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3年前、彼女は、彼女に恋をした。




大学3年になった春、綾香は就職活動についてのガイダンスを受けていた。このご時世、普通に有名大学を卒業しても就職先が決まらないこともしばしばで、綾香のバイト先である喫茶店の先輩も、そこそこ名のある大学を卒業したが、就職先が見つからず、喫茶店でのアルバイトを続けている。
綾香には、どうしても叶えたいことがふたつあった。ひとつは、自分を育ててくれ、苦しいながらに授業料の高い、私立の大学に通わせてくれた親に、恩返しをすること。
もうひとつは。




「あ〜ちゃん、今日も行くん?」


授業が終わり、綾香が帰りの身支度をしていると、親友の有香がひょっこり現れた。有香とは、大学1年生のとき、ゼミが同じだったことがきっかけで知り合い、話すうちに意気投合し、それから大学生活を共に送ってきた。


「うーん。行く、かな?」
「ほんと、好きじゃねえ、なんだっけ…? かぷ…」
「カプセル! 覚えてよね!」


綾香には好きなバンドがいた。高校生の頃、たまたまラジオから流れてきた、独特なメロディに合わさる女性ヴォーカルの声。綾香は心を奪われた。音楽は好きで、小さい頃からいろんな曲を聴いていたが、こんなにも虜になったのは初めてだった。それからというもの、綾香はCDショップへ行って、そのバンドのCDを買い漁った。まだ名も知れていない地方バンドのカプセルは、CDの数も少なく、取り扱っているCDショップも少ない。それでも綾香は発売されているCDを全部集めた。カプセルの曲を全曲歌えるようになるのに、そう時間はかからなかった。


「ゆかちゃんも聴いてみんさいや。ハマるけえ。」
「えー、ゆかはいいわあ。ゆか、そういうん苦手じゃし。」
「えー、いいのにー。」
「…てか、本当に“それだけ”なん?」
「…なにが?」
「今日ライブに行く理由、なんなん?」
「ライブに行くんじゃけえ、歌聴きに行くんにきまっとるじゃろ。」


綾香は、まだ何か言いたげな有香をかわして、そそくさと教室を出た。ちらりと左手首の腕時計に眼をやると、開演まで30分をきっていた。カプセルの登場時間までは、まだ十分に余裕がある。綾香は、ゆっくりと駅へ向かった。耳には、似合わないごつめのヘッドフォンをつけて。






小さなライブハウスの前には、少しだけ人だかりがあった。ライブハウスに通い始めて早3年。顔見知りも増えてきた。チケット売りのお姉さんとも、冗談を言い合える仲にもなった。400人ほどしか入らない小さなライブハウスなのに、ぎゅうぎゅう詰めになることのない空間。人気がない、といえばそうだが綾香は、これくらいがちょうどいい、と思っていた。3年経っても、ちっとも変わらないところがやっぱり好きだった。
ライブは既に始まっていて、数組のバンドの出演は終わっていたようだった。綾香は辺りをキョロキョロと見回す。すると、3人組の女の子グループのひとりと目が合った。綾香に気付いた彼女は、手を振りながら嬉しげに綾香の元へとやって来た。


「あ〜ちゃん、来てたの?」
「うん、今来たとこなんよ。」
「そうなんだー。あっちゃんとみいちゃんも一緒だよー。あ〜ちゃんも前で見ようよ!」
「あ…ごめん。カプセルのときになったら前行くけえ、先見てて。」
「わかったー。後でね!」


ロングヘアをハーフアップにしたミナミとも、この会場で知り合った。綾香よりも3つ年下で、まだ高校生のミナミを見ていると、綾香は、自分が高校生だった頃を思い出す。ミナミが友達の元へ戻っていく後ろ姿を見ながら、綾香は、何だか切ないような、懐かしいような、そんな気持ちになった。


会場の隅で、激しいバンドパフォーマンスを見ながら、綾香がキョロキョロと忙しく視線を動かすのは、もう当たり前のようになっていた。見渡しては、ため息を吐く。こんな生活を始めてから、早、1年が過ぎようとしていた。


「……やっぱり、いないよねぇ…。」


悲しげに呟きながらも、口元はしっかりと笑っていた。それは、何か諦めたかのように。
そうこうしているうちに、会場内の照明が、虹色に激しく光りだす。このネオンがカプセル登場の合図。綾香は、ステージ付近へと駆けていった。




ライブが終わり、会場を出たところでミナミが話しかけてきた。


「あ〜ちゃーん、カプセル最高だったね!」
「うんっ、ほんまヤバイよね! ほんま痺れるわぁー。」


カプセルについて興奮気味に話をしていると、ミナミが急に黙った。その眼差しは、迷いがあった。


「…最近、会ってるの?」


控えめに、ミナミは尋ねた。まるで、それが、触れてはいけないことのように。
綾香は、眼をきょとんとさせて、数回瞬きを繰り返す。そして、持ち前の明るさを思う存分見せ付けるような、笑顔をした。


「最近会ってないけえ、わからん! ほんっと、何考えとんかわからんわぁー。」
「…そっか。」


ミナミから見ても、綾香の笑顔には確かに無理があった。ミナミはそれに気付いていながらも、綾香が隠そうとするのなら、守ろうと思った。
ミナミの元に、ミナミの友達である、アツコとみいがやってきたので、この話は、終わった。綾香は、3人に挨拶をしてから、3人とは反対方向に歩いていく。


歩きながら、携帯電話を開いた。日付を確認すると、4月13日。


3年前、彼女と出会った日だった。






最終更新:2010年11月06日 15:07