いつもと違う、夜の空気にあたしは目を覚ました。
どこかしっとりとした、澄んだ静寂。木々のざわめき。夜の闇は濃いのに、不安にならないのは、窓から差しこむ月の光が恐ろしいほど綺麗だから。
闇の中、何回かまばたきを繰り返してるうちに、やっと頭がクリアーになってきた。
そっか。林間学校に来てるんだった。
うちの学校は、1年と2年の夏休み、2泊3日の林間学校がある。
ぐだぐだダラダラしたい夏休み中に、山登りやらオリエンテーリングやら面倒くさいことこの上ないが、今回ばっかりはあたしも大感謝してる。
…理由は。
あたしの背中側から、あ〜ちゃんの洗い髪の匂い。途端に、あたしの温度が1℃上がる。
ほんとはクラス毎にグループに分かれて宿泊するんだけど、1組に仲の良い友達のいる子と代わってもらって、あ〜ちゃんの隣りにちゃっかり潜り込んだ。
去年はあ〜ちゃん達と同じクラスだったけど、あたしの中によこしまな恋心は育ってなかったから、ログハウスの中枕投げ大会で大騒ぎの末、正座1時間に反省文という全く色気の無い結末…。
今年こそは、乙女3人、恋バナなんぞで盛り上がり、手をつないで寝転んで星を見て、寝る前にあ〜ちゃんの耳元に世界一甘い言葉を…と色々妄想だけは一人前にしとったのに。
このおいしい状況下で、のっちは早くもグーグー眠りこけてたようだ。
これじゃ早寝の老人じゃん、乙女のロマンチックはどこに…。
我ながら情けないけど、でもしょうがないかな。
だって。今日一日、ほんと楽しくて大興奮だったんだ。
午前中は山登りで、あたしの1組は登頂一番乗りだったけど、あ〜ちゃん達の3組が到着するまでいい子してお弁当は待って。
元気なあ〜ちゃんと半分死んでるゆかちゃんが到着して、記念撮影して、あ〜ちゃんのお母さんの作ったおっきなお弁当をみんなでつついて。
午後の牧場見学では、お馬さんとたわむれるあ〜ちゃんの太陽みたいな笑顔を、写メでこっそり撮って(待ち受けにせんとね!)。
まあ、目ざとくゆかちゃんに見つかってニヤニヤ笑われたけど、気にしないふり。
夜ご飯のカレー作りは、あ〜ちゃんの手料理が食べれる3組の子が羨ましくて、うろちょろまとわりついてあ〜ちゃんに怒られた…。
あたしはご飯担当だったのにほったらかしにしてたせいで、焦げ焦げに仕上がってて惨めな晩ご飯でした…。
まあ、そんなこと全部が。ほんと、楽しくて楽しくて。
興奮し過ぎて知恵熱出ちゃうんじゃないかなあ、って心配になるくらい。
…だって。
夏休みに入って、絶対的にあ〜ちゃんが不足してたから。
何かさ、自分の下心を意識しちゃうと、あ〜ちゃんを誘い出すのすら迷っちゃって。
ゲームとマンガの散乱した部屋に引きこもりながら、携帯を開いては閉じて。
「あ〜ちゃん元気?」の続きが打てなくて、新規メールを削除して…の繰り返し。
気を抜くと。「あ〜ちゃん会いたい」を何十回も打ってる自分がいた(もちろん送信はしてない)。
だから、久々のあ〜ちゃんに、あたしは太陽を全身に浴びたみたいに嬉しくなって、必要以上にはしゃいじゃった。
「…のっち、もう寝とるんかね?」
ぼそぼそとゆかちゃんの声がした。
あ〜ちゃんがくるっとのっちの方を振り返る気配がして、
「の〜っち」
と甘いささやき声。
二人とも、起きてたんだ。あたしはワクワクしたけど、何かもったいぶって寝たフリをした。
もっかい、あ〜ちゃんの甘い声で起こしてもらおう。
そんなよこしまなあたしの計算は、
「な〜んだ、熟睡しとる」
とあっさりスルーされた。し、しまった。
まあいいや。頃合いを見て、目が覚めたふりをしよう。
「ねえ、あ〜ちゃん。昼の話の続き聞いていい?」
「あ〜、えっと…」
「この間初恋の人に会った、って話」
…ドクン。
あたしの心臓が冷えた。
「うん、ばったり。なんかね、向こうも覚えてくれとって、西脇ぃ、って呼んでくれたんよ」
「…ふうん。どうだった?」
「小学生の頃と変わっとらんかった」
ふふっとあ〜ちゃんの笑い声。
…嫌だ。聞きたくない。
耳をふさぎたいのに、あたしは息をつめて、身じろぎも出来ない。
そりゃ、のっちが勝手にあ〜ちゃんが初恋なだけで。あ〜ちゃんに初恋の人がいてもおかしくない。
のっちが遅く出会ったんだから、しょうがない…ううん、しょうがなくない。
何であたし、この夏休み中にあ〜ちゃんを誘わなかったんだろ。
もしかしたら、のっちが誘ってたら、あ〜ちゃんは初恋の人と再会しなかったかもしれないのに。
…ほんとへたれもいいとこだ。今もこうして、あ〜ちゃんの横で泣きそうに冷えた体で、息を殺すのに精一杯。
「なんかね、バレンタインにあ〜ちゃんがあげたチョコ、お兄ちゃんにあげとったんだって」
「ちょっ、それひどくない?ゆかがおったら黙っとらんかったよ」
のっちがおったらフルボッコにしてやったよ。
…てゆうか、バレンタインのチョコとか、悔しくてほんと泣きそう。
「…でも、今彼女おるみたいだった」
あ〜ちゃんはちょっと笑って言った。
あたしはほっとしたのと、あ〜ちゃんを振るなんてと頭に来たのと、あ〜ちゃんが寂しそうなのが切ないのと、感情がぐるぐる渦巻いて息も出来ない。
「…あ〜ちゃん、寂しいの?」
ゆかちゃんが、優しく聞く。
「う〜ん。何てゆうか…。あ〜ちゃんは幸せ者じゃのう、と思った」
「へっ!?なんで!?」
「えっとね、素敵な初恋の思い出があって…でもゆかちゃんとのっちがいる今が一番幸せで…」
あ〜ちゃんはすうって深く息をついた。
「大事な思い出はいっぱいあるけど、あの頃が良かった、とか後ろ向きなことはあんまり思わん。今が一番幸せで…で、今がこの先大切な思い出に加わるんだな、って思ったら素敵じゃろ?」
「…あ〜ちゃん、超ポジティブじゃね」
ゆかちゃんがクスクス笑いながら言う。
「うちが幸せなんは、今までいい人にたくさん会えたけえ。そして…ゆかちゃんとのっちは…特に、一等大切。ずっとずっと、それは変わらん」
「…ゆかも。多分、一生、ずっと大事」
あ〜ちゃんとゆかちゃんの笑い合う声が聞こえた。
あたしは。
あ〜ちゃんの隣りで、息をひそめて窓の外の星空を眺めながら。
…泣きそうに、しあわせだった。
すうすうと、規則正しい寝息が聞こえる。
あたしはゆっくりと、そうっとあ〜ちゃんの方へ寝返りをうった。
ずっと目を覚ましてたあたしの目は闇に慣れていて。薄明かりでもあ〜ちゃんの寝姿をすぐとらえた。
あ〜ちゃんはのっちの方を向いて横になってて、あたしの心臓は止まりそうになった。
月明かりに照らされた、あ〜ちゃんの寝顔。
あたしは、身じろぎもせずに、ただじっと見つめた。
夏の夜。耳が痛くなるような静寂。安らかな寝息。薄い闇の中、あたし一人が起きてた。
手を伸ばしたら届く距離に、あ〜ちゃんの寝顔。
あ〜ちゃんの体がすうすうと、寝息に合わせて穏やかに上下して。
あ〜ちゃんは無防備で。めちゃくちゃに壊れるほど大事にしたい、って矛盾した感情があたしの胸を痛くさせる。
あたしは闇の中、あ〜ちゃんと向き合ったまま。この夜をかみしめるように、何度も何度もあ〜ちゃんの寝顔を見つめた。
あの唇が。のっちとゆかちゃんが一等大切だと言ったんだ。
手を伸ばしてあ〜ちゃんの唇に触れたい、と思ったけど、夜の静寂が神聖なものに思えて。身動きがとれない。
あ〜ちゃんを見つめながら、あたしの願うことは一つだった。
そう、あたしはたった一つの願いを見つけた。
今日のお風呂上がりに、あ〜ちゃんとゆかちゃんと3人でログハウスに向かいながら、あたし達は流れ星を探した。
願い事はいっぱいあるけど流れ星は一個も見つからなくて。
星空の下、他愛もない子供っぽい願い事を口々に叫んだ。どれ一つ本気じゃない、バカバカしい願い事。
…今なら、あたしの願うことは決まってる。
ううん、願いじゃない。そんな他力本願な弱いものじゃなくて。もっと強い。もっと真摯な。
…誓い、だ。
宣誓。
大本彩乃は、西脇綾香を、その未来もすべて、絶対に手に入れる。
あたしはあ〜ちゃんの髪を一つかみ、そうっと引き寄せて、先っぽの方に口づけた。
それだけで、もうなんか胸がいっぱいになって。
窓の外の、息づまるほど綺麗な月を眺めて、この光もよく考えれば太陽の光なんだよなあ、なんてことを考えながらあたしはそっと目を閉じた。
終わり
最終更新:2008年10月13日 12:12