6月。今日も雨だった。梅雨を迎えた広島は、毎日のように雨が降り続き、天気予報は当たり前のように1週間揃って雨マークで、のっちをうんざりさせた。じとじとした気候が続いても、のっちの心は快晴だった。
あ〜ちゃんと付き合いだしてから、一緒にお弁当を食べる、下校する、の他に、登校する、が増えた。早起きが苦手なのっちでも、あ〜ちゃんの為だと思えば苦ではない。今日も、早めに家を出て、あ〜ちゃんの家へ向かい、せっせと自転車を漕ぐはずだった。朝から降り続く雨のせいで、それは中止になり、あ〜ちゃんからの『雨、土砂降りじゃけえ、バスで行くね。』というメールで、のっちの心も一瞬で土砂降りとなる。
その上、最近のあ〜ちゃんは、3年生になって委員長になったため、放課後の居残りも増えた。高校3年にもなると、毎日担任から煩いばかりの進路の話、のっちこそ適当に聞き流していたが、あ〜ちゃんは進学クラス。そういうわけにもいかず、のっちは、あ〜ちゃんがオープンキャンパスの日程を手帳に書き込んでいるのを知っていた。
付き合ってからだけではない、いつものっちは、あ〜ちゃんに置いてけぼりにされているような気分になっていた。そんなとき、少しだけ、のっちはゆかを思う。
『ゆかちゃん、元気?』
『元気だよ? のっちは?』
『相変わらずー。』
『ならよかった。』
1週間に一度繰り返されるゆかとのメールのやり取り。あれから遊ぶことも、学校ですれ違うことも、なくなってしまったゆかとのっちだが、ゆかからのメールが、のっちの肩に乗った重荷を少しだけ楽にしてくれる。
「なぁーに、にやけとん。」
靴箱で、あ〜ちゃんの委員会が終わるのをゆかとメールしながら待っていると、後ろからひょっこりあ〜ちゃんが現れた。のっちの意識は、携帯電話からあ〜ちゃんへと向かう。
「にやけてないよー。委員会終わったん?」
「ごめん、まだー。あとちょっとじゃけど…雨降っとるけえ、先帰っていいよ?」
「えー、待ってるよ。」
「もう。でも、ありがと。」
のっちは、あ〜ちゃんの笑顔が好きだった。くしゃりと笑うと出来る笑窪が、たまらなく愛しい。そんな笑顔を残してあ〜ちゃんは、また委員会へと戻っていった。
それから10分ほど経ったときだった。
「のっち?」
聞きなれない声に、警戒心を持ちながら振り向くと、そこに立っていたのは、
「……松本くん?」
「あー…綾香待ってんの?」
綾香、と発されて、思わずのっちの眉間に皺が寄る。相手が松本だとわかると、のっちは再び、携帯電話に視線を落とした。
「そうだけど。」
「なんなの。冷たくね? 俺、嫌われてんの?」
「…最初からあんま好きじゃなかった。」
「ひどいな。俺だって綾香に振られて傷ついたのに。」
松本がのっちの横に立つ。のっちは、横目で確認すると一歩松本から距離を置いた。のっちのあからさまな行動に、松本は苦笑いを零す。
「まぁー、結局は樫野も報われなかったけど。」
「樫野…?」
聞きなれない名前に、のっちは怪訝な顔をして、松本を見た。
「樫野有香。のっちと付き合ってた、“ゆかちゃん”」
「なんで、知って…!?」
なぜ、松本が、のっちがゆかと付き合っていることを知っているのか。のっちには理解が出来なかった。そして、ゆかの苗字が、樫野であることも、のっちは今、初めて知ったのだった。
大きい瞳を更に大きく見開いて、のっちは松本を見た。
「だって、アイツ、わかりやすいから。俺も綾香が好きだったから、ちょうどよかったし。」
「何の話?」
「お互い利用したんだよね。」
「だから、」
「わかんない? 全部、お前と綾香を引き離すためなんだよ。」
のっちは雨の中、必死で自転車を漕いだ。土砂降りの雨の中、向かったのは。
インターホンを押しても反応がない。のっちは次第に苛立ち始める。右足は、苛立ちで震え始め、ずぶ濡れになった身体からは、絶えず水滴が零れ落ちた。出先から帰って来たマンションの住人が驚いた目でのっちを見る。のっちは気にも留めることもなく、また部屋番号を押した。ディスプレイに表示された部屋番号を見た、中年のおばさんが恐る恐るのっちに話かかけた。
「あの…。」
「はい。」
「樫野さんのお友達?」
「えっ、まあ…。」
「樫野さんなら、とっくに引っ越したわよ。」
「引越し、た…?」
「ええ。私、お部屋隣りなんだけどね、5月の頭くらいだったかしら…実家に帰るんです、って言ってたかな…? まあ高校生の一人暮らしなんてね、物騒だしねえ。」
最後に濡れたのっちのみっともない姿を、おばさんは引きつったような笑顔で見ると、自分でガチャリと扉を開けてドアの奥へと消えた。のっちが開けることの出来なかった扉が、呆気なく開く。
『何で、あたしとあ〜ちゃんを引き離す必要があるの。』
『俺からは言わないよ。樫野に聞けば?』
『…わかった。』
無我夢中で飛び出した。ゆかのことが知りたくて。雨に濡れても構わない、ゆかのことが知りたかった。それだけで、のっちは雨の中へと消えた。
しかし、ゆかは、のっちに何も明かすことはなかった。フルネームさえも知らないまま、ゆかはのっちの前から消えた。
最終更新:2010年11月06日 03:36