パチンッ。


乾いた音が、静まり返った公園内に響いた。冷たい肌と肌がぶつかって、冷えた空気が一層、痛みを加えた。途端のっちは気付いた、あ〜ちゃんに打たれたのだと。
のっちは、あ〜ちゃんの顔を見ることが出来なかった。


「……な、んで…なんっ?」


興奮し、息を切らしながらあ〜ちゃんはのっちに尋ねた。何でって、のっちは可笑しくなって小さく笑った。


「…ゆかちゃんのことが、好きだから?」
「のっち、何でよ、何でなんよっ」
「…あ〜ちゃんには、関係なくね?」


のっちがぼそっと呟いた言葉に、あ〜ちゃんの瞳から涙が零れる。のっちが気付いたときには、もはや手遅れ、あ〜ちゃんは涙を零しながら、のっちを睨むように見つめていた。


「もう、勝手にしんさい、」
「…最初に勝手にしたのは、あ〜ちゃんだよ。」
「なんいよん、」
「だって、松本くんと付き合ったでしょ?」


あ〜ちゃんは、“松本くん”の名前に反応した。ハッとして、罰が悪そうに視線を下げた。


「でも、それは…。」
「いいじゃん、あ〜ちゃんも好きなひとと付き合ってるんだから。」


のっちは、喋っていて自分の視界が歪んでいくのを感じた。感じたから思わず、顔を伏せて暗闇と、知らぬ間に長く伸びた前髪で、あ〜ちゃんから逃げた。本当はこんなこと言いたくない、脳内で浮かぶ度に、自分自身の気持ちを押し殺して。


「じゃあ…ゆかちゃんが待ってるから、行くわ。」


のっちは、あ〜ちゃんに背を向ける。目を合わせることなく、別れを告げて、静まり返った公園にサクサクと足音を残していく。自転車のサドルに跨った瞬間、力を入れて漕いだ。どんどん加速する自転車は、のっちの身体に風を打ちつける。


「ああっ、ああ…あ〜ちゃん、好きだ、好きだ…っ」


嗚咽と共に洩れた叫びは、もう届けるつもりはない。嫌われたのならそれでいい、それでいいから、もう解放されたかった。自転車を夢中で漕ぎ続けている間、再生されるのは、あ〜ちゃんの笑顔。出会った当初のものから、のっちの誕生日を祝ってくれたとき。のっちの思い出には、いつもあ〜ちゃんがいた。あ〜ちゃんありきの、のっちだった。そんなあ〜ちゃんを自分自身で手放すことになるなんて、のっちがいちばん驚いていた。こうなることを望んではいない。これからも、ずっと。




夢中で自転車を漕いで、無意識のうちに着いたのは、マンション。インターホンを押すと、もう聞き慣れた高くて可愛らしい声。


『ちょっと、のっち? 遅いんじゃないん?』
「………。」
『のっち? どしたん?』


のっちの異変に気付いたゆかは、すぐにドアのロックを解除した。解除された扉を抜けて、のっちはエレベーターでゆかの部屋へと向かう。部屋の前へ着く直前で、ゆかがドアを開けて待っていた。互いに何も発することなく、のっちは玄関で靴を脱ぐ。今にも消えてしまいそうなくらいののっちを、ゆかは無言で抱きしめた。のっちはそのままゆかに身を委ねる。


「どしたんよ?」
「……。」
「何も言いたくないん?」


のっちはこくんと頷く。すると、ゆかはのっちの頭を撫でながら、小さく「そっか。」と言った。のっちはゆかの肩におでこを乗せて、気持ちを落ち着かせていた。


「…ゆかちゃん。」
「ん?」
「のっちの、彼女になって?」


撫でていた指先の動きは、止まる。止まった代わりに、ゆかの手は、のっちを包み込むように背中でしっかり結ばれた。


「いーよ。」


行き場のなくなった想いが、辿り着いたのは、まだ慣れない細い腕の中だった。






最終更新:2010年05月17日 21:49