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学園の裏山の桜は、満開だった。あたし達の学園は山のふもとにあって、裏庭から山に向けてのなだらかな丘陵には、桜の木が学園をつつむように植えられていて、春には薄紅色の霞に閉じ込められた、夢のような風景が広がる。
まさに、今がその時で。
桜の国に迷い込んだみたいな風景。うららかな春の光に、散る花びらがめまいを誘う。
「…すごいね」
「…うん」
あたしものっちも、どちらともなく呟いた。
「なんかこわいくらいだね」


のっちが顔をしかめて言った。のっちの不安が伝染してきたみたいに、あたしも胸騒ぎがする。
「あ~ちゃん、どこをほっつき歩いとんかね?」
あたしは努めて何気なく、いなくなった飼い猫を探すように言った。
でも。桜が綺麗すぎて。花びらが散るたびに、あたしを不安にさせた。
あ~ちゃんが、桜の木々をまわりながら、花霞の中に消えていくイメージが浮かんで。止むことなく散る花びらが、あ~ちゃんの姿を隠す幻想。…馬鹿馬鹿しいけど。
「…あっ」
のっちが息を呑んで立ち止まった。
桜の木の満開の下。もたれかかるようにして、あ~ちゃんはうっとりと眠っていた。


柔らかい春の日が照りはえて。花びらと、あ~ちゃんのふわふわの髪が舞う。 あ~ちゃんはすうすうと軽く寝息を立てて、眠っていた。まるで羽をやすめるように。
「桜の木の下には、あ~ちゃんが眠っている、ってところじゃね」
あたしはそう言ってのっちをチラッと見て、思わず笑いそうになった。
のっちは固まっていて。全身で困っていた。新種の蝶を見つけて、それに手を伸ばすべきか見つめ続けるべきか、息を殺して悩む少年みたいに。

自分の心に神聖なものを刻んでしまった人って、かわいそうなくらい、いじらしい。
あたしはのっちを見るたびそう思う。
のっちと初めて会ったのは去年の、やっぱりこんな桜の季節で。のっちは自分の輝きに何にも気付いてない、つまんなさそうな顔をした子だった。
のっちを見つけたのは、あ~ちゃん。のっちの中に埋もれてたものに、光をあて水を与え。それはすくすくと成長していって。
そして、あたし達の世界がまわりだした。きらきらと、目のくらむメリーゴーラウンドみたく。
あたしは眠るあ~ちゃんの側に座って、そっと頬に触れた。
「お人形みたい。のっち、ね、ほら」
あたしが促すのに、のっちときたら
「う…ん…」
ともごもごしながら、おずおずと近づいて、そっと、ほんとに触れるか触れないかで、あ~ちゃんの髪を撫でた。


その指先。その目。その感情の震えがあたしにまで伝播してきて、あたしまで甘酸っぱい気分になる。
もしかしたら。光輝くものに切ないほど憧れてる、その気持ちの方がまぶしいものかもしれなくて。
その切ないきらきらが、あたし達の世界をまわす原動力かもしれない。


「…ねえ、のっち」あたしはいたづら心を隠して言う。
「キスしたら、あ~ちゃん起きんかね?のっち、試してみん?」
「…!?ちょっ、ゆかちゃん、ななな何言っとん!?」
「あたししてみよっかな♪」
「だ…っ、だだだめだって!絶対、絶対だめ!!」
「冗談じゃけえ」
あたしはちょっと舌を出して笑った。のっちは、眉を八の字にしたままで、いじけた感じで体育座りをした。
あ~ちゃんはあたし達のバカ騒ぎに気付いた気配もなく。安らかなまどろみの中にいる。


もしかしたらこの世界は、あ~ちゃんの紡いだ夢の世界で。あ~ちゃんが目を覚ますと、はかなく消えてしまう幻だったりして。
もしそうだとしても。目覚めたあ~ちゃんの微笑みとともに、はじけて消えてしまうとしても、きっと、あたしものっちもとろけるほどしあわせに違いないだろう。
でも。この世界にあ~ちゃんが一人残されちゃうのは、泣きたくなるほど淋しいから。
どうか神様のくれた、この優しい季節が続きますように。桜がすみの繭にくるまれた、この永遠の春の国で。あたし達が羽をやすめて、安らかな眠りを守れますように。
…どうか、神様。

終わり。






最終更新:2008年10月10日 02:25