蒸し暑い夏の夜。革張りの黒いソファーに寝転びながら漫画を読んでいた。テレビの音は、一人のこの狭い部屋から孤独を拭うためのBGM。ぺらぺらとページを捲っては、少しだけ笑みを零す。
ピンポーン。
すると来客を知らせるチャイムが鳴る。一瞬、動きを止めるも、もう一度チャイムが鳴ったことで、漸く漫画を置いて、ソファーから起き上がった。重い身体は玄関へと向かう。


ドアを開けると、茶色のロングヘアが目に入った。


「来ちゃった。」


小さなバックを両手で持った彼女は、「来ちゃった。」と無邪気に笑う。受け入れられることが当たり前のような笑顔を見せる。


「来ちゃったじゃないよ。何時だと思ってんの?」
「いいじゃない。どうせのっち暇なんでしょ?」
「…いや、忙しい。」
「帰れっていうの?」
「言ってないけど。」
「じゃあ、入っていい?」


彩乃は、45度だけ開いていた扉を、90度まで開くと、彼女を部屋へと招き入れた。
彼女は部屋へ入るやいなや、先ほどまで彩乃が寝そべっていたソファーに座り込んでテレビのチャンネルをぽちぽち変えだした。まるで自分の家かのようにリモコンで操作する。その後ろ姿を見て、彩乃はため息を吐く。


「ねえ、にゃん。」
「なあに?」


彼女の名は、知らない。
3ヶ月ほど前、ライブハウスに向かう途中に立ち寄ったバーで出会った。猫みたいに懐っこく、彩乃に擦り寄ってくるものだから、彩乃が勝手に“にゃん”と名付けた。


「明日の朝には帰ってよ。」
「わかってる。」


彩乃は、にゃんが座るソファーに並んで腰掛けると、テーブルに袋だけ開けて放置していたポテトチップスに手を伸ばした。


「ねえ、のっち。」
「んー?」
「一緒に寝てもいい?」


彩乃の動きが、止まる。


『何で? のっちがベッドで寝ればいいじゃん、あたしはソファーで寝るから!』


彩乃の脳裏に、遠い記憶が甦った。この部屋で、今隣りにいるのは、にゃんではない気がした。
ハッとして隣りを見ると不思議そうに見つめるにゃんの姿があった。彩乃は、子猫のような瞳をして彩乃を見ている、人間の頭をそっと撫でた。


「いいよ、一緒に寝よ。」


それは、彩乃にとって、苦い、苦い、秋の思い出。






最終更新:2010年11月06日 16:06