屋上に出ても、そこには冷たいブルーグレイの空と、透明な冬の風が吹いてるだけだった。
あたしは荒い息を整えながら、よろよろとエッジに近づいた。
鉄柵にもたれて校庭を見下ろす。冬枯れた木々に囲まれた校庭には、当然探してる人の姿は無くて。
後ろ姿でも、スカートのすそでも髪の一房でも見つけらるるのに。
…あ~ちゃんが、見つからない。
あたしは鉄柵からふらふら離れて、屋上にごろんと転がった。仰向けになるとスカートが風でひらひらする。
こういうのあ~ちゃんに見られると、「のっち、お行儀!」って怒られる…って、あたしときたら、思いつくことは全てあ~ちゃんがらみだ。ばかみたい。
あたしは下級生達に涙ぐまれ、恨みごと言われ。本来女の子泣かすのは趣味じゃないのに。
謝って、走り回って、探し回って、そして今こんな寒い冬空の下、ひとり。
目の前には無情に澄んだ青空。あたしは目を閉じた。目を閉じても、まぶたの中まで泣きそうなブルーで。
あたしは小さくつぶやいた。
「あ~ちゃんの、ばーか」
「のっちの方が、もっとばーか」
「えっ」目を開けると、あ~ちゃんの顔があった。
あ~ちゃんはあたしの頭の横に座り込んで、あたしを覗き込んでた。
「のっち、風邪ひくよ?」
あたしはがばっと起き上がった。
あ~ちゃんはすました顔で風が髪をなぶるままに、あたしの顔を見てる。
「あ~ちゃん」
「ん?」
「…あ~ちゃん」
「じゃけぇ、何ね?」
「チョコ、全部返したけん」
「……」
「もう一個も無いけぇ、ニキビの心配も虫歯の心配も、血糖値の心配もいらんけぇ」
あ~ちゃんは吹き出して、お腹を抱えて笑った。
あたしは少し得意な気分になった。お姫様の機嫌を直したら、誰だってちょっと自慢げになる。
「あ~ちゃん、ご褒美は?」
あ~ちゃんは笑うのを止めて、あたしをちらっと見た。
乱れた髪の間から、笑いをこらえるような視線が光る。
「…のっちのチョコは無いよ」
「…え」
「最初から、用意しとらん」
あ~ちゃんはゆっくりと、歌うように言う。あたしの心を冷やす言い方。意地悪な時のあ~ちゃん。
あたしの体から、力が抜ける。
「…チョコなんか下らない物、のっちにはあげん」
ふわっ、とあ~ちゃんの髪が頬に当たった。
かすかな、花の匂いがした。
えっ、と。声にするヒマも無く。あたしは目を開けたままで。
あ~ちゃんの、唇を受けた。
花びらが散るくらいの、あっという間の出来事で。
あ~ちゃんの柔らかい唇がゆっくりと離れた。
目の前に、あ~ちゃんの瞳。
う、わ。急激に顔に血がのぼった。あたしは唇を手でおさえて後ろにのけぞった拍子に、後頭部にゴツっと鉄柵をぶつけた。
「イタっ」
「…のっち、ムード台無し」
あ~ちゃんは冷たく言い捨てる。
さすがにあたしもアホの子丸出しな自分にうんざりする。 でも。
あたしを責めるあ~ちゃんの唇は、笑い出しそうにとがってて。あ~ちゃんのすくい上げるような目は、あたしを映してきらきらしてるから。
だから。ちょっと調子にのっていいかなあ。
「あ~ちゃん」
あ~ちゃんのセーラー服のりぼんの端を、軽くつまむ。
「…もっかい」
あたしの声は情けないほどかすれてて。でも。
あ~ちゃんの、目が揺れた。あ~ちゃんのすました唇が震えて。花がほころぶように、朱がさした。
「…のっちはいけん子じゃね」
あ~ちゃんはかろうじて強気な顔を装いながら、こつん、とあたしの額を額でこづいた。
…頬には柔らかい髪。耳には吹きわたる天上の風。重なる心音。触れそうな鼻と鼻。ためらいながら、息を殺して。
目を閉じても。
まぶたの中にも、あ~ちゃんが見える。
屋上の二人から少し離れて。
図書資料室で樫野有香は双眼鏡を置いた。
「やっぱあの二人はネタの宝庫じゃね」
樫野有香はPCに向かった。
新規メール5件。内容は想像つく。
「ホワイトデー本も絶好調じゃね♪」
樫野が学園内の覆面サイトで絶賛予約受付中ののっち本は、初版限定豪華装丁本3千円、通常仕様コピー本7百円、ともに驚異的な受注を受けている。
学園の吟遊詩人(このあだ名は樫野的にはいささか不本意である)と闇で呼ばれる存在が、生徒会書記を務める彼女だとは、生徒はおろか、先生方も図書資料室のコピー機がそんなことに使われてるとは、想像すらしていない。
最終更新:2008年10月10日 01:08