『やっ、だ…あ、ん…っ。』
夢を、見た。
「…はっぁ…!」
ガバッと、勢いよくベッドから起き上がった。未だ太陽の覗かない暗闇の部屋に、のっちはいた。異常な汗で、着ていたTシャツが、濡れていた。
ゆめのまたゆめ
あの日を境に、のっちは目を合わせられずにいた。目だけではない。指先でさえも、彼女に触れることに、全身が拒否反応を示した。彼女は、すぐ目の前にいるというのに。
可愛らしい声で、のっちの名前を呼ぶ。その声で、もっと名前を呼んで欲しいのに。今は、耳鳴りにしか聞こえない。そもそも、その声が、あの日の夢と重なる。
少し高めの彼女の息遣いが、今でも鮮明に脳に焼き付いている。あれは、夢でしかなかったはずなのに。荒い息遣いで、のっちの名を呼ぶ。もう無理だって、言う。のっちは答える、無理じゃないよ。
「のっち!」
不意打ちに肩に触れられ、ビクリと体を震えさせると、彼女は、「ビックリさせた?」と、あどけない笑顔を向けた。久しぶりに目を合わせた瞬間だった。
しかし、数秒経たぬうちに、再び逸らされた視線は、彼女に違和感として残した。それが、1週間前の出来事。
3日前のその日は、オフだった。
久しぶりのオフ。のっちは、必要最低限の物だけ鞄に詰め込むと、家を出た。欲しいCDの発売日であることを思い出したのだった。夕方までには家に帰って来れるだろうと思い、家を出たのだが、偶然、中学時代の友人と出くわした。これも何かの縁、のっちは、友人とそのまま食事に出かけた。
思いのほか、帰りが遅くなった。けれど、誰かが帰りを待っているわけではないため、のっちは、とぼとぼと家路を歩く。マンションに着くと、ポストの前で、蹲るようにして座り込んでいるひとがいた。
「かしゆか?」
のっちは、すぐにその人物がかしゆかであることに気付いた。名前を呼ばれたかしゆかは、顔を上げると、「おかえり。」と優しい顔つきで微笑んだ。
「どうして、こんなところにおるん…!?」
のっちは、驚いてかしゆかの元へと駆け寄った。すると、かしゆかは強い力でのっちの左手首を掴んで、言った。
「ゆかのこと、嫌いになったん?」
かしゆかから、こんなにも強い力を感じたことがなかったのっちは、未だに驚いていた。ここじゃなんだから、と部屋にかしゆかを上げて、左手首にはかしゆかの右手はもうあるわけではないのに、掴まれたその部分だけが、熱を持ってじんじんした。無言のまま、部屋に上がると、また、かしゆかが尋ねた。
「ゆかのこと、のっち、嫌いになったん?」
「…嫌いになんかなるわけないじゃん…。」
「じゃあ、何で無視するの。」
間髪を入れずかしゆかは、言葉を続ける。のっちの胸は、今にもはち切れそうだった。泣き出してしまいそうなかしゆかに、何て声をかければいいのか分からない。ただ、時間だけが過ぎていった。
「ねえ、のっち!」
荒々しくなった声に、ついに、のっちは痺れを切らした。
「……ゆかちゃんを、抱いてる夢、見た。」
かしゆかの顔を、のっちはやっぱり見ることが出来なかった。嫌われることが怖くて。前々から感じていたかしゆかを好きだという思いが、ついに、夢となって表れてしまった。今でも鮮明に思い出すことが出来る、表情、声、感覚。実際の出来事ではないはずなのに、こんなにも鮮明にかしゆかの身体をのっちは覚えていた。
「のっちのこと嫌いになった? 引いた? サイテーだよね、」
「のっち!」
「なに…。」
「そんなに、」
歩み寄ってきたかしゆかに、再び手首を取られた。先ほどより増して、じんじん熱く響く。今度は、目を逸らすことは許されないようだった。
「ゆかを抱きたいなら、抱けばいい。」
そういって半ば強引にぶつけられたかしゆかとのキスが、合図だった。
雪崩れるようにベッドに倒れこんで。身に纏っていた服を脱ぐ行為でさえも、もどかしくて。1秒でも早く、かしゆかに触れたくて。全ての欲望をかしゆかにぶつけるのは、少し躊躇っていた。そんなのっちを知ってか知らずか、かしゆかは、
「いいんよ…?」
のっちは、ごくりと唾を飲み込んだ。初めて見るかしゆかの裸は、きれい以外の表現が見つからなかった。
かしゆかに覆いかぶさって、のっちは、必死にかしゆかの名前を呼んだ。呼ぶたびに、かしゆかは小さな息遣いで返事をした。熱っぽい吐息で、「のっち…。」と呼ばれると、全身が震えた。異常なほど、のっちは興奮していた。
長い髪に隠れていた可愛らしい耳を、顕わにして、耳元で、「ゆかちゃん…。」と言った。かしゆかは、眉を顰めて、「のっち、まだ…。」何か物足りなさげな言葉を残した。
「まだ?」
「まだ、言ってない…。」
「何を?」
「ゆかのこと…どう思ってるん…?」
「あ、忘れてた。」
耳元に寄せた唇を離して、しっかりとかしゆかの目を見て、のっちは言った。
「ゆかちゃんが、好きです。」
「…知ってる、ゆかも好きだった。」
思いがけない言葉に、大きく目を見開いたのっちの首に、かしゆかの腕が回る。引き寄せられて、ぴたりと重なった肌と肌が、やけに心地よくて、のっちは、探していたものを見つけたような感覚に陥った。
「…つづき、はやく。」
かしゆかに急かされて、再び始まった行為に、のっちは、嬉しさを全身で表した。
「あっ、ん、や、っだ…。」
表情が、声が、感覚が。かしゆかがはなつもの、全てが愛おしくてたまらないなんて。震える身体で、必死にのっちの肩を掴むかしゆかが好き。のっちの愛撫に、一生懸命応えてくれるかしゆかが好き。かしゆかの全てが愛しい。
揺れるスプリング。上下する身体。吐き出す熱っぽい吐息。指に纏わりつく粘着物。それから出される卑猥な水音。今、全て焼き付けておかなければ。のっちは、必死だった。
「あっ、ん、のっ…ち!」
「なに、ゆかちゃん。」
「も…だめ、かも…。」
「ほんと? わかった、」
体重をかけて、ググッと身体を寄せると、かしゆかの顔は更に歪んだ。歪んだと同時に、「んぁっ…!」少し大きめの声を出して、のっちを受け入れる。小刻みに動く指先に合わせて揺れる、ふたつの身体。
「ひゃ、ぁ…!」
かしゆかが一層甲高い声をあげて、全身を震えさせた。それと同時にのっちの指は、一層濡れた。
「ゆかちゃん、好きだよ。」
かしゆかに、届いて、いるのか。
あの日の出来事は、本当だったのか、のっちはわからない。何の変わりもないかしゆかの態度に、のっちは拍子抜けした。
なんで? あんなに愛し合ったのに、かしゆかに、好きだと言われたあの日は、かしゆかにとっては、消したい過去。そう思い知らされたようで、のっちは、ひどく落ち込んだ。
鮮明に記憶に残る、かしゆかの表情も、声も、行動も全部全部、夢だったとでも言うのだろうか。
「のっちー。」
かしゆかがのっちを呼んだ。のっちは、振り向こうともせず、窓から空を見上げていた。雲が動くのが早い。
「のっちってば!」
「なん!」
「ゆか! のっちが好きだよ!」
「えっ…。」
「夢じゃないでしょ?」
かしゆかに抓られた頬は、痛かった。
End.
最終更新:2010年11月07日 02:30