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「…あ〜ちゃん」

確かにかしゆかはそう言った。のっちを見て、そう言った。何も言わずにベッドに寝かす。かしゆかは喘息持ちだ。
喘息が出た時の対処法云々はあ〜ちゃんから2年前に教えてもらった。だけどこの方法は見よう見まね、のっちも気が動転していた、これで正しかったのかも分からない。それでも呼吸の落ち着いた彼女はすやすやと寝息を立て始めた。

のっちが風邪を伝染してしまったんだ。原因はそれだすぐに分かった。
こんなに酷い状況だったとは梅雨知らず。ステージの上から顔をしかめたかしゆかは確かに見えていて、緊張して少しミスをしてしまったりなんて。
それでも代わりにのっちの声になってくれたあ〜ちゃんは、立派に働いてくれた。門限はギリギリセーフだっただろうか、そうだと言いけど。

そこに携帯に着信が。岸本だ。

「もしもし?」
『おーい何やってんだよ、もう先に呑んでるぞー?』
「ちょっとかしゆか熱出てさ、具合悪いから見てなきゃ」
『マジで?大丈夫なわけ?』
「うん大丈夫、でも行けそうにないかな」
『分かったちゃんと見ててやれよ』

電話を切ると、かしゆかは目を覚ましたみたいで。視点の定まらない虚ろな瞳をのっちに向けた。
微笑んでみた。苦手だけど。

「のっち…?」
「ごめんね、起こしちゃった」
「……」

ふるふる首を横に振る。こんな時までのっちに優しくしないで良いのに。
もっと叱ってよ。「お前のせいで風邪伝染っちまったよバーカ」って、殴ってくれても構わないのに。あ〜ちゃんだったら、きっと。
だってボーカル代役で出てって言った時も「はぁ?ふざけんなチョーップ」って、のっちの頭にまぁまぁな力でチョップをかましたし。それでも涙目で咳をゴホゴホしながら「お願いします綾香しゃま」と土下座をすると、「別に構わんけど…今度のっちの家で鍋パね」と最高の笑顔でそう言ってくれた。天使か何かかと思った。
まぁそんな天使とこの弱ったウサギちゃんを比較すんのは良くない。一人反省しながら、汗で張りついた前髪を横に流してあげると、その手を弱い力で握られて。

「のっちの手…冷たくて気持ち良い…」
「なんだったら、左手も貸すよ、ほれ」
「ん…ありがと」

かしゆかの柔らかい頬を両手で挟む。小さな顔だ。

「のっち、ゆか着替えたい…あと化粧落として…髪も洗いたいし…それにサボテンに水もやらないと…」
「…立てる?」
「うん…」

とは言ってものっちもまだ完全に風邪は治っていない。今日のライブで体を虐めたせいか、正直しんどい。
荒い呼吸のまま着替えをしたりするかしゆかを見つめながら、風邪薬を探す。だけど見つからない。

「風邪薬なら、そっちの棚の中」
「…ホントだ」

…なんだかな。こんな時にまで頼りになんない自分って。情けない。
それよりももっと重く心にのしかかったのは。

「……」

気にし過ぎだよね。



「はい、薬飲んで、早く寝よ?それで明日の朝病院で診てもらお」

薬飲んで寝れば治るよ、と呟いてかしゆかは薬を受け取った。目は赤い。弱々しい。いつも強い君が弱々しい、そんな姿にのっちの胸はなぜかきつく締め付けられた。

ベッドに入って、しばらく苦しそうに咳を繰り返すかしゆかに指一本触れられず。

「ごめんね…打ち上げ、」
「気にせんでえぇよ」
「今日のライブ…凄く、良かったよ」
「…ありがとう」
「あ〜ちゃん、歌上手いんね」

そうだよ、と呟く。見慣れた白い天井。これだけ一緒に暮らしてきたけど、こんな空気は初めてだ。

オリジナルの曲は、好評だった。あ〜ちゃんにだけは文句を言われた。「歌詞がなんか暗い」って。確かにちょっと暗いのかも。だけど「なんかのっちらしい」だってさ。
それなのにあ〜ちゃんが歌うと印象がガラッと変わった。のっちは個人的に、そっちの方が良かったと思うんだ。次やる時は自分でちゃんと歌うんだろうけど。

「あの曲のタイトルは…?」

そう言ってこっちを向いたかしゆかは、熱い手をのっちの腕に絡めた。今にも消えてしまいそうな声で、そう尋ねられて。

「…まだ決めてない」

タイトルを付けるのは、恥ずかしかった。それがその曲の顔になっちゃう訳なんだから。だから照れ隠しにギャグみたいなタイトルを付けてやるつもりだった。だけど何も浮かばなかった。
どうだろう、いっそのこと分かりやすく「1」とかにしようか。次に作った曲は「2」で。それってめちゃくちゃ分かりやすい。もうそれで良いよね。考えんの面倒臭いもん。

「タイトル、ないの?」
「今、決めたよ」
「今?」
「うん、最初の曲だから、1」
「あはは、何それ」

斬新だね、なんて言って擦れた声で笑った。だけどのっちの腕を掴む手に力が加わったのに気付いていたよ。
あの頃から何も変わらない天井、変わらないこのベッドの温もり。だけどライブが終わった。これが終わったら言うつもりだった。かしゆかに、ちゃんと言うつもりだったんだ。

「1なのに終わっちゃう曲なんて、悲しいね」

かしゆかはそう言うと、のっちの腕を離して体を反転させて咳き込んだ。頭をガンと一発殴られた気分を味わうと、ライブのあの耳鳴りが甦ったようで。

かしゆかの言ってる意味はすぐに分かった。それで泣いてるんだから、すぐに分かったよ。
確かに歌詞の中の主人公は大切な人とお別れして関係は終了したのだけれど。まぁ人によって考え方は違うというか、なんというか。かしゆかが悲しいと解釈したのなら、それで良いと思うし、他の意見をこじつけたりなんかしない。

「あの歌詞の主人公、のっちみたいだった、だから悲しくなった」

かしゆかは泣いている。体が弱ってる時は心も弱ってる、だなんて昔大好きなおばあちゃんに教えてもらった事があるかも。だからだ、なんて軽く考えると気持ちは楽だけど、そんな事はのっちに出来る訳がなく。
それはとてもありきたりな、恋人としての行為でしかなかった。

「のっち達、デビュー出来るかもしんないんだってさ」


抱きしめた肩の細さを改めて実感する。
終わりなんかじゃない、やっぱり1は1、始まりなんだよ。

のっちは旅立ちの曲にしたつもりだったんだけど、かしゆかがそう感じたのは、少しだけ悲しかった。


◇18:終◇






最終更新:2009年12月09日 14:45