ほんとは、大学なんてどうでもよかったんだけどな。
ただなんとなくこのまま広島に帰りたくないって思いだけだった。
あの頃の私たちはまだ何も成し遂げてなかった。今だってそうかも。
流れっていうのはおそろしいもので、結局今もこうやって東京にいるんだ。
…もう夕方だ。
いちょう並木に挟まれたメインストリートには、
サークルの集まりみたいな集団や、ユニフォーム姿で走り込みをしてる人たち。
やわらかい陽射しが心地いい。
もし別の人生を選んでいたとしたら。
私もその中に混じって、恋愛とかバイトとかしてたんだろうか。
もしかしたら、そっちの方がよかったのかな。
「のっちー!あ〜ちゃんのとこより新しい校舎が多いんじゃね!!」
私より二、三歩先を歩いていたあ〜ちゃんが振り返った。
指を後ろ手に組んで、長い髪を揺らして。
陽がまぶしそう。目を細めているから、笑ってるように見える。
…その姿が、すべての答えなのかも。
「何ぼうっとしよるん」
「いや、ああ、うん」
曖昧な返事の私に、もうしらん、とかなんとか言いながらまた歩きだした。
また怒られちゃったよ。
のっちだっていろいろ考えてるんですけど。
でも言えないね。。
言ったらどうせ、じゃあ何考えとるか言えって言うもんね。
そんでそのおっきな目があまりにかわいくって、近いから。
私はまた、いつもみたいに何も言えなくなっちゃうんだ。
見かけたことのある女の子たちが向こうから歩いてくるのが見えた。
楽しそうに騒ぎながら近づいてくる。
あ〜ちゃんの後姿ごしに、すれ違っていくさまを観察すると、
どの子もきらきら輝いていて、女の子としての魅力は十分すぎるくらい。
うーん。でもやっぱり。
「…今女の子見とったじゃろ」
また君が振り返る。今度はふくれっ面。
いちいちかわいくってほんとどうしたらいいんだ。
「いやいや、見てない見てない」
「ぜったい見とった」
「だって見てるとこ見てないじゃん」
「のっちのばーか」
いやいやいや。
ほんと、あ〜ちゃんが一番かわいいんだって。
でも歩き方でなんとなくわかる。本気では怒ってないんでしょ?
「うーん、そりゃ見るには見たけど…やっぱあ〜ちゃんだなって」
「…」
「ほんとほんと」
「自分の、か、彼女が一番だって思ってたんだって」
ぴたっと立ち止まってまた振り返る。
彼女って言葉、だめだったかな…おまけにまた噛んじゃったしな。。
今度はどんな顔するんだろ。
「かわいいって言葉ってさ」
「うん」
「なんか最近みんないっぱい言ってくれるから、なんか慣れてくるっていうか」
立ち止まって、下を向いて小さな声で言う。
うわー。だめだったか…でもなんで?
かわいいって言ってんのになあ。
お姫様のご機嫌はいつになってもうまくつかめないよ。
「なんか、うわべっぽくて。ほんとに思ってないじゃろ!って言いたくなる」
「ごめんごめん、でもほんとにそう思って…」
「でも、好きな人に言われるのはなんか特別」
私の言葉をさえぎって。また前を向いて歩きだした。
「…え?」
太陽の下で甘いことを言われるなんて思ってなかったから、
ちょっとした言葉で胸が高鳴ってしまうよ。
「え、なになに、もっかい言って!」
「あ〜ちゃーん」
あ〜ちゃんは振り返らない。
でもその足取りはさっきより軽くなった気がした。
少しの不安とたくさんの幸せをもらった次の日は、目が覚めたらもう昼過ぎだった。
もう今さら学校行ってもしょうがないし。たまにはデートもいいかも。
「ねーねー」
「今日どっかいこうよ」
「…うーん、満喫?」
起こされて眠そうなのっちからの提案をあっさり却下して、
私たちはのっちの学校に行くことにした。
のっちは終始嫌だと主張したけど、
好きな人が普段どんなところで過ごしているのか、見ておきたかった。
のっちの学校は思ったよりも田舎にあって、
私の学校よりのんびりした空気が流れてる気がする。
ふと左手に見えた白い三階建の建物に目を向けると、
こんな時間なのにこれから講義が始まりそうな雰囲気がしてる。
「ねー、あれ」
「あれ?」
その方向を指差さすと、ぽかんと口を開けてのっちが顔を向けた。
あっち向いてほいみたいだと笑いだしそうになって、
でもその横顔にはついつい見とれてしまう。
「ああ、たぶん心理学概論じゃね。人気だからこんな時間にもやっとるんよ」
こっちを見てにっと笑う。
本人はほんとに素でやってるから気付いてないんだろうけど。
私はこの何気ない、表情の緩急のつけ方にドキッとしてしまう。
それはなんにも狙ってない、この人にしかない穏やかさやあったかさを感じるから。
「心理学?面白そう!」
そう私が言うと、のっちが一瞬ギクッとした。なんでギクッとするんよ。
「あ〜ちゃん、まさか」
「あ〜ちゃんと一緒はいやなん?」
何か言いたそうにしているのっちの腕を引いて、私はその講義棟に向かった。
だって。
キャンパスをけだるそうに歩く姿も。学食でカレー食べてるおいしい口も。
芝に寝転んでいちご牛乳飲んでる顔も。ねむそうな顔で講義を受けてる横顔も。
ゆかちゃんは全部知ってるんでしょ。
私だって、もっと知りたいんだよ。
「えー、親和欲求とは…他者と一緒にいること自体が満足をもたらすが故に」
「それを求めようとする欲求のことであり…」
100人はゆうに入る広い教室に、マイクを通した先生の声が響く。
すこし遅れて入った私たちは、一番後ろの端の席についた。
いつもならこんな端っこの席はすぐ埋まってしまうから、
二人に用意された特等席みたいな気がする。
右隣には真面目な顔して講義を受けているあ〜ちゃんの横顔。
時折うなずいては、なんか一生懸命書き留めてる。
あれ、これあ〜ちゃんの大学じゃないのにね。真面目だなあ。
…気になってることがあった。
教室を見渡すと前の方の席に、やっぱり、
見覚えのあるサラサラのロングヘアーの子がいた。
長机の配置が階段式になってるから、もちろん気づかれてはいないだろうし、
あ〜ちゃんは気づいてない様子なんだけど。
黙ってあ〜ちゃんを連れてきたことも後ろめたく、
でも声かけないのもわるい気がする。
不意にあ〜ちゃんがぐいっとルーズリーフをこっちに寄せてきた。
『ゆかちゃんおる!!』
短い言葉だけど、なんだかインパクトあるよなあ。
うんって声を出さずに頷く。
『これ受けてるの知ってたの?』
いや、知ってたから、ちょっと迷ったんですけど…
そう思いながら、そのまま首を縦にふった。
ふーん、という顔をしてあ〜ちゃんはまた前を向いた。
『メールとかした方がいいかな??』
やっぱり、声かけた方がいいよねえ。さすがに無視っていうのもな。
そう思ってポケットから携帯を取り出そうとしたとき。
右手にあたたかいものを感じた。
『デートだって言ってるのに』
『のっちのばか』
だってメールした方がいいかなって聞いたのそっちじゃん。。
のっちのばか、って。
それにしても、書かれた文字はとってもきれいだ。
よく見ると、ちっちゃく「プンプン!!」って絵まで描かれてる。
あはは。また怒られちゃったよ。
右手はふさがれてるし声も出せないし。
かわりに、重ねられた手を握り返してみた。
それでもあ〜ちゃんはこっちを見ようとしない。
ふー。あきらめて首を机の上にのっけたとき、
普通につないでいた手が離されたかと思うと、指が深く絡められた。
それは、ぎゅって音が聞こえるくらいに強かった。
こっちは全然見ないくせにさ。
あ〜ちゃん、君はやっぱり天使だ。
やっぱりのっちは知ってたんだ。
ゆかちゃんは時折携帯をいじりながら、でも真面目にノートを書いてる。
ゆかちゃんのこと邪魔だなんて思ってないけど。
つながれた指を離したくない。今日はやっぱり二人でいたいな。
淡々と進められていく授業は、興味深い内容だった。
「…で、兄弟でも一番上の子や一人っ子は、比較的強い親和傾向を示し」
「このことは従来の様々な研究結果によって…」
私たち、どっちもそうだね。
のっちが普段通ってる学校で一緒に授業を受けてる。
ちょっと前までは当たり前のことだったのに。
こんなことが特別に感じられるのは、環境が変わったからなのかな。
それとも、好きになってしまったからなのかな。
机の下でつながれた指が、だんだんあったかくなってくる。
いつのまにか左腕の上に頭を乗せて、のっちが堂々と寝始めた。
すーすーという小さな寝息が聞こえる。
いつもこうやって、居眠りしてるんだね。
高校のときから何も変わってない様子を、
右手で頬杖をつきながら眺めてみる。
ぴたりとしたまま寸分も動かないその頭は、
簡単には形容しがたいくらい、とってもいとしい形をしていた。
「ん…」
あれ、いつの間にか寝ちゃったみたい。
いつの間にかって言いながら、自分で寝ようって思ったことは覚えてるんだけど。
伸びをしようとして、ふと気づく。
右手はしっかりとあ〜ちゃんの手を握ったままだった。
そっか、今日はあ〜ちゃんがのっちの学校見たいっていうから、
無理やり来たんだっけ。それで講義受けてたらゆかちゃんもいて…。
「…起きた?」
聞き覚えのある甘い声が耳に響く。
ふふっ、て笑いながらこっちを見るかわいい顔。
だんだん頭が冴えてくる。
窓の外を眺めると、もうすっかり日が落ちかけている。
夕日に照らされて並木の影が教室に落とされていた。
「うん」
静まりかえった、誰もいない教室の片隅で。
二人っきりで、手をつないで。
私たちは時間を分け合ってる。
後ろから夕日が射してるから、黒い髪のふちが茶色にかたどられて、輝いてみえる。
そのことがまるで夢みたいで、なんだか落ち着かない。
落ち着かないついでに、どきどきしてしまうような…。
「のっち」
誰もいないのに。あ〜ちゃんが小声でささやくように言う。
この状況を、うれしいって思ってくれてるみたいに、にこにこ笑ってる。
「すき?」
「うん」
「誰よりも?」
「うん」
そりゃあ、そうだよ。誰よりも好きに決まってる。
だって、焦がれてきた年数が違うんだよ。
ずっとこうしたかったんだよ。
「…ゆかちゃんより?」
じっと見つめられて、少しの間言葉を失った。
それがどこまで本気なのかわからなかったけど。
ためらいがちの指先が答えを待っている気がした。
その指をぎゅっとつかんで。
「それがゆかちゃんであっても」
「他の誰かじゃだめなの。本気で好きなんだから」
自分にしては珍しく噛まずに言えた気がした。
あ〜ちゃんがうれしそうに笑う。
伏せ目がちだった顔をあげてくれたから、角度が変わって顔がよく見える。
あ、このくしゃっとした顔好きだな。
「なーにかっこいいこと言いよるん」
私の右肩に頭を乗せて、ふわっとしたいつもの匂いがする。
こういうときのあ〜ちゃんはわかりやすい。
「なんか、高まっちゃったみたい」
「…?」
「親和欲求」
心理学っぽい言葉だし先生がなんか言ってた気もするけど…
爆睡してた私には意味がよくわからなかった。
でも、首にまわされてきた腕の重みでなんとなくわかる。
触れ合った部分の体温と、どちらからともなく近づいていくこの距離でも。
小さな身体を両手で引き寄せて。
私はありったけの思いを唇に乗せた。
(つづく)
最終更新:2008年10月17日 18:11