すごく覚えてる風景がある。
あたしにとって決定的だった出来事、ってゆうか。
あたしの何かを、そして3人の関係性を決めたんじゃないかな、って勝手に思ってる。
まるで昨日の事みたく、思い出せる。
あの時の、あ〜ちゃんの真っ青な顔。
保健室のベッドで、あ〜ちゃんはぐったりと目をつぶっていた。
あたしの、足が止まった。
動揺して、保健室の入り口で固まってるあたしを、先に来ていたゆかちゃんがちらりと見て、
「あ〜ちゃん、眠ってるから。外に出よ?」
と淡々と言い、あたしの背中をそっと押した。
この時あたし達は中学生で、ゆかちゃんは今より幼い顔立ちだったけど。
その場の空気を察した気遣いが出来る、落ち着きがあった。
対してあたしときたら。
ゆかちゃんに促されて出た廊下で、落ち着きの無い小型犬のようにぐるぐる回りながら、
「あ、あ〜ちゃん、あ〜ちゃんどうしたん!?倒れた、ってどしたん!?」
「…大したことないよ。ちょっと、心労、じゃない?」
「ししししんろう!?新郎、って…!?」
「のっち、漢字変換間違っとる。ストレス、じゃろ」
「ストレス…?」
「…あ〜ちゃんのクラス、何かごちゃごちゃしとんじゃろ?」
のっち、あ〜ちゃんと同じクラスでしょ、って言うふうに、ゆかちゃんは肩をすくめた。



中学3年の時あたしとあ〜ちゃんは同じクラスだった。
あたし達のクラスは、何か変にグループ同士が対立してて、雰囲気良くなかった。
高校受験のストレスとか、そんなんもあったのかな。妙に鬱屈した、とげとげした空気が重苦しくのしかかってる感じで。
あ〜ちゃんは友達が多いから、どこのグループにも仲が良い子がいて、すごくやりづらそうだった。
あたしはまあ、元々どこのグループとも関わり無いし、あ〜ちゃんがいればそれで大満足で。そこそこマイペースにやってた感じ。
グループのいざこざに巻き込まれながらも、それでも友達を大事にするあ〜ちゃんを、マジ天使だとか脳天気に思ってた。
あたしにとってはあ〜ちゃんは超カッコよくて人気者で、世界一カリスマなイメージで。
決してしおれちゃうことの無い、太陽のような女の子って、思い込んでた。
だから。
すごくすごく、ショックだった。
あ〜ちゃんが、あんな真っ青になるくらい弱っちゃうことが。
そしてそれに気付かなかった自分が。



「…とりあえず、先生にタクシー呼んでもらっとるけえ。家まで連れて帰らんと」
「…ゆかちゃんは、あ〜ちゃんから何か聞いてたん…?」
「うーん、まあ相談は受けとったけど。ゆかは、適当な距離持っとくようすすめたんだけど、あ〜ちゃんはそういうの出来んじゃろ」
「あー、うん…」
「みんなと仲良くやっとったら、今度は調子良いとか言われちゃって」
「…どこのどいつだ、そんなこと言うヤツ!!」
うちの自慢のあ〜ちゃんに、ってあたしは悔しくて地団太踏んだ。
茹で上がったきのこみたいに逆上してるあたしに、
「のっち、キャンキャン吠えない」
と面倒くさそうに言って、
「あ〜ちゃんの性格から言って。
自分のことを悪く言われるのもつらかっただろうけど、それ以上にさ、
ただ嫌だったんじゃろ?友達を大切に出来ない状況が」
ゆかちゃんは淡々と続けた。
「そうゆうの、分かっとったのに。
要領よく、とか立ち回り方とか、そんな計算ばっかアドバイスしたって、…何の役にも立たんよね」
さばさばとした口調で投げやりに言いながら、ゆかちゃんは下唇を噛んだ。
この器用で頭の良いゆかちゃんが「役に立たない」なら、ましてやあたしなんか役に立つ言葉なんて持ってるわけなく。
あたしはゆかちゃんにかける言葉が見つからず、飼い主をなくした犬みたく、冷たい廊下でぽつんと突っ立っていた。



あ〜ちゃんを送るタクシーの中、3人とも無言だった。
気分の良くないあ〜ちゃんの為に少し開けた窓から、柔らかな風が入って来る以外、何もかも止まってるみたいに、とてもひっそりとしてた。
あたしは後部座席の端っこで、目を閉じていた。
もう片っぽの端っこに座ってるあ〜ちゃんの、柔らかい髪の香りがほのかに漂って来た。
あたしはあ〜ちゃんの青白い顔をのぞき込んで、乱れた髪を直してあげたりしたかったけど。
窓の方に顔をそむけて、じっと、目を閉じていた。
…だって。
目を閉じてても、まぶたの中に浮かんできたから。
元々色白のあ〜ちゃんの頬に、今はうっすらと青みがかかり、透き通るように弱く輝いてること。
いつも口角の上がった笑顔の絶えない唇が、今はしおれた花みたく、薄く開いてること。
その、雨にうたれた白い花のようなあ〜ちゃんに。
あたしの、胸がざわついた。
それは、決定的な感情だった。
今まで名前を与えていなかったものの存在を、認めざるを得ないような。
逃れがたい、強い、感情。
ざわざわと、胸がうずくように、目を覚ました衝動。



…そう、衝動的に。
あたしはあ〜ちゃんの青ざめた頬に触れそうになった。
胸の奥底から突き動かされるように、あたしは、ただただあ〜ちゃんの薄く開いた唇に、触れたくて。
弱く閉じたまぶたに、青く冷えた頬に。どうしようもなく触れたくて。
あたしは。
もはや抑えきれないほど。
あ〜ちゃんを、ただ抱きしめたい、と思っている自分に気づいた。
…あーあ。やっばい。完璧に、やばい。もう、冗談に出来ない。
あたしはまぶたに、ぎゅっと力を込めた。
目を閉じた薄闇の中でも、いったん色づいた感情は、鮮やかに花開くばかりで、あたしはめまいがした。
締め出そうとしても、浮かんで来る、あ〜ちゃんの頬や唇。
…そして。
ゆるくつながれた、白い手。
あたしはまたぎゅっと目をつぶった。眉が八の字になるのが分かった。
あ〜ちゃんの手と、軽くからめるようにつながれている、ゆかちゃんの手。
真ん中に座ってるゆかちゃんに、あ〜ちゃんは少しもたれるように身を寄せていた。



あ〜ちゃんを支えるようにゆかちゃんが肩をかしていて。
甘えるようなあ〜ちゃんの右手が、軽く添えられたゆかちゃんの左手を、柔らかく握っていた。
当たり前のように自然に、寄り添ってるあ〜ちゃんとゆかちゃん。
それは静かで、とても繊細な光景だった。
泣きたくなるくらい、綺麗な。
ゆかちゃんに、弱い自分をすっかりあずけてるあ〜ちゃんは、とても無防備で、ぞくぞくするくらい「女の子」に見えた。
…あーあ。ほんとに、やばいなあ。
『あたしが初めてどうしようもなく抱きしめたいという強い恋心を自覚したのは、その人が他の人と分かちがたく寄り添ってる時でした』
そんな風に胸のうちで自虐的にナレーションをしながら、あたしはむっつりと目を閉じていた。
実にあたしらしくへたれなタイミングで、恋は加速を始めた。
絶望的なスピードで。


#4へつづく







最終更新:2010年05月17日 21:09