歯ブラシを動かしながら考える。
どうも今日のふたりは様子がおかしい。
その原因に心当たりが全く無いからさらに不気味。
のっちなんか変なことしたかなぁー…と考えをめぐらすも、毎日のように変なことをしてるから見当もつかない。
3人のうち1人が元気ないなら、2人で相談に乗ることができるけれど。
2人があんなに悲しそうな顔をしているのは見たことが無い。
優しいあ〜ちゃんやかしゆかが今ののっちの立場なら、1人でもきっとうまいこと元気付けるんだろうけれど・・・
残念ながらのっちにはそんな気は利かせられる自信はないです。
なんてのっちはダメな子なんだろう。
とか考えてるうちに、口の中にたまった歯磨き粉が辛くて、急いでうがいをして歯磨き終了。
こりゃ由々しき事態だ。
あの2人があんなになるのは、初めてだもん。
寮生共有の洗面所を出て、これまた共有のトイレに。
そのわずかな廊下の距離。
前方に、ゆかちゃんが見えた。
夜の廊下は足元の非常灯しかつかないのだけれど、そんな薄暗さの中でも、すぐにわかる。
スウェット姿のゆかちゃんは重い足取りだった。
「ゆかちゃん!」
もう消灯時間も近いから、小声だけれども強く、その名を呼んだ。
「・・・・・・」
かしゆかはゆっくり顔を上げてこちらを見たけれど、逃げるようにして自分の部屋の扉に手をかけた。
「え、ちょっと!」
自分でも驚くくらいの速さで駆け寄り、ゆかちゃんの腕をつかむ。
そのとき、初めて気づいた。
彼女の目に涙が浮かんでることに。
少ない灯りの中で詳しい表情は窺えなかったけれど、
目と鼻を赤くして涙を流す彼女は、今にも崩れそうなくらい儚くて。
その憂い顔に言葉が憚られたけれど、肩に手をかけて精一杯優しく尋ねる。
「どうしたの?」
from K
そう真剣な表情で尋ねてくるのっちの眼差しが鋭くて、彼女がのっちを好く理由を改めて実感した。
ううん、ずっと前からわかってた。
二人のことは、誰よりもわかってる。
いいところも、ちょっと悪いところも、好き嫌いも、いつもの癖も、どんな絵や字を書くかも、手の暖かさも。
誰よりも、みんながみんなを知ってる。
のっちは、こうやってふたりが弱っているときには必ず助けに来てくれる「スーパーガール」だから。
その不器用だけれどまっすぐな優しさが、私だって好きだよ。
でも、私がのっち以上に好きなあ〜ちゃんは、私以上にのっちのことを愛しているんだ。
のっちはいつものようにハの字眉で、私をなだめようとしてくれる。
その優しさが、私には痛すぎた。
そうしてほしいのは、きっと今寒い中ひとりでいるあ〜ちゃんだよ。
「——あ〜ちゃん・・・。おく、・・・じょ・・う・・・、」
そう搾り出すのが精一杯で、声は詰まるのに、涙はどんどん滲んでくる。
声にならない溢れた感情は、こうやって涙になっていくんだろうななんてどうでもいいことを考えた。
「・・・・・屋上?」
「・・・行って」
早く、行ってあげて。
「でも・・・」
誰よりものっちのことを想う人のもとに。
「いいから」
彼女が笑ってられるなら、私だって笑えるから。
のっちを自分でそう突き放しておいて。
あ〜ちゃんが、遠い国へ飛んでいってしまった気がした。
from N
ゆかちゃんの強い語気に気圧されて、彼女の言うとおりにするべきだと、直感的に悟る。
その細い体を強く抱きしめてから、最後に頭を撫でて、乱れた長い髪を手櫛で直す。
ゆかちゃんはずっと俯いたまま震えていた。
屋上への外階段へ向かう途中、もう一度振り返った。
ゆかちゃんの姿は、開いたドアでちょうど見えなくなっていた。
ゆっくりとドアが閉まり、廊下には静寂が戻る。
部屋でひとりでいる彼女のことを考えたら心が居たたまれなかったけれど。
一度長く目を閉じて、深呼吸する。
彼女の言葉通り、屋上に居るらしいあ〜ちゃんのもとへ階段を上った。
重い扉を開くと、冷たい風が体にぶつかる。
粗末な屋外灯しかない殺風景な屋上に、ぽつんと、いた。
「あ〜ちゃん」
しゃがんだまま丸くなっているあ〜ちゃんが肩にかけていたコートは、ゆかちゃんのものだとすぐにわかった。
そこから覗く顔が泣き顔だということは想像ついたけれど、実際に彼女の涙を見てしまうとかける言葉が見つからなかった。
何があったのかはわからない。
そんな詮索より何よりも、とっさに彼女を抱きしめていた。
いつものアロマキャンドルのバニラの香りがした。
どれだけ外に居たのか、彼女の体はとても冷たくなっていた。
震えを抑えるように、ぎゅっと強く抱きしめる。
気の利いた言葉ひとつも見つからなくて、こんなことしかできない自分がもどかしい。
「・・・・・痛い」
涙涸れした声のその言葉に慌てて体を離す。
「ごっ、ごめん!」
思った以上に力が入ってしまっていたらしい。
「ちがうよ」
あ〜ちゃんは静かにそう言って、私の手に指を絡ませてくる。
細いたおやかな指は冷えきって真っ赤になっていた。
そのまま私に体を預ける。
言動とかみ合わないその行動に戸惑ったけれど、黙ってあ〜ちゃんの背中に手を回した。
そのうち理解した。
「痛い」のはきっと、あ〜ちゃんの心や、ゆかちゃんの心なんだろうって。
どれだけの時間そうしていたかはわからないけれど、不思議と寒くはなかった。
「聞かないんだね。何も」
「・・・うん」
余計な言葉は付け加えず、返事だけした。
きっと、聞かないほうがいいことだってある。
「・・・よし」
途端に、あ〜ちゃんはいつもの声色でそう言うと、立ち上がった。
「ありがとう。のっち」
月明かりの逆光に照らされる中、あ〜ちゃんは今までに見る最高の甘い笑顔だった。
その笑顔を見たら、自然とまた笑顔になる私がいた。
やっぱり、あ〜ちゃんには笑顔が一番似合うよ。
あ〜ちゃんは夜景を見下ろしながら、長くうねった髪を風に揺らす。
振り返って微笑むあ〜ちゃんの瞳にはもう涙はなくて。
代わりに太陽みたいなきらきらした輝きが戻っていた。
最終更新:2010年02月06日 21:01