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「ごちそうさま。」


友人との昼食を終えて、午後の授業の支度をする。
「かしゆか」ではない「樫野有香」としての時間が、最近はとても楽しい。

きっと「かしゆか」に余裕ができたからであろう。
仕事と学校という砂が両手いっぱいにあって、それをこぼさないようにするのが手一杯だった。
最近ではこの砂を山盛りのまま歩けるようになった。

砂の量は増えることもあるが、そのときは自分の手を大きくすればいいだけ。
その一粒一粒が、自分にとって大切なのだ。

「ゆかちゃーん!忘れ物ー。」

自分を呼び止める声に振り向くと、見慣れた携帯電話を持った友人の姿。

「あっ、ごめんねー!ありがとう。」

親切な友人と二言三言会話を交わし、別れた。
最近付け替えたばかりのストラップは、"彼女"から貰ったアルパカのマスコット。
いつでもどこでも"彼女"のことを思い出してしまう自分に、少し呆れて苦笑した。


午後は最も苦手とする分野のゼミだった。
気が進まないまま、階段教室の中段あたりの席に腰をかける。
まだ授業が始まるまで時間があるからか、教室にはあまり生徒の姿はなかった。
ふと室内を見回すと、見慣れた姿が入ってくるのが見えた。


サングラスにストールにマスク。
夏の終わりにしてもその格好は暑いだろう。

きっと本人は、
「サングラスは寝てもバレないから」
「ストールはオシャレ」
「マスクはインフルエンザ対策」
とでも考えているのだろうが、それら3つが重なればただの変質者である。


のっちもこの講座を受講していたらしい。
学部が違うから、一緒の教室はないだろうという思い込みから気付かなかった。
そういえば、この講座は3年生からはいくつかの学部と共有だったと、進級当初の曖昧な記憶を思い出した。

階段教室の一番上の席を陣取った彼女は、あいもかわらず携帯電話をいじっている。
メールする相手もいないだろうから、きっとゲームにでも興じているのだろう。

大学構内で会うことは滅多に無いから、手を振るなりのコンタクトをとろうと試みるけれど——

こっちがこんなに視線を送っているのに気付く気配が全くない。


そうしている内に授業開始のチャイムが鳴ると、画面から目を離さないまま、ボタンを押す落ち着かない両手もそのままに、器用に机の下へと電話を隠した。

——確実にゲームプレイ中だ。

授業中も継続するらしい。
あんなに不真面目な生徒だったとは…深いため息が漏れる。

廊下から、他の生徒もぞろぞろと中へ入って席に着く。
体をひねらせてまで他人を凝視するのも変なので、仕方なく前を向いて教授が来るのを待つ。
ゲームに夢中な彼女は、聞く耳持たず——この場合は見る目持たずか——なのだ。

斜め前の席の男の子がペンを回すのをぼーっと見つめるうちに、見慣れた白髪と眼鏡の教授が教壇に立った。


大きな黒板に羅列されたちんちくりんな記号を理解しようとも、頭が集中することを拒む。
舌足らずの教授の声は、今は子守唄といえるほど気持ちのよいものになっていた。
このいらない眠気を床に着いたときに分けて欲しい。

窓から差し込む日差しが心地よさをさらに増す。
完全に目を瞑ってしまったのが最後、五感は朦朧としていった。

途中、とても不思議な、幸せな夢を見た気がしたけれど、虚ろな意識のなか遠くにまどろんでいった。



気付いたときには、その教授は教壇から消え、生徒たちもざわざわと教室から出ていくのが見えた。

なんといつの間にか眠っていたらしい。
授業はとっくに終わっていたようだ。
よだれを垂らしていないかを焦って確認してから、まっさらなノートを閉じて、筆箱も片付ける。
どうも午後の授業は睡魔から逃れられない。

(昨日の夜更かしがたたったかなぁ——そういえば)

のっちは、と後ろを振り向いたが、時すでに遅し。

さっきまで居たはずの席はもぬけの殻であった。
ライブも収録も学校も帰るの早すぎ、と胸中で呟いて教室を出ようと階段を上る。
途中、のっちが座っていた席に一冊ノートが残っているのが視界に入った。



(——ゲームに夢中すぎてノート忘れるか普通)

ため息をひとつついて、そのノートを手にとった。

表紙には見慣れた文字で「大本彩乃」と粗雑に書かれていた。

何気なく中を見てみると、
「入れてみたいカレーの具」
「モンスター狩猟記録☆」
「今度買う漫画」
とかいう落書きが目立ち、本来書かれてなければならない授業の板書は、殴り書きで書かれていた。
いかにものっちらしい。
これでちゃんと単位が取れていればいいのだけど。
彼女の成績を案じたが、つい先ほどの授業を居眠りで過ごした自分が言えた義理ではないと自嘲した。

——そうだ。

シャープペンの頭をノックして、
落書きだらけのページの端に3行ほどの短い文を書き足した。
筆圧が弱いその文字は、力強く書かれたのっちの文字の中でかえって浮いていた。
彼女がこの文に気付くことを願いつつ、自分のノートのうえにそれを重ね、彼女の姿を探した。

のっちのことだからすぐ帰るだろうと予想して玄関へ来たのだが、彼女の姿は見当たらない。
広いキャンパスを探し回るのも面倒なので、電話をかけることにした。

携帯のリダイヤルからすぐにかけられた。
ずっと昔に登録した「のんのん」という名前と、まだ初々しい中学生のおどけた表情をした彼女の写真が何かむかついたので、近々のっちのデータを編集し直そうと決めた。

「——もしもしかしゆか?電話なんて珍しいねぇ。」
「のっち、今どこにおるん?」
「大学の中庭。」
「はぁ?なんでそんなとこおるん」
「いいでしょー別に。何か用あるん?」
「今行くから待ってて。」


一方的に電話を切って、中庭へ向かう。
玄関からはそう遠くはない。



休み時間凝視しても気付かれず、授業終わってからも置いていかれ(私にとっては)、ゲームに夢中ゆえに忘れたノートを自分が届けるという、彼女に散々振り回されているというのに、彼女の声を聞いたら途端に元気が湧いてきた。
電話ごしでものっちの声は不思議な魅力があるらしい。
大学で話すことは少ないせいか、散々長い時間をすごしている彼女なのに、今から会いに行くのは新鮮な気持ちになる。


放課直後とあって、まだたくさんの生徒がキャンパス内に残っていた。
このあとサークル活動もあるためだろう。

予報では午後から雨となっていたが、反して気持ちいい青空が広がっていた。
自重してほしいほどの太陽の光がじりじりと肌を照らす。


大きな一本の樹の周りにベンチや花壇が設置された大学の中庭は、絶えず人で賑わっている。
今日も例外ではなく、授業から解放された生徒たちががやがやとお喋りに華を咲かせていた。

その一角のベンチにのっちは座っていた。
何年も見慣れた特徴的な髪型は、後ろからでもすぐわかる。
目線はまたもモバイルの小窓。
全くこちらに気付かない風ののっちに、後ろから目隠しをしてやった。

「わっ」

「うわああぁ!」


思っていた以上にのっちが大声を上げたので、一瞬周囲を気にしたけれど、自分達の談笑に夢中な生徒達は気付いていないようだった。

のっちの顔からぱっと両手を離して、

「びっくりした?」

ひょいと上から覗き込む。

長い髪がのっちの顔に影を落とす。
目をまん丸くしたのっちの顔がまたおもしろくて、思わず笑みがこぼれた。

「ゆかちゃんかぁ。どしたん。」

私とわかって、そこからあからさまに嬉しさが丸見えのにやけ顔になるのっちの七変化がおもしろくて、こらえきれずしゃがみこんで大笑いした。



「なーに!?人の顔見て笑いに来たの!?」
「そんな趣味悪くないよ。なんでこんなとこおるん?珍しい。」
「失敬な。私だってキャンパスライフに浸りたい時だってあるのです。」
「……にぎやかな中庭でひとり携帯いじるっていうのがキャンパスライフなの?」
「………いや、さっきまでは本読んでたんだけど、どうにも活字は…」

なるほどのっちのすぐそばには、流行りの映画の原作となった本がぽつりと放置されていた。

「ゆかちゃんこそ大学で話してくるなんて珍しい。
 あっ!さてはそーんなにのっちに」
「ノート忘れてったでしょ。」

のっちが嬉しそうに鼻の穴を膨らますのを遮って、ノートを目の前に差し出す。

「あれっ、持ってったつもりだったのになぁ」
「ランドセルも忘れるくらいなんだから、ノートなんてしょっちゅうだろうね。」
「まー、2,3回。」

照れ笑いをしながらノートを受け取る。
小学生のころ学校に着いてからランドセルを忘れたことに気付いたという逸話をお持ちののっちのことだ。
ノートくらい日常茶飯事だろう。

(そもそも当時一緒に行ってた友達とか教えてくれなかったのかねぇ…あ、友達いないのか)

私がこうやって届けなければ明日の授業が始まるまで気付かなかったことだろう。
几帳面なほうの私からすれば、彼女の大雑把さにはほとほと呆れる。

「じゃあお届けしたのでゆかはそろそろ、」
「えーつまんない。一緒に居ようよー。」
「どうせこのあと仕事で会うでしょ。」
「じゃあ一緒に行こう。」
「ゆか帰ってシャワー浴びたい。」
「じゃあ一緒に浴びよう。」
「……………」

慣れない中庭に居て、太陽の暑さにやられたのだろう。

無言で立ち去ろうとする私の服の裾を、すばやくのっちが掴む。

「ちょっ、冗談だから!」

必死に私を引き止める彼女の上目遣いには、白旗を揚げざるをえない。
なんだか捨てられた子犬が人間を見上げるそれに似ていた。
大げさかもしれないけれど。

「別にうち来るのはいいけど…あ、今日仕事終わってからうち来る?」
「まじ!行く行く!」

犬が尻尾を振るように元気すぎる素振りで、のっちは身支度を始めた。
別に今来るわけではないだろうに…その素直さにはある種の感動を抱く。

せっせと帰り支度を始めるのっちを待って、二人並んで大学の校門まで歩く。

「今日お母さんもお父さんもいなくてさぁ。暇なの。」
「ゆうせいくんは?」
「お兄ちゃんは知らん。たぶんどっか遊んどると思う。」
「じゃあゆかちゃんと二人っきりじゃーん。」
「のっちと二人やだからあ〜ちゃんも誘おうかな。」
「…いいけど、なしてのっちと二人が嫌なん。」
「のっち変態じゃけぇ襲われるわ。」
「ひどっ。」


結局のっちは家には帰らず、私についてまわり、私の家で私の支度を待ち、マネージャーの迎えが来るまでゲームをやっていた。

「車が来るまでPSP〜♪」

ヘアアイロンをかけながら、そのサムい独り言を聞いていた。



二人の身支度が整い、約束の時間になったころ、マネージャーからの連絡でもうすっかり見慣れた移動車に乗り込んだ。

Perfume専用移動車が初めて配属となった当時、その車の存在を忘れて、癖で今までどおり地下鉄を利用してしまい、待ちぼうけをくらわせたことがあった。
それほどまで馴染みの無かった移動車も、今では貴重な仕事仲間といってもよかった。

「おはよーゆかちゃん。あらっ、のっちも一緒?」

そのワゴンの3列目の座席からひょいと顔を覗かせたのは、あ〜ちゃんだった。

「うん、大学からずっと一緒。うるさくて。」
「うるさくないよー。黙ってゲームやってたじゃん。」
「珍しいねぇ、二人一緒に来るなんて。まぁ迎えに行くもっさんの手間省けたね。」

運転席でハンドルを握る金髪のマネージャーはそれに笑って応えた。
二人も乗り込み、車内は一気に賑やかになった。
最近では3人で共有する時間が少なくなったため、お互い大学の友人の話や、流行の雑誌、芸能なんかについてガールズトークに華を咲かせた。

信号待ちでふと静かになったとき、マネージャーがルームミラー越しに3人に告げた。

「あ、今日は撮影とインタビューだけだし、9時前には終わるんじゃないかな。」

その報せを聞いて、のっちと目を見合わせてガッツポーズをした。

「こりゃあ夜もヒッパレだね。」
「久しぶりに夜な夜なコイバナでもしよっか!」

「なになに?二人で秘密の逢い引きでもしよるん。」
「あはは。今日仕事終わったらゆかちゃん家遊びに行くの。あ〜ちゃんも来ん?」
「あ〜っ、行きたいのはよもやま…ん?やまやまなんじゃけど、明日大学行かなきゃでさ。単位ヤバめなんよ。」
「そっか。最近あ〜ちゃん大学行けてないんだっけ。」
「うん。おかげさまでねー。あー語リンピック混ざりたかったなぁー。」

がっくりと肩を落とすあ〜ちゃんを笑い半分で慰めつつ、私たちは”女子大生”から”Perfume”として、仕事を全うするのだった。



「お疲れ様です」



「いや〜楽しかった!」
「インタビュアーさんの話、爆笑しちゃったね。」

とんとん拍子で撮影・インタビューが進み、予定した時刻より早く仕事は終わった。
携帯電話のサブディスプレイは20時過ぎを指していた。

あ〜ちゃんをマネージャーに送ってもらい、私とのっちは一緒に公共交通機関で私の自宅へ向かうこととなった。

最寄り駅から家までの帰路、まだ人が賑わう大通りを、2人は歩いていた。

足早に歩く仕事帰りのサラリーマンやOL、一日中デートを楽しんだであろうカップル、合コンと思わしき男女のグループなど、様々な雑踏が行き交う。

夜になっても光の途絶えることのない都会を歩くのにも、だいぶ慣れてしまった。


「かしゆかん家久しぶりだな〜」
「のっちのこと忘れて、たむちゃんにひっかかれるかもね」

うちで飼っているモモンガの「たむちゃん」を、のっちは未だ2回程度しかお目にかかれていない。
最後に会ったのも2ヶ月ほど前だったため、今回顔を出しても覚えてくれていないかもしれなかった。

「あっ、かしゆか。」

仕事帰りだからか、Perfumeとしての愛称で呼ぶのっちが(彼女は無意識だろうが)なんだかいじらしかった。
彼女が自分のことを本名だったりあだ名だったり呼称を変えるのが、無性に好きだった。

のっちはごそごそと自分のバッグを漁って、あのノートを取り出した。

「今日のノートだけどさ。」

パラパラとページを捲って、目的のところを見つけたらしい。
文章を指差して声を張り上げた。

「物申す!これっ!どういうこと!」

彩乃の「ウィンナー指」の先を見れば、有香が書いたあの3行。



”ゲーム大好きの変質者さん
ゆかがガン見してたのに気付かないなんて
あとでおしおきだから”

「あ〜、ごめん。書いちゃだめだった?のっちすでにいっぱいなんか書いてるからいいかな〜って」

本当はそんなに申し訳なくもないが、一応謝罪の言葉を述べる。
ところが返ってきたのっちの言葉は予想外のものだった。

「そうじゃなくてさ〜。私だってガン見してたのにかしゆか気付かなかったじゃん。」
「え?」
「授業中ずーっとかしゆかのこと見てたんだよ。なのにずーっと寝てるんだもん。
私より睡眠の方が大事なんですかあー」

「えっ…いや…」

てっきり”変質者”の表現とかを指摘してくるのかと思いきや——
のっちが膨れ面で話す初めて知らされる事実に、多少の戸惑いと嬉しさを覚えた。

「あのね、言わせて貰うけど」

それが表情に出ないように隠しながら、きりっとのっちに向き直る。

「あたしだって授業始まる前、気付くかなってずっとのっちのこと見てたんだよ。
なのにずーっと携帯ばっかいじってさぁ…
どうせゲームでしょ?
あたしよりゲームの方が大事なんですかあ」

のっちの言い回しをマネて嫌味たっぷりに言ってやった。
それを聞いたのっちは、かっと今まで以上に顔を赤くした。

「勝手なこといわないでよ。ゲームよりゆかちゃんのほう大切だもん。」

ハの字眉で、真剣にそう言うものだから、一瞬面食らった。
同時に恥ずかしさと笑いがこみ上げてきて、下唇を噛んで必死にこらえた。

——でもたぶん、今は私のほうが赤くなってるなあ。

冗談でも、彼女のその言葉がたまらなく嬉しくて。

「それ、本気で言っとる?」
「本気じゃないほうがいいの?」

泣き出しそうな顔でのっちが訝しげに訊く。
彼女のこういうところが可愛くて、私はのっちをたまらなく好きなのかもしれない。

「ううん、あたしも本気だから」

そう答えたところで、ちょうどマンションのエントランスに着いた。

エレベーターの扉が開いて、いつまでも中に入ってこない彩乃を怪訝に思い彼女のほうを見ると、満面のニヤケをこらえきれていない顔があった。

「ゆ、ゆ、ゆゆ、ゆゆゆゆかちゃんそっそれはつまり愛のコクハk 」


そこまで言いかけた時点でエレベーターの「閉」ボタンを押した。


とっておきの”おしおき”は、部屋で思いっきりやってやろう。






最終更新:2009年11月11日 03:53