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「ただいまー」

暗い室内に呼び掛けても返事はなかった。
こだまするでもない私のただいまーは虚しく響くだけで。
もしかして今日は帰っちゃった?
と一瞬寂しいメーターがズンッと針を振り切ったけど、足元に私には似つかわし
くないかわいらしいヒールが並んでいるのを発見し安心する。

「あ〜ちゃーん?」

一つしかないドアを開くと、一つしかないベッドの上に私の帰りを待ちわびてい
たであろう彼女の姿があった。
そりゃそうか、こんな時間だもん寝るよね。
待たしちゃってごめん…いや、ラストオーダー10分前にお客さんが入ってきて閉
店時間過ぎてもなかなか帰ってくれなくてやっと帰ってくれたかと思ったらキャ
ッシュカウントが、って言い訳と謝罪は朝起きてからにしよう。
とりあえず風呂だ。
…いやその前にあ〜ちゃんだ。

梅雨があけたばかりだと言うのにこの夜はジメっとしていて、すぐそこに迫った
夏の気配まで感じられる。
汗ばむ額にそっと手をやると伝わる熱とこの部屋の熱気が、私自身の熱を誘って
いる気がした。
さっきから私の有り余る下心をくすぐって仕方ないそのかわいらしい頬にキスを
落とす。
やらかい、かわいい。

そしてまた溢れ返る下心をくすぐって仕方ない半開きになっている唇にもキスを
落とす。
かわいい、好き。
かわいい、好き、好き。

「ん…のっち?」

3度目のキスでお姫様が目を覚ましてしまった。
寝ぼけ眼をこする仕種は、21歳のお嬢さんには到底見えなくて…子供じゃん、か
わいい。

「あ、起こした?ごめん。」
「ううん、」
「遅くなってごめんね?」
「お疲れさま…って、なに脱いどるん!」

着ていたTシャツに手をかけてその場に落とすと、あ〜ちゃんはついさっきまで
うつろだった目を見開いて疑問の声をあげた。
…いや別に他意はないけど。

「お風呂入ろうかと思って…」
「ここで脱がんでいいじゃろ!」
「…何?期待してる?」
「しとらん!」
「ははは、とりあえず入ってくる」

言いながらベルトに手をかけると、さっと一瞬視線が私に向けられまた外れた。
あー今絶対動揺してる。私の裸なんて見慣れてるくせに。
いつまでも変わらないあ〜ちゃんのそんなとこが嬉しくもありかわいくもあり、
寂しくもある。
あ〜ちゃんは変わらない。私を求める度合いも、私に求めてほしがる度合いも。
一方私はと言うと、日に日に増す愛しさで押し潰されてしまいそうだと言うのに

…なんてこと、絶対言いたくないけど。
贅沢な悩みだよな。




「あっちぃ〜」

流れ出た水分を補給するためにキンキンに冷えたペットボトルに手を伸ばす。
夏がすぐそこまで近づいているこの夜にほてった体が、流れ落ちる水で冷やされ
る。
…それでも熱い。
肌を覆うTシャツの生温さが気持ち悪い。

ついこの間までスウェットにロンティーで寝てたのに、季節の変化とともに短パ
ンとTシャツになった。
あ〜ちゃんも厚手のパジャマから薄手のパジャマへ。
当たり前と言ったら当たり前のこと。
この薄いただの布切れに教えられること。

ベッドの上にはこっちに背を向けて眠るあ〜ちゃんの姿がある。その姿を見てと
てもほっとした。
この短時間でいなくなってるなんて考えられないのに、なぜだかもうそこにはい
ないんじゃないかと思ってしまったんだ。
そんなわけあるはずないのに。

て言うか寝てないよね、あ〜ちゃん。
それ、待ってますのサイン?

後ろからそっと包み込むと回した腕をぎゅっと握ってきた。ほら、やっぱ起きて
た。
布越しに伝わるあ〜ちゃんの体温がもどかしい。
そうなるとますますこの生温い物体が不快で邪魔で仕方なくなる。

脱いだTシャツはベッドの下へ落としてまたあ〜ちゃんにくっつくと、さっきと
同じようにあ〜ちゃんは私の腕を握った。

「…のっち、暑い」
「のっちも」
「暑苦しくて寝れんよ。離れて?」
「寝る気なん?」
「…朝早いんよ」
「じゃあなんで待ってたん?」
「だって…一緒に寝たくて。一人じゃ寂しいけぇ…」

私の腕の中でぐるぐる動いて向かい合ったかと思ったら、すぐさままた背を向け
られた。

「だからなんで脱いどるん!」
「んー?暑いから」

熱い。
冷えた水なんかじゃ冷めない。
あ〜ちゃんじゃないと無理。
…まあ、あ〜ちゃんだったらもっと熱くなっちゃうんだけど。
律儀にボタンを1番上までとめてあるあ〜ちゃんのパジャマ。
後ろから回した腕でその1番上に指をかけた。




「のっち…だめ」

我ながら器用にボタンをはずしにかかる指にあ〜ちゃんの指が絡む。
いつもなら喜んで絡ませにいくけど、今だけはごめん、邪魔だ。

「のっち」
「あ〜ちゃん、手、邪魔」
「だめ」
「なんよもー、…ほら、手はこっち。ね?」

私の手を拒む手を掴んでお腹の前に置き直してやる。
抵抗の形も見せずに案外すんなりとあ〜ちゃんはそれに従った。
ボタンを3つ外したところで、できた隙間から手を差し入れてみる。
…なんだ、あ〜ちゃんも熱くなってるじゃん。
軽く揉むと、お腹の前でいい子にしていた手が慌てだす。
でも私の腕がそれを押さえ付けるようにしてあるから、うまくいかない。

「のっち、」
「暑くない?」
「…暑い」
「脱がして、は?」
「……やだ」
「…脱がしちゃうよ?」
「や、」

あ〜ちゃんは変わらない
肌が擦れ合う感触に震える肩も
始まる前の鼓動の大きさも

「ダメ隠さないで」
「ん…のっち、」

いつまでも慣れないこの行為も
私を呼ぶ声も

「かわいい、すき…」
「のっちぃ…っあ」

好きだと伝えてくる手段も
笑うとできる愛らしいえくぼも

あ〜ちゃんは変わらない、変わらない

…変わらないであ〜ちゃん

あ〜ちゃんだけは、変わらないで
ずっと私のこと好きでいて
もっと深く愛せなんてもう言わないから
お願いだから、変わらないで…



「のっちは変わらんね」

私の腕の中で荒い息を整えたあ〜ちゃんがそう言った。

…なんで?

変わってるよ、
前よりもっともっと、
離したくないよ。
変わってるよ。
私は、

「あ〜ちゃんのこと、ずっと好きでいてね?」

背中に回った腕の力でハッとする。
このチョコレートも溶けだしそうなほど熱い体が、震えている。

「変わらんでね…」

そっか

あ〜ちゃんも


End





最終更新:2010年11月06日 03:16