アットウィキロゴ
のっちがスタジオに行ったきり帰って来ない。再来週に久々にライブに出演するとかで、今猛特訓中らしいのだけれど、それにしたって遅過ぎる。
ゆかは心配になって自転車で隣町のスタジオまで向かった。冷たい風は肌に痛いくらい突き刺さる。来週はまた雪が降るだろうとヨシズミさんも言ってたし。寒い寒いこんな夜に、のっちの身に何かあったら…なんて。

駆け込んだスタジオの扉の向こう。のっちが床にべったり座りながら、せっせと何かを書いている様に見えた。岸本君と川島君はもういない。一人で何やってんの。
声を掛けようとドアノブに手をかけたけれど、ゆかは開ける事は出来ずに。その背中に見惚れてた。新鮮だけど、どこか懐かしい様な、そんな風が吹き抜ける。


「…」

のっちはボールペンを置くと、すぐさまギターを手に取って。ゆかは今だに何に使うか分からない足元のカチカチ踏む道具を駆使しながら、のっちはゆかの聴いた事のないメロディーを弾いていた。
しばらく弾いたかと思うと、首を傾げてギターを置いてまた座ってボールペンで何かを書いて。そしてまたギターを手に取っての繰り返し。


それだけ情報があれば十分だった。どうりで聴いた事ないと思った、のっちの曲なんじゃん。ここでもし声を掛けたら怒るかな、いや怒らないか、でも絶対嫌だろうから、ゆかはスタジオの外に出てポケットから携帯を取り出す。

『……もしもし?』
「もしもし、今何時だと思ってるの?今どこにいるの?」
『え、あ、もうそんな時間!?ごめん今スタジオだわ、すぐに帰るね』
「うん、外で待ってる」
『え?』


それから数分後に、息を切らしたのっちが飛び出してきて、「なんで?」って言うから「どうせスタジオだろうと思って迎えに来てあげたの」って言ってやった。のっちは不思議そうな顔をしてたけど、ゆかは意味もなく微笑む。
自転車を引いて家に帰る。のっちは今日渋谷で人気読者モデルを見ただの、あまりにもどうでも良い話をしていた。ゆかはそれに飽きもせず相槌をうつ。いつもだったら練習の後は疲れてぐったりしてるのっちが、今日はこんなにも元気だから。

やっぱり好きなんだな、曲を作るの。
ゆかは一回だけのっちが大切にしてたノートを見た事がある。古びたノートいっぱいに歌詞やらが書かれていた。なんか普通に凄いなって感動した。だけどのっちは自分のバンドじゃコピーばっかやってるし。この曲達を歌うのっちが見たいって、その時は純粋に思ってた。

「のっち、あんまり無理しないでね」
「してないよ」
「だよね」
「どーしたのゆかちゃん、今日ご機嫌?」

ゆかがご機嫌なのは、のっちがご機嫌だからだよ。

「ゆかまた部長にセクハラされたよ」
「どこ触られたん、ケツか?またケツか?」
「太もも」
「ブッ殺してぇ」
「だからゆか不機嫌だよ」
「のっちも今不機嫌になった」




なんて言いながらもゆかものっちも笑ってる。足取りは軽くて、昔流行ったアイドルグループの曲なんか歌ったりして、あっという間に家に到着。
ベッドに寝転がってのっちの漫画を読んで、ゆかはのっちがお風呂から出てくるのを待つ。すぐに出てきた、かと思ったらびしょ濡れで全裸だった。


「どりゃっ」
「冷たっ、ちょっと、体くらい拭いてよっ」
「お、メガネっ子じゃん、メガゆかメガゆか」
「もー漫画濡れちゃったし」
「メガゆか可愛いよ、ダサい眼鏡だけど」
「小学校の時からずっと使ってるもん、仕方ないじゃろ」

のっちはゆかの上に跨ると、にっこり笑ってゆかの眼鏡を取った。視界がぼやけてく。目を細めないと、こんな距離でものっちの輪郭が掴めない。もどかしい。

「はい、寝よ寝よ」
「あ、寝るの?」
「エッチする?」
「ゆか明日仕事だし」
「のっち明日お休みだし」
「髪くらい乾かしてから寝なよ」
「めんどくせ、あー坊主にしよっかなぁ」

のっちは部屋をオレンジ色に照らしていた枕元のライトを消した。この子このまま寝るつもりかしら。絶対風邪引くっつーの。

部屋が暗くなってからも、のっちのテンションは異常なまでの高さで。三國無双と塊魂とピアノの森の魅力について散々話したかと思うと、ゆかの手を握りながら寝息を立て始めて。
そんなのっちが目覚めないように、こっそりキスをしてやった。


次の日、案の定のっちは風邪を引いた。ゆかは看病する為に仕事を休んだ。「一人でも平気だよ」って言ったくせに、仕事に行く準備を始めると「行っちゃうの…?」って潤んだ瞳で言うのは卑怯すぎる。ゆかは黙ってお粥を作ってあげた。

昼過ぎには熱も下がり、薬が効いたのかのっちはぐっすり眠っていて。ゆかは夕食の材料を買いに近くのスーパーに向かった。その途中に、あ〜ちゃんと出会った。

「のっち大丈夫なん?風邪引いたんじゃろ?」
「昨日はしゃいどったけぇ自業自得よ、もう熱も下がったし大丈夫」
「そっかぁ」
「なんか、あ〜ちゃん痩せた?」
「え、ほんと?体重計乗っとらんから分からんわ、かしゆかみたいに細くなりたーい」
「あ〜ちゃんくらいがちょうど良いよ」

そう言うと、あ〜ちゃんはちょっぴり泣きそうな顔をして笑った。もしかして無神経だったかな、あ〜ちゃんを傷つけたかな、ゆかは冷や汗をかいた。
だけどあ〜ちゃんは笑いながら、籠に大好きなフルーツを放り込んでいく。ゆかの心臓の高鳴りに気付きもせず。

「この前のっちにね、あ〜ちゃん可愛くなくなったって言われたんよ」
「え」
「痩せたら可愛くないって…、酷くない?」

ゆかは何も言えなくなった。のっちがそんな事を言うなんて信じられない。のっちの中であ〜ちゃんは特別で、何もかも許してしまえるくらい、あ〜ちゃんは神様みたいな存在だとゆかは知っていた。
また、そんなあ〜ちゃんは他人に自分を魅せる事に人一倍貪欲なのも知っていた。そんな女の子らしいあ〜ちゃんを、のっちは崇めていたし大好きだった。

「のっちいつもは凄く優しいのにさ、あんなこと言うなんて、よっぽどなんかな」
「…」
「あ〜ちゃん、のっちを怒らせたんかな」




ゆかは「そんな事ないよ」って言いながら、安心させる為に笑顔を作ろうとしたけど気持ち悪い笑顔しか作れなくて。そんなゆかの目をじっと見つめて、あ〜ちゃんの瞳からは今にも涙が零れ落ちそうで、ゆかは続けて「ごめん」と呟いた。
あ〜ちゃんは「なんでかしゆかが謝るん」って言う。ゆかは俯いて何も言えない。


「あ〜ちゃん、のっちに嫌われちゃったのかな」
「そんな訳ないよ、のっちがあ〜ちゃんを嫌いになる訳ない」
「…あ〜ちゃん、のっちにだけは嫌われたくない」

神様の本音を聞いてしまった。
しばらく何も聞こえない真っ白な世界を漂ってる間、心臓がチクチク傷んで血の気が引いた。指先の感覚が無くなっていく感じ。

本当に確かだと思っていた物は何なのか。あ〜ちゃんがのっちに与えた物は数知れず、そしてあ〜ちゃんがのっちから受けた物は。


やっぱり何も言えなかった。ゆかに出来る事が見つからなくて、申し訳なくて。
あ〜ちゃんが手に取った林檎は真っ赤だった。何もかも醒めてしまいそうな赤。

「…なーんてね!あ、この林檎あ〜ちゃんが買ってあげる、のっちに食べさせてあげて」

そう言って林檎を籠に放り込んで、あ〜ちゃんはレジに向かった。とくん、とくん、て穏やかに心臓が打つ。なんか、気持ち悪い。
あ〜ちゃんは天使、あ〜ちゃんは太陽、のっちの口から何度も聞いたその言葉の意味がなんとなく分かった気がした。ゆか達はあ〜ちゃんに守られてる。だけど、あ〜ちゃんはたまに今にも消えてしまいそうなくらい切ない表情をする時がある。
それはゆか達を不安にさせる物ではなく、ただ単純に「守ってあげなきゃ」って思わせる何か。こんなに脆い神様を守ってあげられるのは、ゆか達しかいないのかもしれない。のっちはそれにすぐ気が付いていたんだ。


一通りご飯の材料を確認すると、ゆかもレジに向かった。
ゆかの中で何かが音を立てて動き出していく。泡となってそれは弾けて、行き場もなく彷徨うんだ。どうする事も出来ずに今は、時間の流れに身を任すだけだった。








家に帰るとのっちは起きてた。起きてテレビを見ていた。

「ちょっとは楽になった?」
「うん」
「さっき、あ〜ちゃんに会ったよ」
「あ〜ちゃんに?」
「あ〜ちゃん痩せたよね」
「……」

あ、予想通りの反応だ。のっちは嫌そうな顔をした。ゴホゴホとわざとらしく咳をして、ベッドに潜り込む。

「のーんのん、まだ辛い?」

のっちに寄り添ってみると、激しく頷いていた。ゆかはその頭を撫でて小さく微笑む。

「熱は下がったみたいじゃね」
「辛い…気持ち悪い…」
「寝とりんさい」

どうして二人ともこんなに可愛いんだろ。か弱くて儚くて、凄く穏やかな気分にさせてくれる。

「関係ないんだけどさ」
「…」
「今度のライブ、曲何やんの?」

そう尋ねるとのっちは何も言わず、小さな咳を二つ。
頑なに口を開かないから、ゆかは諦めてキッチンに向かうのでした。



◇15:End◇







最終更新:2009年11月01日 03:46