忙しそうに歩く人たちの群れ。
ぶつかりそうでぶつからない交差点。
ビルとビルの隙間をぬって吹く風。
一瞬で消えて、一瞬でなくなる。
今日が、はじまる。
「今、うんって言わないと、もう一生言わないよ?」
いつからかのっちの眉毛は下がらなくなった。情けない上目遣い、嫌いじゃなかったのに。
“今日”の行方がどうなるかなんて、知るよしもなかった。今なら少しは言葉に出来るのかな。
ありのまま、というものを、のっちに見せていいのかな。
どれだけ愛しても救われないことがあるのを、自分が一番よく知っているから。
だから、隠し通せないのわかっているくせに、隠し、秘密にしてた。なんて、言い訳。
「…かしゆか?」
聞いてるの?首を傾げて聞く素振りひとつとったって、全然見慣れない。
「…い、つから…」
ね、いつから変わってしまったんだろうね。
この関係を、この感情を、この想いを、どんな名前で呼べばいいんだろう。
のっちを想うゆかの気持ちに、果たして胸を張って言えるような名前があるのだろうか。
「ねぇ。…何が、怖いの?」
怖い、か。
そう。怖いのかもしれないね。
ねぇのっち?
ゆかたちは、どこに向かっているんだろうね。
この先に、待ってる答えは正しいのかな。
むしろ。果たして、答え、なんて、あるのかな。
いくらもがいてもはい上がることが出来ない海底深くに根をはる海藻がゆかだとすると、
その周りを行ったり来たり、ゆらゆら泳ぐ青い魚がのっちだったりする。
うんと育っても限界があるね。それより先に、海上近くまで泳いでいってしまうかもしれないね。
できれば伸びた海藻で、お魚のっちをがんじがらめにしちゃいたいくらいだけど。
それもこれも、どれもあれも。みーんな無理なのわかってるから。
ゆかは、この名前もつけられないような想いを海底深くに早く沈めちゃって、そして早く忘れたいの。そうなることをずっと、待ってるの。
「かしゆか?」
名前を呼ばれて、はっとして。
下がった視線をあげれば目があった。
何も言い出さないゆかに、ちょっとだけ困った顔を見せて。それから小さく笑った。
のっちの眉毛は下がらなくなった。
「のっちはね、」
ひとつ深呼吸をしたのっちは、穏やかな表情で話し出す。
ゆかは、これからのっちが言うであろう言葉を必死で先回りして答え合わせする。
そのどれもがハズレだったとしても、ゆかは答えを探す。
ゆかを慰めてくれる言葉なんかいらないよ。誰にだって言える。
それよりのっち、叱ってよ。うじうじすんな、かしゆからしくないって、叱って。
「無理やりなんは嫌いなんだよね。だから、」
「ずっと待ってたんだけど、かしゆかったらさぁ、」
「ちっとも動かない、ってか、なぁんかさ、」
「もう、そろそろさ?」
のっち、待つの、飽きた。
下がらなくなった眉毛が、想いの質を語るなら、じゃあゆかは、何で対抗しようか。
のっちの腕は、いとも簡単にゆかを抱きしめ、がんじがらめにする。
これじゃぁ逆だよ、のっち。それもまた、いいけど。
「かしゆか、のっちと付き合って」
「今、うんって言わないと、もう一生言わないよ?」
緩めた腕の中で見上げた顔は、久しぶりに眉毛が八の字で。それが想いの強さを語るなら、ゆかにはもう抵抗できないね。
結局、遠回りした意味は?想いを計りたかった?
待ったのは、どっち?
「…うん」
今日が、はじまる。
世界が、ひろがる。
未来が、かがやく。
のっちが、まってる。
end
最終更新:2010年11月06日 04:36