『あ〜ちゃんのこと、好きになった。』




ハッとして、綾香は目を覚ます。ベッドから身体を起こすと、部屋には綾香ひとりだけしかおらず、夢であることを理解する。目を閉じて、静かに考えた後、急いでベッドから起き上がって、階段を駆け下りた。




「昨日ライブ楽しかった?」


昼休み、ベンチに腰掛けながら、綾香と有香は弁当を食べていた。


「楽しかったよ。」
「…で、いたの?」
「なんよ、ゆかちゃん。そればっかり。」


綾香は、怪訝そうに有香を見た。綾香にそんな顔をされても有香は、気にする様子もなく、おすまし顔で弁当を食べている。


「……いーかげん諦めたらどーなんよ。」
「だから何が?」
「しっとるんよ? “のっち”に会いに行きよんじゃろ?」


綾香は、“のっち”の名前が出てきて、思わず黙り込んだ。


「……違う、」
「あ〜ちゃんが我慢しとるん、全部わかるよ。」
「…違うっていっとるじゃろ…。」
「違わんくせに。」
「違う! のっちにはもう会ってない!」


声を荒げた綾香に、有香はびくりと身体を揺らす。


「…会ってない、ん?」
「会ってくれんけえ、会いようがない。だからもう好きじゃない。」
「あ〜ちゃん。」
「のっちなんか、だいきらい。」


俯いて涙を堪えながら零しただいきらいは、嘘に包まれすぎていて、綾香は、気持ち悪くなった。







バイトがない金曜日は、気分がとても楽だ。夕暮れ時をひとりで駅へと歩くのもまた、綾香は好きだった。駅へと続く道の途中、自販機がある。そこに立っている人がいる。その人は、綾香が通るのを待っていたかのように、綾香の前へ現れた。有香だ。




「…さっきはごめん。」
「ううん、いいんよ。ゆかちゃんは、何も間違ってないけえ。」


駅の中にあるコーヒーショップで、ふたりは話をすることにした。若い女性従業員が、注文の品を運んできた。綾香は、静かにホットカフェラテを一口飲んだ。タイミングを見計らっていたかのように、有香が話を切り出す。


「“のっち”のことなんだけど。」
「うん。」
「もう、ほんとに好きじゃない?」


綾香は、黙った。黙って視線を下げたまま、また一口、ホットカフェテを飲んだ。暫く黙り込んだ後に、綾香は静かに口を開いた。


「…好きじゃないよ。」
「…そう。」
「元々どこが好きかもわからんかったし、何考えとるんかわからんし、ほんとのっちは、ダメな子じゃけえ…。もっといい人探すんよ!」


持ち前の明るさは、武器。綾香はいつもそう思っていた。隠そうと思えば、気持ちなどどうやってでも隠せる、と。たとえ笑顔の奥で泣いていたとしても、隠してしまえると思っていた。


「…前から思ってたんだけど。」
「うん?」
「それ、ゆかじゃダメかな?」
「え?」
「ゆかは、あ〜ちゃんの恋人にはなれないかな。」




『あ〜ちゃんが、好きだよ。』




「…ゆかちゃん、本気?」
「うん。」


有香があまりにも真っ直ぐ、綾香を見つめるものだから、綾香は言葉を詰まらせた。まさか、有香が。思いもよらない告白に、綾香は戸惑いを隠せない。


「ゆかなら、あ〜ちゃんをしあわせに出来る。」


真っ直ぐな瞳に、力強い言葉。それを押しのけてまで、見えない幸せを掴みに行こうと思えるほど、今の綾香は強くなかった。


「…うん。」


縋ることが間違っていたのなら、3年前の時点で、綾香の選択は、間違っていたのだから。





最終更新:2010年11月06日 15:19