陽は、とっくに昇っていた。時計の短針は10を指している。「10時か…。」ベッドに寝そべったままののっちが呟いた。昨夜、あ〜ちゃんと別れて自転車を漕いで我が家に帰った後、帰って来たそのままの姿でベッドに倒れこんだ。弾んだスプリングが、のっちの身体をベッドに包み込ませた。昨日の疲れの取れていないのっちは、また、眠りについた。
「…いってきます。」
首元に、ぐるぐるとマフラーを巻きつけて、のっちは家を出た。学校へ行くのは4日ぶりだった。
あの日以来、のっちは光を失ってしまったかのように学校へ行く意味がわからなくなった。怠けていた身体は、そう簡単に改正するはずもなく、母親に促されるままに家を出た。のっち自身、そろそろ行かないと悪いなあ、と思っていたので、ちょうどよかった。
久しぶりに外へ出ると、肌に感じる風がより一層冷たく感じた。そんな肌も暫くすると、すぐに冷たさに慣れてしまう。
のっちが休んでいた間、あ〜ちゃんからは、しつこいくらいに毎日メールが来た。
『体調悪いの?』
『大丈夫?』
『何かあ〜ちゃんに出来ることある?』
ぼーっとした思考で、のっちは呟いた。「のっちと付き合ってよ……。」のっちの願いは部屋に流れる爆音の音楽にかき消された。
反対にゆかからのメールは、見て呆れた。あ〜ちゃんからのメールを見て消沈しきっていたのっちは、“ゆかちゃん”の表示に心を躍らせた。だが、その内容は、
『生きてる?』
ため息を吐いたのっちだったが、ゆかちゃんらしいなあ、と頬を弛ませた。
久しぶりの学校、久しぶりの教室。クラスでの付き合いがゼロに近いのっちだが、この日ばかりは数人から声をかけられた。
「大本さん、体調悪かったの?」
「んー…まあ、そんなとこ。」
ははは、と乾いた笑いをすると、そこで話は終了した。のっちの人付き合いの悪さが滲み出る。
昼休みになっても、のっちは席から立とうとしなかった。クラスメイトの視線を感じる。
「…大本さん彼氏と別れたらしいよ。」
「彼氏いたんだ?」
「いっつも昼休み消えるじゃん、アレ、彼氏に会ってるかららしい。」
のっちは、噂話を聞こえないフリをした。言わせたいヤツには言わせておけばいい。冷めた心が嘲笑う。のっちは昼食をとろうともせずに、ヘッドホンを装着し自分の世界に入り込んで、机に突っ伏せた。
がらりとドアが開く。クラスメイトの視線は、一斉のその人物に集まる。ずかずかと細い脚が教室の奥へと進んでいく。クラスメイトの男子のひとりが、ぽけーっとした顔で呟いた。「めっちゃ、かわいい…。」
その人物は、のっちの元へ近寄る。爆音で音楽を聞いているのっちは、その人物に気がつかない。苛立った人物は、のっちのヘッドホンをもぎ取った。
「いでっ、」
「あんた、いい加減にしなさいよ。」
「ゆ、ゆかちゃん!?」
急にもぎ取られたヘッドホンに引っかかった耳が、悲鳴をあげていると、のっちは頭上から罵声を浴びさされた。驚いてその人物を確認すると、ゆかだった。
「ちょっと、こっちきて。」
腕を引っ張られて体勢を崩しながらも、のっちはゆかに手を引かれながら教室を出た。
「あの、ゆかちゃん…。」
ゆかに手を引かれ、連れてこられた場所はこの間、あ〜ちゃんの告白を聞いた場所だった。ここは、ゆかが弁当を食べる場所。昼休みでも人気が少なくて、穴場だとのっちは以前聞かされた。目的地に着くと、ゆかはのっちの手を離し、胸の前で腕組みをした。その表情は、明らかに怒っている。
「ゆかがどんだけ心配したとおもっとんよ!」
「へ…?」
「メールしても返事はないし、学校には来てないみたいだし……。」
「あ、ごめ。」
「……“あの子”は、変な男と一緒に帰りよるし…。」
最後だけは、怒っていたゆかも声を抑えて、少しだけ、躊躇ってから告げた。のっちは、ゆかの“こういうところ”が好きだった。
「…あ〜ちゃんに、彼氏が出来た。」
のっちはゆかに告げた。ゆかは、驚いて円らな瞳を更に円くした。そこまで進んでいるとは予想していなかったゆかは、言葉が出ない。一方のっちは、諦めたように、うーんと背伸びをした。
「だいすきって、あ〜ちゃんはいっぱい言ってくれるのに、それは、のっちと一緒じゃないんよ。そう思ったら虚しくなった。」
振り向いて、ゆかに見せたのっちの表情は、やはり眉が垂れている。
「のっちもあ〜ちゃんのこと好きなのに、のっちの好きは、あ〜ちゃんとイコールじゃない。」
再びゆかに背を向けたのっちは、あ〜ちゃんと松本がいたであろう、場所を見た。そこには誰もいないのに、のっちの胸は微かに痛む。もう独占していいあ〜ちゃんは、いない。
「…仕方ないよ。ゆかたち、そういう恋、選んだんだもん。」
背後から投げかけたゆかの言葉は、今ののっちには冷たかった。当たり前のことだけど、夢を見ていたいと願っていた。
「そーだよね…、」
悲しげに相槌を打っていたら、うしろから抱きしめられた。のっちは背中に伝わる温度を、無言で受け止めて、回された手の甲にそっと自分の掌を重ねた。
のっちとゆかは、同じだった。のっちとあ〜ちゃんがイコールでなくても、のっちはゆかとならイコールになれる。この世界で、叶わない想いを抱き続ける限り。
背中に感じるぬくもりが続くのなら、もう少しだけ。
世界が今、ゆっくりと、終わりを告げようとしている。
最終更新:2010年02月06日 20:04