秋の匂いが漂う中、久しぶりに一人でショッピングなんかしてみたりして街を歩く。
ブラブラとそのまま街を歩いていると、お洒落なカフェを見つけた。
少し休んでいこうかな。そう思って店に入ると、遠くに誰かと面影が重なる人を見つける。
(誰かに似てる…?)
頬杖をついて窓の外をぼんやり眺めているその顔にどこか懐かしさを覚えたあたしは、その人の隣の席に座る事にした。
とりあえずコーヒーを注文して、チラリと隣の様子を伺う。
相変わらず窓の外に目をやっているから、きっと誰かと待ち合わせなんだろう。
運ばれてきたコーヒーの匂いが鼻を擽る。
いつからか、この匂いに心が落ち着くようになった。それは良い事なのか分からないけど、多分色んな意味で大人になったからなんだと思った。
コーヒーを口に運びながら、再びチラリと隣を盗み見ると。
(ヤバ、目が合っちゃった…!)
向こうもあたしを見ていた。きょとんとした瞳に、懐かしい人を頭に描く。まさか…。
「…ゆかちゃん?」
どこか聞き覚えのある声。多分あの頃より少し低くなってる気がする。
「のっち…?」
「やっぱりゆかちゃんだ!うわぁ…すっごい久しぶりじゃね」
「それコッチの台詞じゃわ。大学卒業してから、ちっとも電話もメールも返さんから心配しとったんよ?」
「ごめんごめん」
あの頃より少し低い声で、でもあの頃と変わらない子供みたいな笑顔で話すのっち。
…あたしの、好きだった人。
あたし達は幼なじみだった。
ずっと一緒だったのに大学を卒業してからというもの、連絡がとれなかったからかれこれ8年くらい会っていない。
「あ〜ちゃんは元気?」
「うん。この間も会ったよ」
「そっか。…あ〜ちゃんにも会いたいな」
「会ったら絶対カミナリ落ちるけどね。連絡ちっともとれん!って怒っとったし」
「あーそれはやだなぁ…」
苦虫を噛み潰したような顔をしてみせるのっち。やっぱり、すっかり大人になった。
少し伏せた目と横顔に少し心が揺れたけど、今は気づかないフリをした。
「…ゆかちゃんはもう結婚してるの?」
「ううん、まだ。…付き合っとる人はおるけど」
「そうなんだ。…のっちもまだなんだ」
「じゃあ、付き合っとる人はおるんじゃね…」
「うん…まぁ、もう30だしね」
そうだ。もうお互いいい大人になったんだよね。
全部がもう、あの頃とは違う。
のっちの優しい瞳も大人びて見えるし、長い指も手も少し骨ばって見えた。
「…もしかして彼氏と待ち合わせ?」
「ううん、一人だよ。ゆかちゃんは?」
「ゆかも今日は一人」
「じゃあこのままどっか遊びに行かない?」
席を立つのっちにつられてあたしも席を立つ。
差し出された手に少し躊躇ったけど、そっとその手を握った。
ざわめく街の音がどこか遠くに聞こえる。
握った手が汗ばんでるの、のっちは気付いてるでしょ?
ねぇ、ゆかはのっちが好きだったんだよって言ったら、今ののっちは何て言うかな?
「…久しぶりに会えて嬉しかったよ」
はにかんでそう言うのっちに、まるで考えが読まれたんじゃないかってドキッとしてしまう。
「のっち…」
「今度はちゃんと連絡するから、また会ってくれるかな?」
「……」
握った手から、見つめる目から、あの頃ののっちが蘇る。忘れてた感情が蘇る。
「…うん。だってうちら…友達じゃろ?」
上手く笑えてますように。
そう願って、あたしはそっと手を離した。
のっちと再会してから5日後の事。
携帯に連絡が入った。のっちからだった。
『ゆかちゃん?明日、会いたいなって思って…』
電話越しの声に、胸がきゅうっと締め付けられる。
閉じ込めてた気持ちが胸の奥から溢れそうになるのを、目を閉じてやり過ごす。
…大丈夫。昔みたいに話せる。
「…いいよ」
翌日、のっちが車に乗って迎えに来てくれた。
玄関を出たら、運転席から助手席側のドアを開けてくれた。
「乗って」
優しい微笑みに勘違いしてしまいそうになって、こっそり苦笑いする。
のっちはあたしのものではないのにと。
「着いたよ」
着いたと言われた先は見知らぬ住宅街。
「…ここ、もしかしてのっちの家?」
「うん。大学卒業した後引っ越したんよ」
のっちに促されて家の中へと入っていく。
「ごめん、ちょっと汚いかも…」
「もう…相変わらずじゃね、まったく」
溜め息を一つついて、足元に散らばる雑誌を手に取る。
「こんなんじゃ結婚できんくなるよ?」
何冊かを纏めて本棚に入れようと立ち上がった瞬間。
「結婚なんかせん…」
後ろからぎゅっと抱きしめられた。
足元にバサバサと音を立てて本が落ちていく。
のっちの腕に、声に、体温に、匂いに、吐息に、眩暈がする。
「…の、っち…?」
まるで全身が心臓になったみたい。ドクドクと早鐘をうっている。
「ゆかちゃん…」
あの頃より少し伸びた背のせいで耳元に降ってくる声。甘いそれに背中が震えた。
なんで…?なんで抱きしめるの?なんで甘い声で名前を呼ぶの?
言いたい事も聞きたい事もあるのに、唇が上手く動かない。
それでもなんとかのっちの腕からすり抜けた。
「ゆかちゃん」
のっちに向き合うと昔と変わらない八の字眉で、それなのに昔と違う顔で、声で、あたしを呼ぶ。
(…だめだ。やっぱりゆか、のっちの事…)
「今日だけ、のっちのものになって…」
掴まれた腕が熱を帯びていく。囁かれた言葉は甘く切ない誘惑だった。
その日、あたしはのっちに抱かれた。
優しい瞳と腕を、あたしは一生忘れないだろう。
「ん…」
ふと目が覚めた。時計に目をやるとAM2:00の文字が蛍光ライトとともに浮かんでいる。
身体を反転させて、のっちと向き合う。
のっちの身体はまるでタオルケットみたいに優しくて温かくて、ずっとこうしていたいなんて思ってしまった。そんな事、許されるはずもないのに。
「…ん…ゆかちゃん…」
ゆっくりとのっちの瞼が持ち上がる。
「ごめんね、起こした…?」
「ううん…」
そのままぼんやりとあたしを見つめていたのっちが、不意にあたしを抱きしめる。強くて優しい力で。
「のっち…?」
「ゆかちゃん…」
「……なんで、泣いてるん…?」
見上げると、のっちが声もなく静かに涙を零している。
あたしは頬を両手で包んで、それをそっと親指の腹で拭ってあげる。それから唇の端にキスをした。
「もう…うちら、あの頃には戻れないんだよね…」
「…うん。だって、ゆか達…もう大人じゃろ…?」
「うん…。そう…だよね…」
少し大きくなった手が伸びてきて、あたしの頬をそっと親指でなぞっていく。
何度もそうするから、ああ、あたしも泣いてるんだなって分かった。
なぞる指が止まったと思ったら、くすりと笑う吐息が聞こえた。
「…あのね。ずっと、ずっと好きだったんだ。ゆかちゃんの事」
こつん、と額が合わさる。両手で頬を包まれて、胸が苦しくなった。
「ほんとに大好きだったんよ…」
「のっち…」
「だから、ゆかちゃんに出会えて良かったんだって…幸せだったんだなぁって思ったら、切なくなっちゃった」
切なくて苦しくて、ぎゅっとのっちに抱きついた。
あたし達は大人になって、大切な何かを、想いをどんどん忘れていく。それは悲しいけど仕方のない事で。
「…ゆかも、のっちが大好きだったよ…」
「……うん」
「世界でいちばん、大好きだったよ…」
そうやって、皆変わっていくんだよね。
でも、のっちを好きだった気持ちはずっと変わらずどこかに存在していた。それはきっと本当にあたしにとって大切な存在だったから。
だからあたしも言うよ、一番大切な貴女へ。
「のっちに出会えて、よかった…」
今度こそ伝わりますように。
「…じゃあ、また連絡するね」
「うん」
助手席から降りて振り返る。のっちも運転席から降りた。
少しだけ眉を八の字にしながら、それでもあたしに微笑む。
「またね、のっち」
「うん、またね」
それから、さよなら。大好きだった人。
次会う時は、うちらは友達に戻ってるんだね。
そう思うと少し寂しかったけど、心に閉じ込めたままだった気持ちはどこか遠くに置いてこれたような気がしたんだ。
「今度は三人で遊ぼうよ」
「うん。約束」
あたし達はもうあの頃には戻れない。
でも、世界はそんな事などお構いなしに目まぐるしく廻る。あたし達の日々も。
その中であたしは大切な何かを手に入れた気がするから、これから先もそれだけで生きていける。今ならそう思える。
のっちを乗せた車が走り去る。
小さく手を振って見送ったあと。ふと、空を仰いでみる。
見上げた秋の空はどこまでも青く澄み渡っていて。あたしはちょっとだけ誇らしく、小さく微笑んだ。
END
最終更新:2008年10月17日 18:46