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欲しがらないから、せめて受け取って?
「…好き?」
「もちろん!友達だもん」
「そうじゃなくて、」


[009:an umbrella]


朝、目が覚めると嘘みたいに雨はやんでいて。変わりに太陽がカーテンを通り越して照りつけていた。
腕の中で眠ってる人を起こさないように、そっと腕を抜いた。
「ん、ん…」
起こした?
顔を覗きこんだら可愛らしい寝顔があった。よかった。よく眠ってる。
時計を見ると、結構な時間だ。すやすや眠る可愛い寝顔をもう一度確認して、ゆかは自分の部屋へと急いだ。
シャワーを浴びてメイクして、ラズベリーのパンは頬張っ…てる場合じゃない。
そろそろ起きたかな?鍵開けっ放しだし、一応声をかけてから仕事に行こう。
ゆかは部屋を飛び出して、まったく同じ形をした隣の部屋のドアを開けた。
ベッドの上にはまだ可愛い寝顔。起こすのがかわいそう。ずっと見てられるよ、これ。自然と頬が緩んだ。


「のっち」


顔のすぐ横に腰かけて、頭を撫でてやると、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
「んー…?」
全然開かない瞼を擦って、一生懸命開けようとしてるけど、結局いつもの半分くらいしか開いてない。
「ゆか、仕事だから行くね?」
のっちはその半分の目でゆかを見て、
「…いつ起きたん?気付かなかったー」
って、苦笑いした。
「よく寝てたよ」
ゆかが言うと、ニヘーってだらしなく笑って、
「ゆかちんといると落ち着くー」
そう言ったのっちは、もういつもののっちで。昨日みたいに似合わない顔はしてなかった。
それだけでゆかは嬉しくなる。のっちはその方がいい。


「またいつでもーw」
ふざけながらゆかが言うと、まただらしなく笑って、
「じゃー…今日もここに帰ってきて?」
なんて。半分しか開いてない目でサラリと言ってみせた。いつもの、のっちだ。
こんな台詞、言い慣れてます、って余裕な顔で。
本当は余裕なんてないこと、ゆか知っちゃったけどね。
でも、のっちはその方がいいから。ゆかはそれを笑って聞き流した。




「じゃ、いってきまーす」
そう言ってゆかは部屋を出る。玄関のドアを開けて、閉める。
“あ、鍵閉めてね!”
言い忘れてまたドアノブに手をかけようとしたら、


———ガチャ———


のっちが中からドアを開けた。


「どしたんよ!?」


驚いてるゆかを見て、のっちも驚いたみたいに目をひらいた。半分しか開いてなかったそれが、いつもと同じになった。


「あ、いや…なんも、」


珍しいな。のっちがはぐらかすなんて。


「鍵、閉めて、ね?」


時間やばいんだった。
そう言ってゆかは方向を変える。駅まで走ったほうがいいかな、?


「ゆかちん!」


のっちの声に思考が途切れる。
振り返ると、のっちはまたあの顔をしていた。


「ど、どしたんよ!?」


ふたつの意味を込めて聞いた。
純粋に、どうしたの?と、どうしてまた泣きそうな顔をしてるの?の、ふたつ。


「あの、さ?ほんとに…きて、よ」


泣きそうな顔のまま、淋しそうにのっちが言う。
そんなのって初めてで、ゆかの胸はグッて鳴った。
断れなかった。


「…夕飯。何、食べたい?」
「…カレー、なべ」
「ん。待ってて」


断る理由がなかった。の方が正しいかもしれない。
帰りにスーパーで材料を買ってきてあげよう。そしてカレー鍋を作ってあげよう。
一緒に食べて、お酒を飲んで、いっぱい話して、いっぱい頭を撫でてあげよう。
眠るまで抱き締めてあげよう。寝た後も、そうしててあげよう。
頭の中でそう考えて、ゆかは小走りで駅へ向かった。




人に何かをしてあげたくなるのは生まれて初めての経験だから、それが何でだかはわからないけど。
多分のっちはそうさせるのがうまいんだろうな。そんなふうに思うのに嬉しくて仕方なかった。
頼りにされることや、甘えられることが嬉しいだなんて。甘えたいゆかは一生思わないと思ってたのに。
やっぱりのっちは変わってる。そんなゆかをも、こんな気持ちにさせてくれる。ある種の才能だよ、これは。
あーぁ、早く仕事終わんないかなー。


仕事が終わってゆかはスーパーへ急いだ。
泣きそうな顔をしてカレー鍋と言ったあの人に、とびっきりにおいしいカレー鍋を作るんだ。
そうしたらのっちは笑ってくれるのかな?ゆかのカレー鍋にそこまでの威力があるとは思えない。
だけど…少しは笑顔に近づくのかな?
のっちにあんな顔似合わない。
今でも、大恋愛をして大失恋もした相手を想ってあんな顔になるのなら、その人が憎いよ。
早くのっちの中から消えてくれればいいのに。


そんな事を考えながら両手にスーパーの袋をぶら下げて、ゆかは小走りで帰った。


嫌な予感がした。


それはほんと一瞬のうちに沸き上がる思考。
空を見上げれば星たちは厚い雲で覆われて、輝きもしなければ見つけることすらできない。


嫌な予感がする。


アパートの階段をゆっくりのぼると、予感は見事に的中した。
そこにたちこめるのは201号室から嫌味なほどに漏れているカレーの匂い。
と、あ〜ちゃんの甘くて可愛い声。
その瞬間力が抜けて、両手に持った袋の重さを実感した。
ゆか、ばかみたい。
あんなのただの口約束。遊び人の単なる気まぐれ。
一瞬でも信じたゆかがばかだ。
こんなに大量の食材たちを見られたくなくて、ゆかは急いで自分の部屋へ入った。
ドアを開けると真っ暗で、ゆかは玄関に荷物を置いてそのまま座り込んだ。
後ろでパタン、と静かにドアが閉まった。
隣から聞こえてくる楽しそうな声が、ますますゆかを独りにさせた。
この部屋は真っ暗で、誰もいなくて。ゆかのカレー鍋を食べてくれる相手はどこにもいない。
ばかみたい。
ちょっと仲良くなって、優しくされて、甘えられて。
ばかみたいに、はしゃいでた。
別にいんだ。のっちがどうしようと。友達なんだし。約束くらい忘れる時もある。
そっか。あ〜ちゃんがいるなら、その役目はゆかじゃないね。
じゃあ、ゆかは?ゆかの役目は?何すればいいの?

普通の友達でいること。

うん。それだ。やっぱり。考えたってそれしか浮かばない。
ならば普通の顔して、普通に接して、普段通りにするのが一番だ。


ゆかはビールを持って201号室のドアを勢いよく開けた。




「ゆかちゃーん」
あ〜ちゃんがニッコリ笑顔をくれる。今夜はカレーだよーって笑う。
あ、鍋じゃなくてライスの方ね?すごいなあ〜ちゃん。聞かなくてものっちの食べたいものニアピンじゃん。
座ってていいよ、って言うからゆかはお言葉に甘えてリビングへ足を進めた。途中でビニール袋からビールを取り出す。
リビングのソファにはもちろんこの部屋の主がいた。
取り出したビールを渡すと「ん。」って小さく言って受け取った。ゆかの顔を見もしない。だからゆかも見なかった。
自分のビールも出してゆかはさっさと口に運んだ。
のっちはまた当たり前みたいに開けてくれようと手を伸ばしたけど、ゆかはそれも見ないようにした。
自分で開けてもビールはビール。おいしいはずなのに、ちっとも味がしない。
ソファに座ってたのっちがゆかの隣に座った。視線すら向けなかったら、またあの顔でゆかを覗き込んできた。
またゆかの胸はグッと鳴る。
その顔はきらい。
距離も近い。
心臓、ちょっとうるさい。


「・・・ごめんね?」
小さく情けない声でのっちは言った。
「…なにが?」
普段通り、なんでもない顔してゆかは答えた。
「忘れちゃったの、?」
首を傾げて弱々しくのっちは言った。
「…さぁ」
普段通り、なんでもない顔、出来てるかな?ゆかは答えた。
「そっか、、残念、、」
のっちはうなだれて淋しそうに呟いた。
はっ?てか、それこっち!せっかく材料も買ってきたのに、、


「…うそつき」


ゆかの声は震えていた。
そんなの何でもないことなのに。
たまたまあ〜ちゃんが来て、たまたま先にご飯を作ってくれた。
ただそれだけのことなのに。
泣くのもおかしい気がするけど、気付いた時には涙がうっすら溜まってた。
だけどこれを零すわけにはいかない。ゆかは必死で顔をそむけた。
見えない隣から小さく「ごめんね。」のっちの声がした。
ゆかはそれを背中で聞いて、首を横に振った。いいんだよ。のっちは全然悪くない。
左手の中指で目頭に溜まった涙を拭き取って、そうのっちに笑いかけた。のっちは情けなく笑った。


「またあとで作ってあげる」


ばかだ、ゆか。懲りてない。
こんな約束したって、のっちは忘れる。また意味もわからず悲しくなるだけだ。
なのにのっちの顔を見たら責める気もまったくおきないし、むしろ優しくしなくちゃって思ったんだ。
ゆかがそう言うと、のっちは「うん!」って嬉しそうに笑って、


「約束だよ?」


意外な言葉。
ねぇ、のっち?それ、本当?




あ〜ちゃんのカレーはすごくおいしかった。のっちはおかわりもした。
そういえば、あ〜ちゃんとのっち、いつの間に仲直りしたんだろ。まぁ、二人にはそんなの簡単なのかもな。
だとしたら、ゆかは?ゆかは二人の中の二人と同じレベルまで上がってこれてる?
ねぇ、ゆかはどうしたらいい?


「バイバーイおやすみー」
あ〜ちゃんは洗い物を済ませると、今夜も複数いるうちのどっかの彼氏のうちに帰っていった。
のっちはもう何も言わなかった。
昨日は泊まったし、その前も長居してたから、そろそろ迷惑だろうな、、


「じゃ、ゆかも戻るね?おやすみ」


そう言って立ち上がる。と、
へ?なんて、のっちは驚いた顔をしてみせた。


「え?帰っちゃうの?」
「へ?帰るよ、そりゃ」


ゆかが笑うと、のっちは不満げな顔をしてみせた。


「ここに帰って来てくれたーって思ったのに、、」


甘ったれな台詞をはいて、淋しそうにゆかを見る。
でもね、ゆかは他の子たちとは違うから。そんなん通用しないよ。


「モテる人は言う事ちがうねー」


茶化して帰るつもりだったゆかを、引き止めたのもやっぱりのっち。


「ゆかちん待っててって言った。だから待ってたのに」


やめてよ。泣きそうな顔は似合わないんだって。


「ゆかちんにしかこんなこと言わない」


あぁ、もう。やっぱり。ゆか、ちょっとおかしい。


「ね、今日も泊まっていきなよ。もっと飲もう!」


無理してるのがバレバレ。
ちょっと落ちてたくせに、わざと明るく振る舞って。
でも、そうまでして一人になりたくないんだろうな。
のっちがここ最近へこんでる理由はゆかにはわかんないけど。少なくとも今、ゆかを必要としてくれてるのはわかる。


「ん。飲もっかー」


だから出来るだけゆかも明るく答えた。
のっちは少し笑って、パンパンって床を叩いた。
ここに座って、ってゆうその仕草がいちいち可愛くて、ゆかは少しニヤけてしまった。
「なん?ゆかちん?」
自分の仕草の威力に気付いてないのっちは首を傾げて不思議そうに笑った。またゆかはニヤけた。
「なんでもないよ」




そう。本当になんでもない。
顔がニヤけるのも、優しくしてあげたくなるのも。
胸がグッてなったり、たまにドキッとしたりするのは、なんでもないことだ。
そんな事、のっちじゃなくても、あ〜ちゃんにもカヨちゃんにも感じるわけで。本当になんでもないことなんだ。
大切であればあるほどに、その感じは強まって。それは相手もゆかを大切に想ってくれてるってわかるからこそ。
それがお互いに大きければ大きいほど、強まっていくんだ。
今、ゆかはのっちとどんどん距離が縮まって、あ〜ちゃんと肩を並べるくらいにまで辿り着いたのかな?
ゆかの中ののっちは、もうトップクラスにいるよ。カヨちゃんとあ〜ちゃんとのっちは大切な友達。
だから大切にしたい、優しくしたい。大切にされたい、優しくされたい。
そう思うのは本当、なんでもないこと。
友達だもん。普通のことだ。


しばらく飲んで、おつまみないねーなんて言い合って、二人で外へ出た。
コンビニまで少し歩くけど、気持ち良く酔っ払ったゆかたちは鼻歌なんか唄って。
のっちは見たこともない無邪気な顔で道路の端から端、ゆかのまわりをブーンとかイエーとか言いながら飛び回っていた。
ちょっと遠くまで走ってったと思ったら、両手を広げて待ってるから、
ゆかは真似して走ってその両手にすっぽりおさまった。
「つーかーまーえーたー」
そう言って嬉しそうにゆかをギュッてして、また隣に並んでコンビニまでの道を歩く。手は自然と繋がれた。
コンビニがある少し賑やかな道路に出ると、平日の夜なのに酔ったサラリーマンや派手な服着た若い子たちがいっぱいいた。
その中をのっちとゆかは進む。のっちが一緒だと、道の真ん中を歩ける。
のっちに引かれたゆかの手が嬉しそうに揺れている。
コンビニに着くと、店先でたむろってる若い子たちがのっちをジーッと見てた。
あ、DJの人だー、とか。かっけー、とか。モデルやってた人でしょー?とか。
ゆかの耳にはバンバン入ってくるのに、のっちはまるで聞こえてないみたいに、
ゆかの手を離して楽しそうにおつまみを見に行った。
やっぱりここらじゃちょっと有名人?人気者?なんだな。
離れてく背中を見つめながらそんな事を考えてると、不意にのっちが振り返った。
立ち止まってたゆかを不思議そうに見て、目を細めて笑った。
綺麗なボブの黒髪が揺れて、左の奥の八重歯が顔を出して。
嬉しそうに両手にミックスナッツを持って、照れたようにのっちは笑った。


———ぎゅう———


痛い。
あれ?痛い。
なにこれ?
なんか、痛い。
どこが?って聞かれたら困るくらい曖昧だけど、痛いんだ。どっかが。


帰り道雨が降った。
急に降りだした雨に、それまでゆっくりだった足取りを早めた。
のっちは着ていた上着をゆかにかけた。
「いいよのっち、風邪ひいちゃう」
ゆかがそれを拒んだら、
「こんな時くらいかっこつけさせてよ」
のっちはそれを拒んだ。







最終更新:2009年12月12日 20:06