「じゃあね、のっち。」
玄関先で、別れの挨拶を交わし、あ〜ちゃんがのっちに背を向け、歩いていく。
「あっ…。」
「どしたん?」
のっちが微かに零した声に反応して、あ〜ちゃんは歩くことを止め、振り向くと、首傾げる。
「やっぱり、送ってく。」
「のっちの愛車のうしろ、久しぶりじゃー!」
軽快に走る自転車が受ける夜風は、心地よいと感じるほどになっていた。思い返せば、あ〜ちゃんを最後にうしろに乗せたのは、まだ冬が始まって間もない頃。のっちは、背中に感じる温もりを懐かしく思った。腰に巻きついた落ち着きのない腕も、ぴたりと引っ付いた柔らかい身体も。どれも、あ〜ちゃんとゆかでは違った。あ〜ちゃんをうしろに乗せていると、のっちの心臓は無条件にドキドキした。時には、耐えられなくなって苦しんだ。一方、ゆかには、何故か安心感を覚えた。のっちは、今日、再び、あ〜ちゃんをうしろに乗せることで気付く。
久しぶりの自転車の二人乗りに、あ〜ちゃんははしゃいだ。のっちは、背後から聞こえるキャッキャッとした声に、素直に喜んだ。調子に乗って時折、くねくねと危なっかしい運転をしてみれば、うしろから懐かしいあ〜ちゃんのチョップが飛んできた。思わずのっちは、にやけた。
あ〜ちゃんの自宅まで、残り5分を切った頃だった。突然、何も喋らなくなったあ〜ちゃんを不思議に思ったのっちは、あ〜ちゃんの名を呼んだ。
「あ〜ちゃん?」
「…あたしね、のっちのこと待つけえ。」
「え?」
のっちは、うしろを振り向きたくとも振り向けない。ぴたりと背中に密着したあ〜ちゃんの表情は、のっちからは見えない。
「いつまでも、待つけえ…やっと気付いたんよ、のっちがおらんとダメだってこと。」
「……っ、」
「いくら松本くんと仲良くしとっても、のっちと上手くいってないけえ、心が不安定なんよ。気付くの、遅すぎたね。」
「そんなこと……。」
「ありがとう。」
それっきり、あ〜ちゃんは何も言わなかった。のっちも、何も答えることは出来なかった。
昨晩も案の定、のっちは眠りにつくことが出来なかった。ここ最近の睡眠時間が2〜3時間ののっちはボーっとする頭を無理に起こして、自宅から学校へと向かった。のっちの心境とは裏腹に、誰も乗せていない自転車のうしろは、軽すぎて自転車は軽やかに進む。
駐輪場に着き、自転車を止め、ふと顔を上げると、柱に凭れ掛かっている人がいた。のっちは、眉を垂らして、その人の元へ歩いていった。
「どしたん、情けない顔して。」
ゆかは、何とも言えないのっちの表情に、くすりと笑みを零した。のっちは、何も言えないまま、ゆかの前へ立った。チャイムが鳴った。予鈴だ。
「このまま、サボっちゃおっか。」
のっちは、ゆかに手を引かれるまま歩き出した。
手を引かれるまま歩いてゆき、着いた場所は、懐かしい場所。屋上へ繋がるドアノブをゆかが、ガチャガチャと回してみるも、しっかりと施錠されていた。ゆかは、「屋上は、やっぱ開いてないかあー。」と残念そうに声を洩らしたが、のっちは何も言えなかった。屋上は、あ〜ちゃんとのお弁当を食べる場所、のっちを幸せに導いてくれる場所。
「仕方ないね。」と言いながら、ゆかは階段に座った。のっちもゆかの隣に座る。空は明るくても、普段誰も出入りすることのない屋上は、薄暗い。ドアには、すりガラスになっているが、そこから入ってくる光は少ない。
のっちは、ゆかに今日告げようと思っていた。これからのことなど、今ののっちには浮かばなかった。けれど、事実だけでもゆかに知ってもらおうとしていた。タイミングが掴めなくてもじもじしていると、ゆかが話しだした。
「ねえー、のっちぃ?」
「な、なに?」
「もし、ゆかとのっちが別れても。」
「……わ、別れても?」
ゆかがいきなり別れ話を切り出してきたのかと思い、のっちは眼を丸くしてゆかを見た。そんなのっちの顔を見て、ゆかはケラケラ笑う。
「たとえ話じゃろ?」
「う、うん…。」
「…ゆかは、またのっちと出会えると思うんよ。」
「なんで?」
「何でだろ。わかんない。わからんけどぉー、そんな気がするんよ。」
のっちは、ゆかが自信満々に言う意味がよくわからなかった。いつもにこにこしていて、掴みどころのないゆか。そんなゆかに惹かれていたのも、また、事実。
「……ゆか、ちゃん…。」
「なあに?」
のっちは、大きく息を吸った。ゆっくりとその息を吐いて、ゆかの眼をじっと見つめた。何も知らないゆかは、子犬のようにのっちを見る。
「…あのね…? あ〜ちゃん、に、告られた、んだ。」
そして、ゆかの表情から笑みが消えた。のっちは、ゆかを怖い、と思った。笑顔が消え、無に近いそれは、生きていることさえも感じることが出来なかった。ゆかは下を向いた。
「……よかったじゃん!」
「えっ?」
そうかと思えば、急に顔を上げ、満円の笑みをのっちへ向ける。移り変わりの激しさに、のっちはただ驚く。
「やっと振り向いてもらえたんじゃね。よかったじゃん。」
「で、でも…。」
「もしかして、ゆかのこと、気にしとるん?」
ゆかは、いつだって真っ直ぐにのっちを捉えてしまう。それは実に的確で、百発百中。のっちは、無言で頷いた。ゆかの右手がのっちの頭に伸びて、ふわふわと撫でる。ゆかに撫でられると、のっちは甘えてしまう、甘えたくなる。
「忘れたん? ゆかは、あ〜ちゃんの代わり、だったんよ。」
「でも! のっちはゆかちゃんのことを、あ〜ちゃんの代わりだなんて思ったこと一度もなかったよ!」
のっちが少し声を大きくして、気持ちをぶつけようとすると、撫でていた右手がそのままのっちの背中に回り、のっちはゆかに抱き寄せられた。
「…ありがとう、のっち。」
「ゆかちゃん、」
「楽しかったよ、しあわせだったよ、ゆか、しあわせだったんよ。」
「ゆかちゃん…。」
「次は、のっちがしあわせになる番だね。」
抱きしめていたゆかの右手は、緩まる。2人の身体は、離れて、ゆかは立ち上がった。階段を一段、また一段ゆかが降りていく。その後ろ姿は、切なげなのに、のっちは何もすることは出来なかった。ゆかちゃん、そう名前を呼んで呼び止めることさえも、出来なかった。
最終更新:2010年11月06日 03:14