単純だな、と思った。
「あ〜ちゃん、やばいわ、やっぱ可愛い。」
「なんいよん! ほんまのっちはアホじゃわ。」
もうこの言葉、何度聞いただろうか。かしゆかは、今日もまた、繰り返される言葉を呆れながらも聞いていた。のっちがあ〜ちゃんのことを可愛いと発言するのは、最近になって始まったわけではない。いつ頃だったか、あ〜ちゃんのことをのっちが異様に可愛いと言うようになった。最初こそ、恥ずかしがって赤面していたあ〜ちゃんも、今では冗談っぽく交わせるようになっていた。のっちがあ〜ちゃんを可愛いと言う度に、かしゆかは、ヒトってなんて単純なのだろう、と思う。
のっちのこの感情が恋だとしたら、かしゆかにしてみればとても興味深い。互いに幼き姿を知っていて、共に成長する姿を見てきた仲だ。友情、または家族愛にも近い感情を抱いているはずなのに、それが恋愛感情に変わる瞬間はどのようなものだろう、かしゆかは興味を抱いた。
だって、ヒトの感情なんて単純だから。
のっちがあ〜ちゃんを可愛いと思ったりすることは、本当に単純で、単細胞だから。いつか、かしゆか自身も、単純にヒトに対して可愛いと思ったりすることがあるのだろうか。だとしたら、とても興味深い。現に、目の前で繰り広げられる夫婦漫才は、可愛くて仕方がないが、この感情もいつか、と、かしゆかはぼんやり考えた。
本当にヒトの気持ちなんて、単純だから。
仕事終わりに、「ちょっとお菓子でも食べていかん?」かしゆかの家の付近を通ったときに、かしゆかがあ〜ちゃんに投げかけた言葉だった。一瞬驚いて、目を丸くしたあ〜ちゃんだったが、すぐに首を縦に振った。茶色や白などのシンプルな家具で統一されたかしゆかの部屋で、今夜はふたりだけのお菓子パーティーが繰り広げられる。
だが、お菓子パーティーは、お菓子を食べるだけでは終わらなかった。盛り上がりすぎた深夜のガールズトークは、あっという間に終電の時間になろうとしていた。時間に気付いたあ〜ちゃんが、慌てて立ち上がろうとするのを引きとめたのは、かしゆか。
「あやちゃん。」
「ん?」
「今晩、泊まっていかん?」
お菓子パーティーは、お泊り会へと名を変えた。あ〜ちゃんは、携帯電話を取り出して、母親へとメールを入れた。
そうと決まれば、と、かしゆかはお風呂を沸かした。浴槽にお湯を張って、買いだめしておいた入浴剤の中から、あ〜ちゃんが好きそうなローズをチョイスして鼻歌交じりに粉末を湯に溶かした。じわじわと粉末が広がって、すぐに湯は桃色に染まった。
あ〜ちゃんがお風呂に入っている間、かしゆかはひとり、つまらない深夜番組を見ていた。この時間にしている番組は、どの番組も下品で好きではない。頭に入れる気もないテレビ番組をぼんやり眺めては、あ〜ちゃんが出てくるのを待った。
「ゆかちゃん、お風呂出たよー。」
背後からあ〜ちゃんの声がして、振り向くとさっぱりとしたあ〜ちゃんの姿があった。まだ湿ったままの髪の毛をタオルで押さえながら、かしゆかのスエットを着ているあ〜ちゃんは、何だかとても色っぽい。
思い返せば、お泊り会なんて、当分していなかった。遠征先で、のっちを入れた3人で夜遅くまでわいわい過ごすことはよくあるが、誰かの家に泊まるなんて。それが、しかも3人ではないなんて。かしゆかは妙にドキドキした。かしゆかが、胸の高鳴りを隠して脱衣所へ向かうと、あ〜ちゃんもそこへとやってきた。
「ゆかちゃん、化粧水、ある?」
「あっ…そこにあるよ。」
脱衣所と洗面所は同場所にある。仕切りも何もない。かしゆかは、一瞬、脱ぐのを躊躇った。すると、ぺちぺちと鏡に向かって化粧水をつけるあ〜ちゃんと、鏡越しに目があった。化粧も落としてしまって、素顔のままのあ〜ちゃんに微笑まれて、純粋に、かしゆかは、可愛いな、と思った。と、同時にこれではのっちと変わらないじゃないか、と自分自身に呆れて苦笑を零した。
本当は、ずっと前から。
2人のことが可愛くて仕方がなかったし、結局は、かしゆかも単純で単細胞だから。同じようにあ〜ちゃんに惹かれるのも、ずっとずっと前からわかっていたことだけれど。だから、かしゆかは今夜、あ〜ちゃんを引きとめた、泊めた、罪悪感は少しだけある。でもこれも、単細胞だから、で、済ませる気がしていた。
「あやちゃんの、くちびる、ってさ。」
「んー?」
「すっぴんのとき、ぷっくらしてて、可愛い。」
これが初めてかしゆかが、あ〜ちゃん本人に向けて発した、可愛い、だった。あ〜ちゃんは照れた笑いを見せて、自分で自分の下唇をぷくぷくと触りながら、「そうじゃろうか?」と言った。
「うん、そうだよ。可愛い。」
「えー? あ〜ちゃんにはわからんわあー。」
「下唇が、ぷっくりしてるのっていいよね。」
かしゆかがあまりに褒めるものだから、あ〜ちゃんは自分の下唇を人差し指でぐりぐり押し当てながら、首を傾げた。
「やっぱり、わからんわ。」
「ええー?」
「だって、そんなん急に言われてもわからんけえ。」
「そうかなあ?」
「じゃあね、ゆかちゃんはね、」
「うん。」
「あ〜ちゃんみたいな唇の子には、ちゅーしたくなるん?」
鏡越しに、また視線が絡まった。物欲しそうなかしゆかの目は、あ〜ちゃんの目から、唇へと移動する。視線が、あ〜ちゃんの唇を捉えると、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……なるよ、ゆかは。」
「そうなんじゃー。」
「だから、」
「うん?」
「ちゅーしてもいい?」
鏡越しに、見ていたあ〜ちゃんの唇が、ゆっくりと開いた。
「…いいよ。」
その言葉に、吸い込まれるかのように、かしゆかの唇は、あ〜ちゃんの唇と重なった。
結局は、3人とも単純だから。
欲望のまま生きて、言いたい言葉は伝えて、それでもって幸せを見つけることが出来るのなら。それでいいよ、と、かしゆかは思いながら、口づけは深まるばかりだった。
最終更新:2010年04月05日 22:30