好きです
確かにそう書かれている。これで見返すのはきっと50回目くらい。何度も書き直したのか消した跡が重なっていて、指でなぞるとざらざらした。
「あ〜ちゃん、ここにいたの」
強い風が吹いて髪が舞い上がる。視線の先には可愛いあの子。
文化祭の準備に追われてるのっちはジャージ姿でなんともボーイッシュ。クラスの露店の看板が完成しないって昨日嘆いていたのを思い出した。計画性がないからだと指摘してやると、下唇を突き出して眉毛をハにして「だってさー」とお決まりの言い訳。
「委員長のなんとかさんが探してたよ」
あ〜ちゃんは黙って立ち上がって、その紙をポケットに押し込んだ。青い空が似合う爽やかなショートカットの美少女は首を傾げてこっちを見る。
その大きな瞳に一瞬でも映り込めたらなんて祈ってる女の子はこの学校にはたくさんいる訳だ。それを思うと少しだけ贅沢な気分になって、そして少しだけ背中がむず痒くなる。
「あ〜ちゃん、今の紙、何?」
「のっちには関係ないけぇ」
「…そう」
寂しそうな顔をするのっちを見つめる、それだけでのっちの頬はほんのり赤く染まってく。
「手ぇ出して」
「手…?」
「あげる」
その紙を渡して、あ〜ちゃんはのっちをそこに残して立ち去る。
この辺りで一番空に近い場所、のっちがあ〜ちゃんとかしゆかだけに教えてくれたこの場所に、また一つ秘密が増えた瞬間。
ゆっくりとしたテンポを刻んで階段を降りていく。一つ、一つ、紺色のソックスが少し下がって、それを踊り場で直した時に頭上から降ってくるあの声に顔を上げる。
「あ〜ちゃん!」
さっきよりも赤いその頬は、逆光でよく見えないけれど。
四角く型取られた眩しい空の色。何度も何度もその口で呼ばれた名前。あ〜ちゃんの好きなその可愛い顔が、全然見えなくてもどかしいよ。
「これって…」
「だからあげるってば」
「…くれるん?」
うん、って頷いて、空に背を向けた。
ありがとうって聞こえた気がした。だけどきっとそれは空耳。
「あ」
屋上への階段の途中、誰かさんが天使と崇めるあの子とバッタリ。あ、ゆかちゃん、と短く呟いてすぐに仕事があるからと風の様に駆けて行ってしまった。
唇の動き一つで分かるよ。
「あ、」
「やっぱりここにおった、吉高さんがキレてたよ、看板早く完成させろって」
「うわーマジか」
「だから早く行きなよ」
「…あとちょっと休憩したら行く」
瞬き一つで分かるよ。
のっちの手の中の不自然な原因がそうさせたんだって事くらい。ため息を吐いて、のっちはその場に寝転んだ。ゆかはその隣に腰を下ろして同じ様に空を見上げる。
この辺りで一番空に近いこの場所は、のっちが以前あ〜ちゃんとゆかにだけ教えてくれた秘密の場所。のっちが大好きなこの場所で、泣き虫なあ〜ちゃんの百分の一くらいしか泣かないこの子は何度か泣いている。
「……」
「また泣くんか…?」
「泣かん」
そう言って顔を両手で隠して、強く唇を結んだ。鼻の穴がピクッと何度か動く。その仕草が可愛くて面白くて、ゆかはばれない様に空に向けてこっそり笑った。
するとのっちは突然起き上がって、真っ赤な目でこっちを見た。ポケットから取り出したしわくちゃになった紙をゆかに差し出す。
「これ、あげる」
「えーいらん」
「受け取ってよぉ」
「どうせゴミじゃろ、自分で捨てぇや」
「ゴミじゃないもん」
頑固なのっちが可愛い。
今にも声を出して泣きそうなこの子にこれ以上意地悪したらさすがにゆかもイジメっ子になっちゃうなと思って、静かにそれを受け取った。
その中には「好きです」って一言だけ書かれてる。何度も書き直したのか、文字の部分だけゴツゴツしていてとてもじゃないけど綺麗とは言い難い。だけどウザイくらいに気持ちだけは籠もってた。
「で、今日は何子ちゃんに貰ったの?このラブレター」
「のち子ちゃん」
「はあ?」
こんな場所で、のっちはモテモテで、告白なんて結構されてるらしいのだけれど。それにしても今時ラブレターって笑えるな、愛しく感じちゃう。
のっちの意味有るのか無いのか分かんない発言を若干真に受けつつ、ゆかは立ち上がった。
「これ、いらんの?」
「うん」
「捨てとくよ?」
「うん」
それからのっちは「うあー」って怪獣みたいに叫びながら空に数発パンチをかました。たまにやるのっちの訳分かんない行動。
子供みたい。好きだなぁ。
「よーし、看板作ろっと」
「早よ色塗りせんと間に合わんよ」
「間に合わせるしっ、のっちやれば出来る子だってあ〜ちゃんが言ってたもん」
「はいはい」
鼻息を荒くして扉に消えていく背中を見送った。
ゆかも行かなきゃな。
そう思ってもなかなか立ち上がれない。この紙切れ、どうしようかな。捨てといてって言ってたし。
「……」
屋上から紙飛行機を飛ばす、なんて青春映画、昔見たかも。懐かしいな。折り紙もまた、懐かしい。
「よし」
久しぶりに折った紙飛行機は、思ったより綺麗な仕上がり。
大空に向けて放とうとした時、扉が勢い良く開いて。
そこには息を切らしたのっちがいた。
「やっぱり、それ、返して」
ほら、やっぱり大事な物なんじゃん。のっちはさっきより荒い鼻息でゆかの手からそれを奪い取る。
びっくりしてふらつくゆかなんかお構い無しに、のっちは紙飛行機をくしゃっと握り締めて心底ほっとした表情。風に飛ばされてしまわないように、強く強くのっちはそれを握り締める。ゆかが一生懸命折ったのに。
「そんなに大事な物なの」
「…うん」
あ〜ちゃんがくれたけぇ、
そう言うのっちは光を受けて眩しくて、ゆかは直視する事が出来なかった。
フェンスに指を絡めて下を見下ろす。生徒玄関のアーチは徐々に完成に近づいていって。そこにあ〜ちゃんの姿を見つけた。
委員長のなんとかさんと力を合わせて大きな箱を運んでいる。何を話しているのか楽しそうに笑いながら。それをゆかと同じように見下ろして、のっちは優しい目をした。
「さてと、ゆかもそろそろ行かなきゃな」
「仕事あるの?」
「生徒会の幹部はめちゃくちゃ忙しいの、今日中にアウトドアステージ完成させて、インドア企画のタイムテーブルの見直しとライブのリハにも立ち会って…」
「分かった、分かりましたよ死ぬ程忙しいんだって事は!」
のっちは耳を塞いでゆかから素早く距離を取った。化け物を見るみたいな目でゆかを見る。失礼な子。
学校に泊まりたいくらい忙しいんだってば。愚痴を聞いて欲しい訳じゃないけど、ちょっとくらい優しくしてくれたって良いじゃんね。
あ〜ちゃんは昨日「あんまり無理せんでね」って言って飴ちゃんをくれた。それくらい気をきかせてくれないかな、のっちも。
なーんて、そんな贅沢は言わないけどさ。
「のっちもう行く!マジで由里ちゃんにキレられる!」
「はいはい、頑張ってね」
「うんっ」
日が傾いていく。
のっちのポケットに押し込まれたくしゃくしゃの紙飛行機。「好きです」だなんて、よく言えるよなぁ。本当に好きなら言えないよ。
結局のっちは訳の分かんない事を言っていたけど、差出人は誰だったのかな。あんな可愛い字を書くんだもん、きっと可愛い子なんだろうな。
見下ろすともうそこにあ〜ちゃんの姿はなくて、代わりに遠くの空が色を変えていった。
ゆかも行かなきゃ。
仕事はまだまだたくさんある。
やっと看板が完成した。
それは文化祭前日の夕方だった。
「ほら、やれば出来る子じゃろ」
「うわ、めっちゃ可愛いね」
「でっしょー」
「あ〜ちゃんに写メ送っといてあげるよ」
「ダメっ!明日見てもらうもん、それまでのお楽しみなの」
かっしーが構えた携帯を取り上げて、あの子が褒めてくれるのを想像してニヤついてしまった。褒めてくれるかな。めっちゃこだわったんだけどな、色も模様も。
あ〜ちゃんの好きなピンク色をふんだんに使ったんだ。グラデーションを作んのに苦労したんだから。それにこの文字の形だって可愛くオシャレにしたんだよ。
あ〜ちゃん、可愛いって言ってくれるかな。
明日の自由時間は少しくらい一緒に過ごしてくれるかな。
片付けも全て終えて帰り支度をして、まだ灯りの残る校舎を見上げた。
一年に一度のビッグイベントなんだよな、文化祭って。きっと一生の思い出になるんだよ、こんな事って今は思っても。
だから一緒に過ごしたいだなんて、
自分の稚拙な考えにはそろそろ嫌気がさしてきたな。
「あー、もう」
看板が完成して、達成感で体がふわーってなって。余ったペンキで画用紙の切れ端に書いたんだ。
なんの変哲もない愛の言葉。もしかしたら愛でもなんでもないかもしんない。だけどこれ意外に説明の仕様がないんだよ、この不安定な感情は。
「あ、」
あ〜ちゃんだ。
その姿を捜し出すのは上手くなっていくのに、その嘘を見抜くのは下手になっていってる。それに気付いたのっちは、やっぱり泣きたくなってしまって。
いつだってその背中を追いかけてきた。決して触れる事なんて出来ないくせに。
「おっそい」
「待っててくれたの?」
「ううん、返してもらおうと思っただけ」
「何を?」
「一昨日あげた紙」
のっちに向かってグーパーするその手は、この時期の夕暮れ時の寒さからか小さく震えている。顔を見る事は出来ないまま、ポケットの中を探った。
一昨日のアレは無い。代わりにあるのは今日のコレ。
「あ〜ちゃんラブレターとか貰ったの、中学一年生以来じゃけん、やっぱ大切にしなきゃなーと思って」
「差出人は?」
「知らん、だって書いてなかったもん」
「それなのにとっとくの?」
「うん、一言だけだったけど、なんか凄く可愛い人なんだろうなって分かったし」
その冷えた手に何かを。だけど何もない、いつだってあ〜ちゃんの役に立ちたいとだけ願ってるのに。
そしてその鼻にかかった声で言う時はいつだって少し緊張してるんだ。のっちは知ってるよ。赤い耳、こすりあわせる手と手。
「それになんか、自分の名前書けないなんてヘタレっぽいの、あ〜ちゃん可愛いなって思うし嫌いじゃないよ」
強い風が吹いて、あ〜ちゃんの体が傾いた。咄嗟に伸びた手はその手を強く握ってしまって。
冷えた手がじんわり熱を帯びていく。のっちの中にあのピンクのグラデーションが広がっていった。
「嫌いじゃないって、好きって事?」
「どうなんかね?」
すました顔でそう言って、あ〜ちゃんは指を絡めてきた。大胆なその行動にのっちは反対の手でポケットの中の今日のコレを握り締める以外何も出来ず。
案外簡単に触れられた事への感動か、それとも後悔か、涙でちょっぴり星空がぼやけた。
違う、きっと
疲れて眠いだけ。
End
最終更新:2009年11月01日 02:51