「あ〜ちゃん…?」
小首をかしげて、あ〜ちゃんの顔を見下ろす。
こっちを見上げる、まっすぐなあ〜ちゃんの目と合った。
いつも潤んだような光のある、綺麗な目。
今も、震えるような光をたたえて、すくい上げるような視線で、あたしを見つめていた。
その、強くてひたむきな視線に。
吸い寄せられるように、あたしは顔を近づけた。
「あ〜ちゃん、どしたん…?」
「…ゆかちゃん」
あ〜ちゃんはつかんでいたあたしのスカートのはしから手を離した。
ソファの端っこに座って、あ〜ちゃんに向き合う。
お互いの髪が、からまりそうなくらい、近い。
すぐ目の前に、あ〜ちゃんの潤んだ目。
…綺麗だな。
あたしはあ〜ちゃんの頬に手をおいて、親指であ〜ちゃんの目のラインをなぞりながら、その繊細な心の動きをゆらゆらとうつす光を眺めるのが、好きだ。
とても綺麗なものがこの手の中にあるようで、ぞくぞくする。
「ゆかちゃん…、あのね…」
あ〜ちゃんの目が、ゆらりと大きく揺れた。
「うちのこと、『今さら』、って思っとるん…?」
一瞬、何のことか分からなかった。
あ〜ちゃんは、唇を噛んだり、引き結んだり、少し言いよどんでから、
「ゆかちゃんにとって、うちとのコトは、別に『今さら』どうでもいい感じなん…?」
ようやく、あたしにもあ〜ちゃんが何のことを言ってるか分かった。
『何てゆうか、今さら、てゆうか…。うん、今さらな感じなんよね』
ネクタイ交換してないことを突っ込まれた時、あたしが何の気無しに言った言葉。
深い意味も無く口にした『今さら』という言葉が、あ〜ちゃんをもやもやさせるとは。
…それこそ、今さら、だ。
あたしはおかしくなった。
あたしが他の子に好意を寄せられようと告白されようと、今さらどうってことない感じで動じないあ〜ちゃんが。
あたしの、言葉にはこんなにも、揺らぐ。
あたしの一言で、あ〜ちゃんの目にうつる光は、乱れ、色を変える。
あ〜ちゃんはきっと、あたしをめぐる他の誰のことも気にしていない。
あ〜ちゃんには、ゆかだけ。
他の誰でもない。
あたしだけが、あ〜ちゃんをどうとでも出来るんだ。
「…それをきくのこそ、『今さら』じゃろ、あ〜ちゃん」
「…え?」
訝しそうに眉を寄せたあ〜ちゃんの瞳が曇った。
本当に、面白いほど色が変わる。
なんて、無防備な。
こんな、純粋で綺麗なものが、あたしにゆだねられてるなんて。
本当に。
どうしていいか、分かんない。
泣きたくなるような感情の高まりを懸命に抑えながら、つぶやいた。
「…だって、今さら後戻りできんとこまで来とるもん」
あ〜ちゃんの目を、まっすぐ見つめる。
その目に吸い込まれるように、急加速で愛しさがこみ上げてきた。
もう、抑えきれないくらいに。
「好きになりすぎて、今さらどうしていいか分からん」
そう言うのが精一杯で。
あとは、もう。崩れるように、言葉も理性も溶けて。
あたしは少し荒く、あ〜ちゃんの後ろ髪を引き寄せるようにして、唇を重ねた。
あたしの腕の中で、あ〜ちゃんがビクン、と一瞬戸惑いながら、すぐにあたしを受け入れるように力を抜く。
目を閉じていて見えないけど。
この一瞬、あ〜ちゃんの目はどんなふうに揺らいでるんだろう。
きっと、綺麗だ。
目を閉じていても、そのきらめきはあたしのまぶたの中いっぱいに鮮やかに広がっていくようで、くらくらする。
あたしはしがみつくみたいに、あ〜ちゃんを引き寄せる。
重ねた唇からもれるため息は、速度を増してゆく。
甘く溶けてゆく唇。あ〜ちゃんに触れる先から熱を帯びる。暴れるように、跳ね上がってゆく。体温も、動悸も、欲望も、何もかも。
せわしなくあ〜ちゃんの髪や頬をさぐっていた手は、物慣れた様子であ〜ちゃんのネクタイへと伸びる。
あたしの指は、我がもの顔で、あ〜ちゃんのネクタイを緩めにかかる。
我ながら、器用な手つきで。
当然の権利のように、あたしはあ〜ちゃんのネクタイを外し、足元に無造作に落とす。
…ああ、そっか。
あたし達にはネクタイのジンクスなんて、必要ない。
だって。
交換したところで、それはいつもせわしなく外され、邪魔者みたく放り投げられるものだから。
あたし達の足元で丸まって、コトが終わるのを大人しく待ってるしかないんだから。
…今さら、何の役にも立たない。
「…ほんと、『今さら』じゃ」
「…うん。…もう、どうしようもないね」
「…うん」
「でもね、…あのね、おかしいんじゃけどね?」
「…うん?」
「『今さら』さあ、…めっちゃどきどきしとる」
…あたしも。
その一言すら言えないくらい、熱は上がってて。
少し性急な手つきで、あ〜ちゃんの襟元のボタンを外して、首筋に唇を近づけると、
「あ、ゆかちゃん、ちょっと待って。」
「…へ!?」
あ〜ちゃんはあたしの頬を両手で挟んで、さっきまでの甘い吐息はどこへやら、天使のような涼しい笑顔で、
「ゆかちゃん、ちゃんと返してね、写真」
「…えぇっ!?」
「ゆかちゃんが盗ったじゃろ、うちと青山さんの写真」
「な、何でっ、何で知っとん!?」
不意打ちとお預けのダブルパンチに、動揺してごまかすことも出来ず。
恥ずかしくて多分真っ赤になってるあたしの顔を、あ〜ちゃんはとろけるような無邪気な笑顔で見上げながら、
「…ゆかちゃん、子供の頃から全然変わっとらん」
「…え?」
「覚えとらんの?
昔、のっちとまだ仲良くなったばっかりの頃ね、初めて3人で遊びに行ったじゃん?」
「う、うん…」
「ゆかちゃんは人見知りじゃけえ、まだのっちとうまく話せんくって、ぎくしゃくしとって。
んで帰り道に、ゆかちゃんと2人の時、めっちゃゆかちゃんが拗ねとって」
「…拗ねとったんじゃなくて、疲れとったんよ…」
「ううん、拗ねとったんよ。だってね、ゆかちゃんこう言ったんよ?
『あ〜ちゃん、ゆかとより、のっちと写真撮る方が多かった』」
「え、ええええ〜!?言うとらん、ゆかそんなこと言うとらん!!」
「覚えとらんだけじゃ」
あ〜ちゃんはくすくす笑った。
…嘘ぉ。
何て子どもっぽい独占欲をさらしとんよ。
いや、実際その頃まだ子どもだったんじゃけえ、…そう言われればそんなこと言った…かも…?
てことは何、あたしあの頃から全然進歩ないってこと!?
まあやってること変わりないもん、あ〜ちゃんと誰かの2ショット写真が気に入らないのはほんとだもん(開き直り)。
あ〜ちゃんの言う通り、子どもの頃から全然変わっとらん、ってことか。
…そうか、そうかも。
だって。
変わってない。
あの頃からずっと、あ〜ちゃんしか見とらん。
あたしは、はあ〜ってため息をついた。
「あー、カッコ悪…」
「違うよゆかちゃん、そういうのはカワイイって言うんよ」
「…カワイイ?」
「うん、可愛い可愛い♪」
あ〜ちゃんはくしゃっとした笑顔で、あたしの頭を無造作に撫でた。
…そういうのこそ、カワイイって言うと思うんじゃけど。
あたしは自分のバツの悪さをごまかすみたく、真っ赤になった顔をあ〜ちゃんの首筋にうずめた。
…ほんと、今さら。
カッコつけたってしょうがないか。
余裕の無い独占欲を隠すことなく、思うままに唇をさまよわせてると、今度はあ〜ちゃんが頬を染めて、余裕を失ってゆく。
あたしは少しイジワルな気分でささやく。
…カワイイ。
でもそんな余裕ぶった一言も、余計にお互いの衝動に火をつけて、加速させるだけで。
頬も指先も唇も、ささやき声すら熱く、何もかもめちゃくちゃになってゆく。
coolなところなんか、どこにも無くて。
もうひたすら。
foolなまでの、愛しさしかない。
まあ、それも。
…かわいければいいんじゃない?
終わり
最終更新:2010年11月07日 02:39