土曜日。夕食を食べ終えたのっちが、自分の部屋でゲームに夢中になっていると、携帯電話が鳴った。普段鳴らない携帯電話の着信に気をとられていると、ゲームオーバー。真っ暗になった画面に映し出されたゲームオーバーの青い文字を見て、ガクッと肩落としてそのままベッドに寝転んだ。ふうっと息を吐いて、めいいっぱい伸ばした右手が、やっと携帯電話を掴まえた。受信ボックスを開けば、並んだ名前は、全て同じだった。
『会いにきて』
それだけ、絵文字も何もなく画面に表示された5文字を見て、のっちはベッドから起き上がった。部屋着と化した高校のジャージを脱ぎ捨て、ジーンズに履き替えてモッズコートを羽織って部屋から飛び出た。
「彩乃、どこ行くの?」
玄関で靴を履いていると、がさがさと物音を立てながら家を出ようとする、娘に気付いた母が声をかけた。のっちは、振り向かずに告げた。
「友達のとこ、」
「あ〜ちゃん?」
「違う、別の子。」
「…彩乃、」
「なに?」
母の少しトーンの下がった声に、のっちは振り向かずにはいられなくなった。
「あんまり遅くならないようにしなさいよ。」
「…うん。」
のっちは静かに家を出た。寂しげに閉まったドアがまるで母のことのように思えて、のっちは胸が痛んだ。母親は、口には出さないが最近帰りが遅く、無断外泊をもするようになった娘のことを心配していた。中学時代、無口でむすっとした態度ばかりとるのっちが、あ〜ちゃんのおかげで変わっていく姿を母親は間近で見てきた。のっちは、自分が最近あ〜ちゃんと上手くいっていないことを、母は薄々感づいているだろうと思った。
自転車に跨ったところで、返信を打つ。
『今、行くから。』
自転車を漕ぎ出そうとしたときだった、人影が自分の家の玄関の前に見えた。母が相手をするだろうと、のっちは人影に構うことなく自転車を漕いだ。
「のっち!」
その声に、身体は反応する。
「…あ〜ちゃん。」
「今、時間いい?」
のっちは携帯電話を開いて時刻を確認する。暫く考えたあとに、首を縦に振った。
のっちとあ〜ちゃんは、歩いて近くの公園へと向かった。自転車は押して歩いて、あ〜ちゃんの指定席だった自転車の“うしろ”は、空席のまま。
公園に着くと、どちらともなくベンチに腰掛けた。冬の夜のベンチは、ひんやりしていて体の心から冷やしていくようだった。予想以上の冷たいベンチに驚いたあ〜ちゃんが、静かに、「寒いね。」と言った。のっちは答えない。あ〜ちゃんは、小さく動揺して視線を泳がせた。
「のっち…。もう、うちら、前みたいに戻れんの、かな…っ。」
あ〜ちゃんの上ずった声が、のっちの耳に届いた。その言葉は、今ののっちを心底癒してくれる、最上級の言葉だった。
「…なんで、」
「だって、前みたいに、のっち、わらって、くれんけえ…」
薄暗い公園内でも、あ〜ちゃんが目を擦る姿が確認出来てしまう。のっちは、小さく震えるあ〜ちゃんを抱きしめたい衝動に駆られた。
久しぶりに近くに感じたあ〜ちゃんからは、懐かしいような、いつものっちの鼻と心を擽っていた匂いがした。
「のっ…!?」
急に抱きしめられてあ〜ちゃんは、驚いてぱちりとした二重の目を大きく見開いた。名前を呼びかけても、のっちは何も言わないまま、あ〜ちゃんの首筋に顔を埋めた。あ〜ちゃんの匂いがする、それだけでのっちは泣きそうになった。自分自身が胸に秘めてきた恋心、大事にしてきたあ〜ちゃんが、いとも簡単に奪われた。いろんな想いが入り混じってのっちの瞳は、潤み出す。けしてあ〜ちゃんに見られないように、その情けない顔をのっちは必死に隠した。
「のっち…。」
のっちの気持ちを察したかのような、あ〜ちゃんのふんわりとした優しい声が、寒い夜の公園の空気さえも暖めていく。ゆっくりと、あ〜ちゃんものっちの背中に腕を回した。
抱きしめ返された途端、のっちは閉じていた目を開いた。柔らかに触れたあ〜ちゃんの腕が、のっちを呆気なく現実に引き戻した。のっちは、あ〜ちゃんを抱きしめていた腕を解いた。そして、俯いたまま、ゆっくりと口を開く。
「………った。」
「え? なに?」
あ〜ちゃんは、耳元で喋ったはずののっちの声があまりにも小さかったから、聞き返した。それと同時にのっちは解いた腕をあ〜ちゃんの両肩に添えて、身体を引き離した。冷たい風が2人の間を吹きぬける。
「…ゆかちゃんとヤッた。」
「え…?」
「のっち、ゆかちゃんとセックスしたんだよ。」
のっちは、笑っていた。
あざ笑うかのように、これで解放されるんだと、あ〜ちゃんを見つめた。
最終更新:2010年05月17日 20:47