目を開けると、あたしは白い部屋にいた。
白いベッドの上。まわりには白いカーテン。不思議なほど静かで。
…えっと。あたしはぼうっとする頭で記憶をたどるけど、自分まで真っ白になったかのように、分からない。
何であたしここにいるの?
全然知らない世界に一人ぼっちで放り出されたような不安感。あたしの世界を失ってしまったような、軽い恐怖に急いで身を起こそうとすると、
「ゆかちゃん、起きたん?」
白いカーテンからひょこっと顔が覗いた。
「…あ~ちゃん」
自分でも驚くほどほっとした声が出た。
「あ、ゆかちゃん起きたらダメじゃけえ。授業中に貧血起こして倒れたんよ」
…ああ、なるほど。あたしはようやく消毒薬の匂いに気付いた。
あ~ちゃんはカーテンの端をつまんだまま、静かに佇んでいた。柔らかい光が白いカーテンに反射して、あ~ちゃんの輪郭を優しくふちどっている。
「あ~ちゃん、どしたん?」
「ゆかちゃん、側にいってもいい?」
あたしはちょっと笑って、
「いけんゆうても、あ~ちゃん来るじゃろ」
「うん」
あ~ちゃんはふふっと笑って、あたしの枕元に肘をついて、ベッドのそばにひざまずいた。
「…ゆかちゃん」
「…ん?」
あ~ちゃんはあたしの目を見つめたまま、枕元にこてん、と頭をのっけて
「あんまり無理せんでええよ」
「…無理って?」
「生徒会とかゆかちゃん書記なのに、色々しすぎじゃ。3年の会長さん、ちゃんとおるんじゃし」
「まあ頼まれるとねえ…(あの人無能じゃけえ)」
「先生の雑用も断らんし」
「断れんよ(信頼には見返りもついて来るし)」
「写真部とか放送部とか、よく分からん活動もしとるし」
「……(秘密の部活動もしてます)」
「…じゃけえ、あんまり無理せんで」
あ~ちゃんはあたしをじっと見た。
あ~ちゃんの真っ直ぐな目。あ~ちゃんは、透明。痛いほど透明。そう、きらきらしたものはたいてい、取扱い注意なもの。その破片があたしを撃つから。
あたしはまぶしさに思わず顔をしかめる。
「…!ゆかちゃん、まだしんどい?ゆっくり、休んどったらええんよ。…目ぇ、閉じて?」
あ~ちゃんの柔らかい手が、あたしのまぶたをそっと閉じた。
あ~ちゃんの手は、そのまま日差しから遮るように額にそっと置かれてる。
優しい、闇。
目をつぶるとあたしはほっとした。
…時々、あたしは感じる。ばかばかしいかもしれないけど。
あたしにはたくさん目があって。そのたくさんの目が、あたしやあたしの周りやあたしの行動を、観察して追いかけて。あたしに要求して不安にさせて。あたしが人に嫌われてないか、見捨てられないかを、たくさんの目が、あらゆる角度で、あたしに命令する。
恐ろしいほど緻密なカメラワーク。
めまいのするようなカット割り。
制御しきれるかどうか、時々自信が無くて。
…頑張らなくていいよ、か。
きっと。あ~ちゃんには、透明で真っ直ぐな大きな目が一つ。地上を優しく見渡す、太陽みたいな目が。
「あ~ちゃん」
あたしは目を開けてあ~ちゃんを見つめる。
「…もしね、のっちとあたしが同時にへこんで同時に助けを求めてきたら、どうする?」
「そりゃあ、ゆかちゃんじゃろ」
予想外の即答に、あたしは一瞬思考が止まる。
「…なんで?」
「あ~ちゃん、のっちだったら救い上げる自信があるんよ。泥沼の底の底にのっちが沈んでしまっても、あ~ちゃんだったら、片手で引っ張り上げれる」
「……」
「…でもゆかちゃんは、あ~ちゃんには救えん」
あ~ちゃんは困ったように笑った。
「ゆかちゃんは、ゆかちゃんにしか救えん。自分で自分を引っ張り上げんと、ゆかちゃんは救われん…あ~ちゃんなんかじゃ、ゆかちゃんを救えん」
「……」
「じゃけえ、何もしてあげれんけえ、そばにおる」
あったかい、光があたしにそそぐ。
あたしは、あたしの全部の目が、あ~ちゃんだけを見ていた。
「わ~い、ゆかちゃんに甘えられちゃったあ♪」
あ~ちゃんはうにゃにゃって笑って、嬉しそうに顔を寄せてきた。
「ゆかちゃん、あ~ちゃんも隣に横になっていい?」
あたしはクスッと笑ってうなづく。
あ~ちゃんは、布団の上に、んしょっと上がって、こてっと横になった。
あたしとあ~ちゃんは向かい合って顔を寄せて、ふふっと笑った。
とても穏やかで、満ち足りた気分。静かで、あたしは解放されている。
でもやっぱり。お互いのまつげの震えが見えるほど近くにいても。あ~ちゃんは遠い光に感じる。そのまばゆい遠さは、あたしを切なくさせる。
でもその切なさは。確かに甘くて。甘い痛みが、あたしを幸福にする。
その時バタバタと足音がして、
「ゆかちゃん、大丈夫!?」
と勢いよくカーテンを開けたのっちが、あたし達の姿にぎょっとして、
「あ~ちゃん、ゆかちゃん…!?な、何してんの~~!!」
「のっち、うるさいけえ」
あ~ちゃんはばっさり斬り捨てて、「のっちもおいで」と、手をひらひらさせる。
のっちは八の字眉にへの字口で、市場に売られる子牛みたいにのそのそと、ベッドの端に腰かけた。
「何をそんな端っこにおるんよ。おいで!」
あ~ちゃんはのっちの腕をひっつかんで引っ張り、のっちはどさりとベッドに倒れる。
三人の口から、同時に笑い声が起こった。
ああ。あたしは微笑みながら思う。あたし達の、世界だ。
保健室の、白いカーテンに区切られた小さなベッドの上でも。あたし達三人寄れば。
そこは、あたし達だけの、小さな輝く世界になる。
最終更新:2008年10月10日 01:15