アットウィキロゴ
急に降り出した雨は、ぽつぽつからしとしとへと、やや勢いを増してきた。
「あ~ちゃん、こっち!あの公園、雨宿り出来るよ!」
のっちに手をつかまれて、あたしは雨の中を走った。
公園のはずれには、小さな東屋がぽつんとあった。藤棚に囲まれた屋根の下に飛び込んで、あたしとのっちはやっとひと息つく。
「結構降られちゃったね」
のっちは眉を八の字にして顔をしかめながら、あたしを見た。


「あ~ちゃん、髪びしゃびしゃだよ!のっちタオル持っとるよ」
のっちはごそごそとカバンからぐしゃぐしゃのタオル(のっちのカバンの中はたいていぐしゃぐしゃでパンくずとか付いとる)を引っ張り出して、あたしの髪をいそいそとタオルでぬぐい出した。
至近距離ののっちから、雨のにおいがした。濡れた制服の匂い。のっちの髪から水滴が落ちてる。のっちも雨に濡れてるのに、あたしの髪を真剣な顔をして拭くのっち。
衣替えしたばかりの半袖からのぞく腕はまだ白くて。その白い腕をゆっくりと水滴がつたう。
胸が、苦しい。


「のっち、もういい。のっちが濡れとるけえ、こっちまでしずくがかかるんよ。自分でする」
あたしは邪険にのっちを払いのけて、ベンチに座った。カバンからハンカチを出す。
「あ~ちゃん、ハンカチじゃおっつかないよ。タオル、使っていいよ」
「いらん」
あたしがばっさり言うと、のっちはちょっとしょぼんとして、タオルで自分の髪をわしゃわしゃ乱暴にかき混ぜながらベンチに座った。
微妙な距離をおいて隣りに座ったところから、のっちのへこみ具合をあたしは探る。


手をちょっと伸ばしたら、届く距離。そんなにへこんでないみたい。
このごろののっちは打たれ強くなった。
このごろののっちは。あたしに触れるようになった。
前はびくびくして、何かへまをやらかしてあたしを壊したり汚したりしないように、あたしに触れることが出来なかったのに。
あたしの髪の5ミリくらい上を、大事になぞるのっちが可笑しくて。あたしはそんなのっちの手をひっつかんで引っ張りまわすのが好きだった。
なのに、なんか。
最近ののっちは。なんか、気にくわない。


「あ、あ~ちゃん、この公園出たとこにコンビニあるんよ。あたし、走って傘買って来るよ!」
そう言って飛び出して行こうとしたのっちの制服のすそをつかんで、
「別に傘なんていらん」
「でも、止みそうにないし。あ~ちゃんはここで待っとったらええんよ」
「いらん」
「でも…」
「いるんなら、のっち買いに行けば?うちは一人で歩いて帰るけえ」
「……」
のっちは呆れたみたいに頬をふくらませて、無言でベンチに座り直した。
さっきよりも、遠い距離で。
もうあたしの方を見ない。


あたし達は無言で。6月の雨が、木々の葉を打つ音だけが聞こえる。
のっちにしては珍しく気のきいた提案をむげに却下されて、さすがに怒ってるみたい。
でも。でも、あたしはただ。
こんな雨の中、一人にされたくなかっただけ。
雨の中走ってくのっちの背中を見るのが、たまらなく嫌だった。
遠ざかる背中が。雨の中ぼやけて、にじんでいくのを、あたしは見たくなかった。
おずおずと追いかけてくるのっちの気配が嬉しくて。あたしはわざと腕をすり抜けて、あと3歩ってところで止まってあげる。
でも。振り返ったらそこにのっちがいる保証なんてなくて。あたしは祈るような気分で、のっちの不器用な手があたしに届くのを待つ。
あたしはのっちの背中を見るのに慣れてない。


でもきっと。少年が少女を追い越すように。あたしのずるさも策略も祈りも届かないところに、のっちは遠ざかって行くかもしれない。
あのもどかしい距離も、限りなく大事なものを包むような手も、あたしはいつか失ってしまうかもしれない。
あたしは、のっちをチラッと見た。
投げやりな感じで、ぼんやりと雨を見つめるのっちの横顔。
水滴が、ゆっくりと頬を伝い、首筋へと流れていくのが見えた。
そのライン。いつも、あたしがこっそりと眺めてる、お気に入りのライン。
ちょっとすまして見える、のっちの横顔。
あたしはいつも。背中を向けて、横顔を見つめる。正面から向き合わない、ななめからのあたしの気持ち。
子どもみたいで、情けないから。
「…のっち」
「…なに」
「そばにおって」
あたしは、ぽつんと言う。
雨の音にまぎれるように。出来るだけ、ぶっきらぼうに。


「…もう」のっちがふてくされたように言った。「あ~ちゃんは、ずるい」
のっちはそう言うと、あたしの肩に額をのせた。
「ずるいよなあ」
のっちはそう繰り返して、額をぐりぐりあたしの肩に押しつけた。
のっちの髪からは雨の匂いがして。ひんやりと、あたしの制服を濡らす。
「のっち、髪がひやっとする。あ~ちゃんの制服濡らさんといて」
「…もう。何でそんなことばっか言うんよ」
のっちはちょっといじけたみたいに呟いた。
あたしは言葉とは裏腹に、あたしの肩に乗っかってるのっちの髪を、優しく撫でた。
のっちの腕があたしの背中に回されるのを許しながら、あたしは祈るような気持ちで、ただ雨の音を聴いた。

終わり






最終更新:2008年10月10日 02:26