「あ〜ちゃんと友達になろう。」
西脇綾香が、のっちにそう告げてから早2週間が過ぎようとしていた。“あ〜ちゃん”こと西脇綾香は、学級委員長で成績優秀、そしてクラスの中心人物。そんな彼女があの日を境にしつこくのっちに付きまとうようになった。そして今日ものっちが、終礼が終わったと同時に席を立つと、のっちの後を追いかけて綾香も教室を出た。
「大本さん!」
「…なに?」
「一緒に帰らん? 今日委員会ないんだ。」
「…悪いけど、急いでるから。」
それだけ言い残すとのっちは、ポケットから愛用しているミュージックプレイヤーを取り出し、自分の世界に入り込むと、現実の世界をシャットアウトした。
しかし、その次の日も、そのまた次の日も、綾香は休み時間ごとにのっちの机にやってきては、一方的に話す。のっちは、話に特に相槌を打つわけでもなく、漫画を読んだり携帯電話を弄ったりしている。それでも綾香はめげなかった。のっちの態度に嫌な顔ひとつせず、それどころか笑顔を振り撒きに、のっちの席へやってきては、話していく。
「あ、あ〜ちゃんいいこと考えたんよ。」
「……。」
「大本さん、って呼ぶけえ仲良くなれんのよね、うちら。じゃけえ、これから大本さんは“のっち”じゃけえ!」
「……は?」
一方的に押し付けられた新しい名前。それには思わず黙っていられなくなったのっちが、やっと綾香の話に反応を示した。自分の話にやっと耳を傾けたのっちに嬉しくなった綾香は、ぱあっといつも以上に表情を輝かせた。
「やっとだ。」
「え?」
「やっと、あ〜ちゃんの話聞いてくれたね。」
初めてのっちが真正面から捉えた綾香の笑顔は、可愛らしかった。久しぶりに、可愛いという感情がのっちの中に芽生えた。不覚にも、心臓までもがどくんと波打った。
「ありがとう、のっち。」
「え? ああ、うん。」
「私のことは、あ〜ちゃんって呼んでね。」
「…うん。」
日が経つごとに2人の関係は、変わりつつあった。あ〜ちゃん、のっちと呼ぶようになり、あ〜ちゃんの委員会がない日は、一緒に帰るようにもなった。未だにのっちの返事は、素っ気無いままだが、素っ気無くとも反応を示すようになったのっちに、確かにあ〜ちゃんは手ごたえと喜びを感じるようになっていた。
季節は、冬。2月に入って2週間ほど経った日、一段と冷え込んだ今日、授業が終わるとのっちはあ〜ちゃんと帰宅する約束をしていた。先生にノートを提出しに行っているあ〜ちゃんを下駄箱で待ちながら、随分と仲良くなったよなあ、と、のっちはあ〜ちゃんと仲良くなった経緯を辿っていた。すると、同じクラスの女の子数人が、キャッキャッと甲高い声を発しながらはしゃいでいる姿を発見した。のっちは、彼女たちを見つめた。すると、ひとりの女の子の手に、可愛く包装された小さな箱があった。それを見た瞬間、今日が2月14日だということに気付く。
思い返せば、先週あ〜ちゃんと一緒に帰った際に、バレンタインの話題になった。元々、恋に疎いのっちは、バレンタインデーにチョコレートを意中の人に渡したことがなかった。バレンタインとは、無縁の生活を送っていたのっちにその話題は、興味がなく、あまり聞いてもいなかったが、あ〜ちゃんが楽しそうに「生チョコ作るんよー。」と言っていたのだけは、記憶にあった。楽しそうに話すあ〜ちゃんを見て、のっちは、あ〜ちゃんは好きな人がいるんだ、と悟った。いくら恋に疎いのっちでも、バレンタインにはしゃぐあの笑顔を見れば、恋をしているかどうかは判断出来た。せっかく出来た友達が、嬉しそうにバレンタインの話をするのを聞いて、のっちは少し寂しくなった。
「おまたせ!」
小走りにのっちの元にやってきたあ〜ちゃんに、小さく手を振った。そして学校を後にする。
暫く他愛もない話をしたあとに、のっちは気にかけていたあの話題を振った。
「バレンタイン、渡せた?」
「え?」
「あ〜ちゃん、好きな人おるよね?」
「何いよん、のっちー。おらんよ。」
「へっ?」
意外なあ〜ちゃんの反応にのっちは、思わず声が裏返る。一方のあ〜ちゃんは裏返ったのっちの声にけらけらと楽しそうに笑う。
「だって、バレンタイン、楽しみにしてたじゃん。」
「え? あー、友達にチョコあげるけえ、あ〜ちゃんお菓子とか作るん好きじゃけえ、ウキウキしとっただけよ。」
「なんだ…。」
「あれ? のっち焦った?」
「なんで。」
「あ〜ちゃんに好きなひとおるかと思ってー。」
その言葉をあ〜ちゃんから聞いて、のっちの脳内には、はてなマークが散らばった。友達に好きなひとがいて、何故、焦るのか、のっちには理解出来なかった。
結局、あ〜ちゃんからのバレンタインのプレゼントはなかった。
そりゃそうか、まだ仲良くなって1ヶ月も経ってないし、のっちは少しだけ落ち込みながらも、自分自身にそう言い聞かせた。あ〜ちゃんの家の前でバイバイして、とぼとぼそんなことを考えながら家に帰った。
最終更新:2010年02月19日 20:25