立っているだけでじわじわと汗ばむ感じ。
だけどたまに吹く風はまだひんやりとしていて。
季節は止まることなく進んでゆくのに、視界いっぱいに広がる海は、いつだって変わらずに揺れている。
海を眺めるのが好き
心が穏やかになるから
そんなことを言う人はたくさんいるけど、そんなの絶対嘘。
ただのロマンチスト。自分に酔ってるだけ。
底は真っ暗で、いつだってゆらゆら揺れて飲み込まれそう。
ただただ怖い、それだけだ。
海に隣接するショッピングモールは、日曜日の昼間ということもあり、家族連れなどで賑わっている。
ーラストがさぁ、やばいよねっ
背後で女の子達の声が通りすぎた。
ゆかにはすぐに分かった。彼女たちは映画館に行ったのだと。
嫌だ聞きたくない。 ゆかだってほんとは今日…、
いや、もう考えるのはよそう。平気、平気。
少しずつ小さくなっていく声を聞きながら、ゆかは小さく唇を噛んだ。
握りしめていた携帯。
《おばあちゃんが来るから、今日ごめん》
そんな悪夢のような画面を写したまま、かれこれ三時間ほど経つだろうか。
今地球上で、なんだか自分だけが不幸な気がして仕方ない。
ゆかは、胸まである策から半分身を乗り出し、自分しか映らない真っ暗な海を覗き込んだ。
うっすらと周りが暗くなったと思った瞬間、覗き込んでいた海が不規則な動きになった。
雨だ、そう思いながらもゆかの頭は冷静で。慌てる人々の声を背中で聞いていた。
楽しい日曜日なんて、最初からなかったことになればいい。
今のゆかは、この雨に感謝したいくらいだった。
だけどずっとこうしているわけにもいかない。
ゆかはくるりと振り返り、人影のなくなった海沿いをゆっくりと歩き始める。
胸の辺りにそっと掌をだすと、雨の滴は指と指の隙間からあっという間に流れていった。
何だって同じ。掴めそうで掴めない。
その間にも雨は強さを増し、地面に落ちるサーサーという音がはっきりと聞こえるほどになっていた。
ほら、こんな時だって誰も傘になんて入れてくれないんだ。
そんなドラマみたいなこと、あるわけない。
ゆかは、いつか彼女が話していたバカみたいな夢の話を思い出していた。
歩く度に規則的に刻んでいたヒールの音も、走る車に打ち付ける雨の音でいつの間にか聞こえなくなっていた。
映画見に行こうって、一緒に見たいって…
誘ってくれて、ゆか、嬉しかったのに。
ゆかがあれ見たいって、何気なく話したこと、覚えてくれてたんだって、嬉しかったのに。
…そうだよね、別にのっちにとって、ゆかは特別でもなんでもっ、
その時、慣れはじめていた雨の冷たさとは明らかに違う生温かい感覚が、ゆかの頬を伝うのがはっきりと分かった。
この日のために買った新しいワンピースは、すでに雨で色を変えていた。
何でゆか泣いてんの…、ばかみたいっ、
ゆかは走った。
もう家はすぐそこまできていた。
だけど、雨から逃れられただけの幸せなんて、ゆかにはいらない。
お気に入りのパンプスのほんの少しの隙間からでも、雨は染み入った。
このパンプスはヒールまでキラキラで可愛いねって、いつかのっちが褒めてくれたんだ。
ゆかはまた、小さく唇を噛んだ。
そして信号が青色になる。
ゆかは、渡らなければならない。
気づくとすでに雨は弱まっていた。
体にまとわりつくワンピースが気持ち悪い。
雨が弱まると同様、ゆかの足もスピードを落とした。
この大通りを渡り、角を曲がればゆかの家。
家を出る時、そう、ほんの三時間前まで、ゆかは幸せだったのに。
まさかこんなことになるなんて。
ゆかにはやっぱり不幸が似合うんだ。
角を曲がるとひときわ大きなマンションが目に入る。
真っ白な外壁に、不揃いに並ぶ円の模様。
そこの8階がゆかの家。
雨はもう完全に止んでいた。
また楽しい日曜日が再開する。
ゆかは生まれて初めて神様を憎んだ。
…もうやめ。もう何も考えない。
のっちなんて、もう、のっちのことなんて…、
えっ…、
マンションの正面、20メートルほど離れた場所で、ゆかは立ち止まった。
入口の小さな屋根の下。
そこにあった人影は、ゆかに気づくと、目を見開きしばらく驚いた表情をした後、少し眉を垂らし、叫んだ。
ー似合ってるね、そのワンピース!
5秒後には、その胸に飛び込むゆかがいるだろう。
だけど、抱きしめられるだけの幸せなんて、ゆかにはいらない。
ゆかの視界はくっきりとしていた。
再び太陽は顔を出そうとしていた。
最終更新:2010年04月05日 21:55