純粋に届かないのか、それとも届かないようにしたのか。
この違いはきっと、誰にでもわかるくらい目に見えて大きい。
一番大事なものを守ろうとして下した決断は、確実に私を苦しめて。
結果的には大事なものを守れなくなってきてる、気がする。
まだ、大丈夫だけど。
私が潰れるのが先か、それとも———。
「最近元気ないよね。」
楽屋で何気なく雑誌を読んでたら、目の前に座っていたのっちがぽつりと呟いた。
隣に座っているゆかちゃんにも聞こえないくらい、小さな声で。
聞こえなかったふりをしようかと思ったけど、なんとなくその声に切実なものを感じて私はちらっと視線を移す。
のっちは珍しく真面目な顔。
それには答えず曖昧に微笑んで、私はまた雑誌へと視線を戻した。
気のせいだよ、って言うかわりに。
のっちは諦めたのか、それ以上何も言わずに、ゆかちゃんと喋り始めた。
—だって、なんて言ったらいいかわからんのよ。
私は心の中で言い訳をする。
多分ゆかちゃんはまだ私の不調に気付いていない。
なのに…。
のっちは変なところだけ鋭い。
いや、違う。
いつも、ぽーっとしてるとか、ヘタレだとか言われてるけど、のっちは。
のっちは。
ぱたんと、雑誌を閉じて、一緒に自分の思考も閉じた。
これ以上考えても、仕様がないけぇ。
そして、何事もなかったかのように二人の会話に加わる。
「のっちなにゆかちゃんいじめとんのよ。そんなんあ〜ちゃんがゆるさんからね。」
「ち、ちがっ、これはゆかちゃんが…。」
「のっち慌てすぎー。」
「ちょ、ゆかちゃんなに傍観者ぶっとんの、のっちのフォローしてよ。」
「えー、やだー。」
「そんなぁ〜。」
うん、まだ大丈夫。
全然平気だ。
私は会話の折々に鋭い視線を投げ掛けるのっちに気付かないふり。
だってそうじゃないと。
思えば、きっかけは本当に些細なものだった気がする。
例えばそれは、ためらいがちに触れてくる手だとか、あからさまな好意に溢れた視線とか、そんなわかりやすいもので。
けれどそれらは確実に私に溶け込んで。
気付いたら、私はすっかり駄目になっていた。
のっちがいなきゃ、駄目になってた。
それを自覚したときには、胸がつぶれるかと思うくらい甘い衝撃に襲われて。
でも同時に、身を引き裂くような恐怖におののいた。
だって、この想いはきっと私達を駄目にする。
何年もかけて作り上げた信頼や、親愛を駄目にしてしまう。
だから、私はその想いに蓋をして、心の奥の奥に押し込めた。
もう二度と浮き上がってこないように。
そのせいか、今は少し、のっちと一緒にいるのが怖い。
無邪気に感情をぶつけてくる彼女が。素直に好意を示してくる彼女が。
自分の心があばかれてしまいそうで。
それに、大事なことが一つ。
私の想いとのっちの想いはイコールじゃない。
のっちが私に寄せる好意は、例えば子犬が母犬にじゃれつくような、そんな無邪気なもので。
でも、私のはそうじゃない。私の好意はもっと…。
と、頭にあたたかい感触がした。
ぽん、ぽん、とためらいがちに、でもその体温がしっかりと伝わってくるような柔らかい感触が。
こんな風に私に触れてくるのは、多分、のっちだ。
机に突っ伏していたから寝てると思われたみたい。
撮影と撮影の合間のわずかな休み時間。
ゆかちゃんは撮影で、のっちはお腹がすいたとかいって買い物に出ていっていたはず。
でもこの手の主がのっちだと解ってしまうと、どうしようもなくなってしまった。途端に頬が熱くなってくる。
私は動くことも出来ずに、のっちに頭を撫でられていた。
「あー、変態さんがおる。」
「ちょ、ゆかちゃん、しーっ!あ〜ちゃん寝とるけぇ。」
人が近づいてくる気配と一緒にゆかちゃんの声がした。
慌てすぎなのっちの声とともに、頭からのっちの手が離れていく。
少し、寂しい。
「ふーん、で、のっちはそうやってあ〜ちゃんが寝てるのに、にやにやしながら頭を撫でてた、と。立派な変態さんじゃね。」
「ちがうってば!」
「ならなんなんよ?」
「それは、なんていうか、その…。ほら、最近疲れてるみたいだから、あ〜ちゃん。」
「だから、気付かれないときに頭を撫でとこうと。やっぱり立派なセクハラじゃね。」
「なんでそうなるん!」
ゆかちゃんの口調はいつものあの、からかうようなもので。
からかわれてるのに気付きもしないのっちは必死になってる。
すると、ガタガタとけたたましい音がした。どうやら椅子から立ち上がったみたい。
そんなにむきにならなくてもいいのに。
「だってそうじゃろ。そんなに心配なら、なんで直接いったげんのよ?そーゆーの、伝わりにくいよ。」
ゆかちゃんの一言に、のっちがぐっと息を呑んだ気配がした。
「いいかえさんの?」
のっちは黙ったまま。
「まあ、いいわ。ゆかがいってどうなるわけでもないけぇ。せいぜいのっちは変態さんしとき。」
どかどかという足音と、扉が閉まる音。
ゆかちゃんが部屋から出ていったのかな。
でも、私が気になったのはやっぱりのっちのこと。のっちは一体今どんな顔をしてるんだろう。一言も言い返さないままで。
「起きとるんじゃろ?」
思いもよらない声に、びくっとした。
「別にゆかはいいんよ。特に害はないし。」
部屋に残っていたのはゆかちゃんだった。
「ごめんなさい。」
私はそろそろと頭をあげて、ゆかちゃんに謝った。
「なんで謝るんよ。別にあ〜ちゃんはなんもしとらんじゃろ。」
こくりと頷く。
確かに今のところは何も悪いことはしていない。
「のっち、出てったよ。」
「知ってる。」
そんなことは解ってる。
でも、だからといって私に何が出来るというのだろう。
「追い掛けんでええの?」
「なんで追い掛けんといけんの?」
声が少し刺々しいものになってしまったかもしれない。
でも、ゆかちゃんが変につっかかってくるから。
「のっち、ないとったよ。」
その一言を聞いた私は、椅子を蹴飛ばすと部屋を飛び出した。
のっちがいない。
大して広くないスタジオの隅から隅まで探したけれど、のっちはいなかった。
困り果てた私が向かったのは屋上。
屋上といっても二階建てだし、大して眺めもよくないし、きっといないだろうと思いながら鉄扉をあける。
けれど予想に反してのっちはいた。
ちょうどこちらに足を向け、大の字になってのっちは寝っ転がっていた。
「のっち…。」
泣いているのかと思うと、何て声をかけていいのか解らなくて、擦れた変な声が出た。
かといってこのままここを立ち去るのもためらわれて、音をたてないようにのっちに近付く。
「のっち…?」
私は恐る恐る彼女の顔を覗き込む。
「って、ねとる…。」
途端に身体中の力が抜けて、私はのっちの寝ている隣にへたりこんだ。
ゆかちゃん、私をかついだん?
だってのっち、悩みなんてありません、っていう顔しとんのよ。
「のっちのばーか。」
ばかは、ひどいか。
それを言うなら私の方がばかじゃ。
ゆかちゃんの一言で、部屋飛び出して、スタジオうろうろして。
しかも、のっちの顔をみたら一気に気が抜けて。
ねえ、のっち。
私ん中、のっちでいっぱいなんよ?一体どうしたらいい?
私は何も言えないまま、のっちの横で動けなかった。
㈰(side A) END
最終更新:2008年10月13日 10:38