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陽が沈むのも随分と早くなった。傾いた太陽が昼間真っ白だった雲を、薄紅色に染めていた。のっちは自転車を漕いだ。いつものように正門から出て、背中が寒いことに気付いた。今日は荷台が軽い。
のっちは、自転車を漕ぐことを止めて、ごそごそと自転車の籠に突っ込んでいたリュックサックから、ミュージックプレイヤーを取り出し、黒くていかついヘッドフォンを装着した。再び走り出そうとした最中、スカートのポケットが震えた。ポケットから携帯電話を取り出すと、未読メールが1件。
『のっち、もう帰った?』
無邪気な絵文字が使われている文面を読むと、のっちはすぐに返事をした。
『ううん。』
それだけ返事をすると、のっちは先ほど通った道を引き返した。その表情は無表情である。


自転車置場に着くと、のっちはまたメールをする。
『自転車置場で待ってる。』
『ありがとう。』
語尾にハートのついた返信を見ても、無表情なのっちは、あ〜ちゃんを待った。


数分してパタパタと女の子らしい小走りで、のっちの元にあ〜ちゃんが駆け寄ってきた。のっちが眉を垂らしながら小さく手を振ると、あ〜ちゃんは太陽のような笑顔を振りまいて、「お待たせ!」と言った。


再び自転車は走り出す。今度はのっちの背にぬくもりを、重みを与えながら自転車は進み続ける。のっちは何も言わなかった。あ〜ちゃんが今日いちにちの出来事を事細かく話してくれるものだから、それをうんうんと相槌を返しながら聞いていた。しかし、勘のいいあ〜ちゃんはそんなのっちの適当な態度をすぐに見破った。


「…今日ののっち、つまらん。」
「いつもでしょ。」
「違う、いつもはもっとやさしい。」


背中から伝わる声色が、のっちには無に感じた。いつもならあ〜ちゃんの声は、キラキラ輝いていて、色を付けるなら、桃色なのに、今日のっちが感じるあ〜ちゃんは、無だ。色がない。
のっちの冷たい態度を受けて、あ〜ちゃんは制服の裾を掴んでいた手の力を強めた。ぎゅっと捕まったそれは、のっちが背中で感じることが出来るほど強かった。


「嫌なら降りる。」
「降りなくていい。」
「……じゃあ、笑ってよ。」


のっち…、
名を呼ばれて背中にこつんとぶつけられたあ〜ちゃんのおでこが、のっちの心臓を締め付けた。もしかしたら、今日で最後かもしれないと、思いながら。


「…わかった。ごめん、あ〜ちゃん。」
「怒ってないん?」
「うん。」
「本当に?」
「うん。」
「よかった、のっちだいすき。」


力だけは強く、摘む箇所は、小さく控えめなあ〜ちゃんの指先が離れたかと思うと、今度は抱きつくようにのっちの腰にその腕を絡み付けた。背中にあ〜ちゃんのぬくもりを感じながら、囁かれただいすきは、弾けて消える。


「のっちも、あ〜ちゃんのことだいすきだよ。」






2人があ〜ちゃんの家に着く頃には、薄紅色に染まっていた雲は、もうすっかり暗闇でその姿をぼんやりとしか確認出来なかった。自転車のうしろから降りたあ〜ちゃんが、スカートの裾をぱたぱたと掃ってプリーツを整える。


「今日は、ありがと。」
「どーいたいしまして。」
「今日は、じゃなくて、今日も、か。」


困ったように笑うあ〜ちゃんは、のっちにとって新鮮だった。のっちが、こんなに情けないあ〜ちゃんを見た記憶は、今までになかった。
会話が消えた。
普段なら「じゃあ、また明日ね。」と言って、にこっと笑って別れの挨拶をして、家に入るあ〜ちゃんをしっかりと見届けてからのっちは我が家に帰る。なのに、いっこうにあ〜ちゃんは、家へ入ろうとする気配がない。沈黙だけが2人を包む。あ〜ちゃんと仲良くなってから、こんなにも気まずい沈黙を味わったことのないのっちは、焦った。


「…じゃあ、のっち帰るね、」
「待って、のっち。」


あ〜ちゃんがいっこうに「じゃあ、また明日ね。」のお決まりの台詞を言わないから、のっちから告げた。しかし、返ってきた言葉は、それを制した。
呼び止めたくせに、あ〜ちゃんは何も言わない。のっちは、ただ、あ〜ちゃんが何かを言い出すのを待った。一秒過ぎるごとに、心臓の音が大きくなるのが嫌でもわかる。


「のっち…聞いて?」

「あ〜ちゃん、松本くんと付き合うことになった。」


いちばん知りたかったことだ。けれど、いちばん知りたくないことでもあった。
あ〜ちゃんの瞳は、潤んでいた。何で潤むのか、のっちにはわからなかった。


「……おめでとう。」


あ〜ちゃんの眼は見ないで、のっちは「おめでとう。」と告げた。するとあ〜ちゃんは、心の糸が切れたかのように、ふにゃっと笑って「ありがとっ。」と言った。ハハハ、乾いた笑いを零しながら、のっちは素直に思った、あ〜ちゃん可愛いなあ、と。


ハツコイは実らないと誰かが教えてくれた。だったらのっちが開拓者になればいい。あんなにも強く思っていたのに、今は何もする気がない。




街灯がチカチカする夜道を、のっちは自転車でひとり走った。先ほど空を覆っていた雲はどこへいってしまったのだろう、空はのっちの心に反して今にも降ってきそうな無数の星が輝いていた。







最終更新:2010年01月19日 19:46