷屋へ向かった。

「こんばんは。遅くにすいません。イチゴ1つお願いします。」
「あらまあ、お若いお嬢さんおふたりがこんな時間までデート?」
「そうなんですー。最後にかき氷でシメようかなって。」
「ありがとうね。もう最後だし、大盛りにしてあげる。練乳もつけちゃおうか。」

そういって愛想の良い店の中年女性は、製氷機械からこぼれんばかりの氷を注ぎ、たっぷりのイチゴのシロップと練乳をかけてくれた。
軽い会話を交わし、「どうもありがとうございます」と最後に会釈をし、笑顔で店を後にした。
綾香の人懐っこさはどんなところでも出るらしい。
そんな自分には無い彼女の魅力を、改めて良いと感じた。

——彼女のこういうところに惹かれて、私はここまでこれたし、彼女のことを好きなんだ。
こういう日常の何気ない瞬間に、それを痛感する。

山盛りのかき氷を持って先ほどの並木道へと向かった。
さすがに祭も終わるこの時間になると、帰路につく人々の姿が目立つ。
その通り道より少し遠ざかった裏道の縁石に二人は腰掛けた。



「まさに後の祭りだねー。」
「うん。」

人々の姿を遠めに眺めながら、綾香はかき氷をスプーンストローでサクサクとつついてから、口に運ぶ。
練乳の甘さといちごの甘酸っぱさが混ざって、思わず顔が綻ぶ。
綾乃はそんな綾香をじっと見つめて、同じように微笑んだ。

かき氷を食べる手を止めて、綾香は地面を見つめたまま言った。

「のっち、楽しかった?」
「なにが?」
「今日。」
「うん、当たり前じゃん。あ〜ちゃんと一緒で楽しくないわけないじゃん。」
「…ありがと。」

それで、なんとなく会話が途切れた。
ずっと鳴り響いていた祭囃子も今はもう聞こえない。
草むらのどこかで歌うコオロギの声だけが響いた。

「——あ〜ちゃんは?…楽しくなかった?」
「んーん。楽しいに決まってるじゃん。」
「…じゃあもう怒ってない?」
「…んーん。怒ってる。」
「えっ」
「待ち合わせのことじゃないよ。もっと楽しみたいのに、のっちがそうしてくれない。」

真顔で彩乃の瞳を真っ直ぐに見つめる綾香の視線が恥ずかしくて、彩乃はつい目を逸らした。
きっと今の顔はお酒を飲んだとき以上に真っ赤だろうなと、自分でも分かった。

彼女が今言った言葉の意味はわからない。
待ち合わせ以外で怒ることなんてあっただろうか・・・楽しむこと?
懸命に思惟をめぐらすが、思い当たることはない。
どうも今日の綾香は回りくどい言い回しをする。



「もう、ここまで言ったら気付かないかなぁ。」

半ば呆れ気味でため息をつく綾香。
彩乃は何のことやらさっぱりわからない。
そんな彩乃の鈍感さを笑うように、綾香はいつもの笑顔に戻った。

「食べる?」

かき氷を指して、綾香は尋ねる。

「あ、うん」

スプーンストローに、今まで食べていた一口よりもずいぶん多い一口を掬うと、それを自分の口に入れた。

彩乃がその行動に疑問符を浮かべるのも束の間、目の前に綾香の顔があった。

「ぇっ…」

驚きの声を出す間もなく、彩乃の唇に綾香の唇が触れていた。

それを認識した直後、綾香の舌が入り込み、それと同時に氷も一緒に口の中へ運ばれてきた。
柔らかな唇の温かさと氷の冷たさの奇妙な温度差を感じるが、絡み合う舌の温もりで、氷はすぐに溶けて二人の唇を潤した。

突然のことでショートしかけの脳が、時折唇の隙間からこぼれて胸元に冷たい氷が落ちる度、これが現実だという事を教えてくれる。
時間が経つにつれて多くなる水分を飲み込もうと唾を飲むと、イチゴの酸味が喉を通った。

「んっ…ぁ」

呼吸を許さないほどに、綾香は彩乃の口を何度も塞ぐ。
彩乃の顔は熱を帯びて、頭も自分のものではないかのように沸騰していた。

粘液が絡み合う生々しい音が聴覚を、漏れる息がお互いの頬を、漏れる声がお互いの深いところを刺激する。
心臓の鼓動が相手に聞こえてしまいそうなほど、心臓はバクバクと激しく動いていた。

息が苦しくなった頃、綾香が唇を離すと、混ざり合った唾液が糸を引いた。



あまりの驚きと多分の快感に言葉を失っている彩乃に、綾香は恥じらった笑顔で尋ねる。

「…おいしい?」

唇がぼうっと痺れてとっさに言葉が出ない。
そんな綾乃を、綾香は自分の方に抱き寄せた。

「のっちかわいいなぁー。大好き。」

抱き締められながら頭を撫でられて、彩乃は何がどうなっているんだか混乱し始めた。
でも包み込まれた綾香の身体の温もりと、馴染みのある彼女の香りが心地よくて、そのまま身を預けた。

——理性とか理屈とか理由なんてどうでもいい。こうしている瞬間が幸せなら。

彩乃は目を瞑って温もりを噛み締めた。
ふくよかな感触の中、綾香がずっと髪をすいたり、頭を撫でているのがわかった。

何分経ったのかはわからないが、しばらくの時間が過ぎた。
綾香がおもむろに口を開いた。

「疲れたね。」
「あ〜ちゃんのせいだよ。あ〜ちゃんのほうがよっぽどずるいや。」
「のっちが最初にあんなことするから。全部お返し。」

「…さっきのも?」
「…鈍感な彩乃ちゃんをエスコートしてあげたの。」
「…ありがとうございます、王子様。」
「いっつもはのっちが王子様みたいなのにね。」
「なんか…恥ずかしい。」

照れ笑いをして、顔を隠すように綾香の胸に顔を埋めた。
綾香が叩きながら何かを叫んでいるけど、聞こえないふりをした。



自分でも気持ち悪いくらいにやけている。
綾香から見えないのをいいことに、彩乃は自分だけに許されたこの幸福を存分に味わった。

綾香も一向にどけない彩乃をみて諦めたらしい。
結構な力で叩いていた手をそのままのっちの背中に回した。



「あ、今日、のっちのうちに泊まっていい?」

思い出したように綾香が言った。
顔を上げた彩乃の先にあった綾香の顔は、どうやっても断れない破壊力をもっていた。

「…うん。じゃあ今度はあ〜ちゃんを食べ」

「あ〜ちゃんを」の時点で綾香が勢い良く立ち上がって、彩乃の身体は重力に従って縁石にぶつかった。

「いたっ!ひど…ちょっ、ま、冗談だからっ」

慌てて身体を起こして、去ろうとする綾香を引き止める。

「のっちのうそつき。お腹いっぱいじゃなかったのっ」
「別腹だよ。あ〜ちゃんならいくら食べても全然イケる。」
「……」

また身体を彩乃と反対の向きに変えて歩き出した。

「ごめんなさい!今のはのっち変態すぎでした。」
「変態なんはいつもじゃろ。」

彩乃が小走りで綾香に追いつくと、どちらからともなく二人は手を繋いで、彩乃宅への道を歩き出した。




おわり





最終更新:2009年10月22日 22:43