午後の授業が終わり、手早くカバンに荷物を入れてると、
「樫野さん…」
とクラスの子に肩をこづかれ、
「…あれ」
と指差された方を見ると、教室の外に、所在無さ気な感じで壁にもたれたのっちがいた。
どうりで、ちょっとざわついてるはずだ。
ぶっきらぼうな感じで、ポケットに手を突っ込んだまま、誰とも目を合わさないように佇んでるのっちは、目を引いた。
印象的な強い瞳を伏せた、無愛想な固い表情。何となく、近寄りがたい、クールな存在感があった。
のっちはあたしと目が合うと、あからさまにほっとした表情をした。
…この人見知りめ。
あたしのクラスなんか、しょっちゅう遊びに来てるくせに、あ〜ちゃんかあたしがいないといまだに緊張するんじゃけえ。
「どしたん?」
肩にかけたカバンの持ち手にはさまった髪をかきあげながら声をかけると、
「あー、うん…」
と、歯切れが悪い。
二人並んで階段の方に歩く。
のっちはもぞもぞと、リュックを持ち替えたりしながら、
「あのさあ、あたしさあ…、」
「んー?」
「…余計なこと、言っちゃった…?」




あたしは立ち止まった。
のっちは何度めかのリュックの持ち替えをしながら、あたしの方を見た。
「…愛が足りない、とか言っちゃって」
…あー、それかあ。
こののっちの、意味不明なもじもじ感の理由がやっと腑に落ちた。
放課後の、足取りも軽いざわめきの中、のっちはぼそぼそと声を低めて、
「…なんか、ゆかちゃん、気にしてないかな、って思って。
余計なこと言って、ごめん。」
あたしは黙って、のっちを見つめた。
耳を伏せたわんこみたいな、ちょっとびくびくしたのっち。
あたしは、くすっと笑った。
…のっちは、優しい。
あたしとあ〜ちゃんがいつも言ってることだけど。
のっちはほんと、心の根っこが優しい。
あたしの一番弱いところ、一番傷つくところを、のっちは本能的に、感覚的に察するんだ。
ほんと、犬みたい。
鼻の効く、おりこうなわんこ。
「ゆかちゃんと、あ〜ちゃんとが愛が足りないなんて、無いからね。
ちゃんと、二人の間には、こう、言葉にせんくっても伝わる、固い絆があんの、のっちは知っとるけえ」
たどたどしく力説するのっちに、あたしは吹き出した。




…ったくもう。
のっちはほんと、本能的なもんは優れとるんじゃけど。
それをうまく表す言葉を持ってないんよね。
けらけら笑うあたしに、のっちは憮然として、
「…茶化さんどってよ」
「ごめんごめん。だって、固い絆、って…、ウケるわ〜」
「もう!知らん!」
のっちはむうっ、とふくれると、ぶんと勢いよくリュックを肩に引っかけて、背を向けて歩き出した。
あたしは息を整えながら、のっちの背中に向かって、
「のっちぃ、…アリガト」
そうぽつんと言うと、のっちは振り返らずにすたすた歩きながら、ぶんぶん手を振った。
それで万事オッケー、てこと。
…のっちらしいな。
あたしはその、頼もしくて優しい背中が見えなくなるまで、見送っていた。


図書資料室の鍵をあけ、ゆっくりとドアを開けると。
西側の窓から入りこむ、放課後の緩やかな日差しの匂いと、古びた本の埃っぽい匂いにまじって、ほのかな甘い香りがした。
やわらかな、花の香り。
…あ〜ちゃんの、匂いだ。
あたしは後ろ手に静かにドアを閉め、そっと鍵をかけた。
かちり、と音がして。
あたしはあ〜ちゃんを閉じ込めた。
秘密の隠れ家に忍び込むように、静かに足を進める。
資料室の奥の、くたびれた安物のソファの上。少し開けた窓に揺れる、カーテンの下に。
迷い込んだ猫のように、あ〜ちゃんは丸まっていた。
くうくうと寝息をたてて。きちんと両脚をそろえた、綺麗な寝姿で。




「…あれほど勝手に入るな、と言ったのに、もう…。あ〜ちゃん?」
返事はない。
代わりにくうくうという寝息が資料室に響いた。
「…熟睡、しとるん…?」
おかしいな。
最後の授業が終わってから、まだ20分も経ってない。
図書資料室に入り込んで、あたしが来るまで10分も無かったはずだ。
となると、この熟睡っぷりからして、あ〜ちゃんは6時間目の授業中からここにいた感じだ。
この真面目なあ〜ちゃんが?
あたしやのっちならともかく、あ〜ちゃんが授業をさぼるなんて。
不可解な思いにとらわれながら、でもあたしの視線はあ〜ちゃんの寝顔から外せないでいた。
「う…ん…、」
「あ〜ちゃん?起きたの?」
「ン…」
くぐもった声で少し顔をしかめただけで、目は閉じられたまま。
相変わらずの、無防備な寝息が規則正しく続く。
あたしはそうっと膝をついて、あ〜ちゃんに顔を近付けた。
あ〜ちゃんの前髪を少し、かきあげる。
「ん…、う、ん…」
なんか、苦しそう。
ネクタイのせい、かな?少し緩めた方が…、
と、昼間ののっちを思い出して、あたしの眉間にしわが寄った。
のっちめ…。どさくさに紛れて、あ〜ちゃんのネクタイに手をかけよって。
あ〜ちゃんの無防備な首もとに伸びた、のっちの指。
文字通り、あ〜ちゃんに手を出しおって。しかも、ゆかの目の前で。
しつけがなっとらんわ。ちゃんと教え直さんといけん。
これは、ゆかのだって。
あたしは眠っているあ〜ちゃんのネクタイを、そっと爪先でなぞった。
これは、ゆかの。
ゆかのモノじゃけえ、誰も触っちゃいけん。
…でも、あたしは。
そう思ってることを、あ〜ちゃんに知られたくない。




指先に少し力をこめて、しなやかなネクタイを引き寄せる。結び目に指をかけ、息をひそめてあ〜ちゃんの寝顔をうかがう。
あたしがネクタイのジンクスを実践しようとしなかったのは、あ〜ちゃんに知られたくなかったからだ。
あたしが、必死になってることを。
くだらないジンクスに頼ってまで、あ〜ちゃんをゆかの側につなぎ止めようと思ってることを。
あ〜ちゃんはゆかのものだと、目一杯主張したいことを。
そんな、余裕の無い自分を。あたしの、独占欲を。
あ〜ちゃんに、知られたくないから。
「…カッコ悪。」
ぼそりと呟くと、
「ん…?」
と、あ〜ちゃんがもぞもぞと身動きをし出して、あたしは慌ててあ〜ちゃんのネクタイから手を離した。
「あ…れ…?ゆかちゃん…?」
「あ〜ちゃん、やっと起きた」
わざとのんびりした口調で言って、何気ない風に微笑む。
「いつからここで寝とったん?かなり熟睡しとったけど」
「ああ…、うん…」
あ〜ちゃんは伏し目がちに、もそもそとゆっくり身を起こす。
寝起きの目を気にするように、何度かまばたきをしているから、
「あ〜ちゃん、眩しいん?カーテン、ちょっと閉めよっか?」
あたしはソファに手をついて立ち上がり、窓に向かおうとしたら。
くん、と引っ張られる感じがして。
振り返ると、あ〜ちゃんの手が、あたしの制服のスカートのはしを、きゅ、と握っていた。


#4へつづく






最終更新:2010年11月07日 02:16