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—それはまだ、私がやる気のないエンドウ豆みたいだって
言われていた頃の、そんなに遠くない昔の話だ。

あの頃の私は、思っていることをうまく口に出せなくて、
思うような自分になれないことによく落胆していたっけ。

人と触れ合うことを極力避けてはいつも二人の背中を追い、
三人でいることに守られていたような気がする。

そう。今になって思えば、
私は周りの子達よりも大人になるのが少し遅かったんだ。

たとえば、それが恋だってことにもまだ気づいてないぐらいに。



テストが終わったある日の午後。
テストのできなさっぷりにもいいかげん慣れた。
なんだかんだ言っていい点取る二人との落差は大きいなあ。
でも、まいっか。

『明日、どっか行かん?』

…不意に着信が鳴る。
「三人で」という言葉がないメールに、ちょっと戸惑った。

最近のあ〜ちゃんはなんだか元気がない。
仕事でも学校でも元気そうにしてるけど、それはたぶん嘘なんだと思う。

理由は、なんとなく気づいてるつもりだった。
あの恋が、きっとうまくいってないんだろう。
勘のいいゆかちゃんが言ってるんだから、そうに違いない。

でもあ〜ちゃんはつらいことを笑顔の下敷きにしても、
がんばれる自分であることを選ぶタイプの人だから、
私たちはあえて気づかないふりをし続けてきた。

それがやさしさだと思っていたし、それを自然にできることが、
三人の絆みたいなものだと思っていたから。


天井を仰ぐ。あ〜ちゃんの顔が頭に浮かぶ。
こんなときのあ〜ちゃんはいつもキラキラ笑ってるんだ。
広島から出てきたときも、ボーリング場で踊ったときも、
いつだってその笑顔で私を勇気づけてくれた。

指定された行き先は、意外にもメジャーな場所だった。
「三人で」って書いてないだけで、きっとゆかちゃんも来るだろう。
あ〜ちゃんが私だけ誘うなんて普通ありえないもんね。

でももし誘ってなかったらどうしよう。
なんだかゆかちゃんに悪いな。後で知ったら絶対怒るし。
それに、目が眩むような笑顔の裏からこぼれてくるかもしれない話を、
私はちゃんと受け止められるかな。

何度かやりとりがあった後、しばらく逡巡して、
それでもなんだか流れで返信してしまった。

『ディズニーシー!いい響き。行こ!!』

二人で会えるのかも。あのキラキラが自分にだけ向けられる。
返信したら、なんだか心が躍った。


よく晴れた秋の空。目の前には大きな池?湖?
あ〜ちゃんによるとあれは夢と冒険の海らしい。

「ファーストパス取れんかった…のっちのせいじゃ」
「やー、ほんとごめんって」
「寮母さんに起こされるってよっぽどじゃ」
「インディジョーンズ乗れんかったらどうしてくれるん」

数歩先を歩くあ〜ちゃんが、マップを広げながらぶつぶつ言い始めた。
私の寝坊のせいで、昼過ぎから入場した。
いやほんと、寝坊するつもりなんてなかったんだけど…昼寝したのがいけなかった。

ゆかちゃんは朝早くから出かけて行ったから、
結局二人きりってことになった。
なんだか胸が高鳴る。うー、何を話せばいいのかよくわからないし。


「まあまあ…で、どこいく?」
「ほうじゃねえ、人気あるとこは2時間待ちみたいだし、アラジンとこ行こ」

マップを指差してにこっと笑う。ご機嫌直ったのかな。
でもこれはゆかちゃんの言うところの空元気ってやつなのかな。

「ほら、行くよ!」

ぼーっとしてる私の腕をつかんで歩きだした。
困ったときはいつだって、こうやって引っ張ってくれる。

たくさんの人。外国みたいな街並。
学校も仕事場もある同じ現実なのに、なんだかここは違う世界みたいだ。
だから気持ちもふわふわしてるのかな。

つかまれた指は細くてあったかくて、なんだかどきっとした。
歩くとたまに触れる手や肩が、なんか妙に照れるんだよ。


「あ〜ちゃんジーニーに乗りたい!」

ただのメリーゴーランドなのに30分くらい待つなんて。
ちょっと私には信じられない感覚だったけど、
楽しそうなあ〜ちゃんを見ていたらそんなことはどうでもよくなった。

「あれ、二階もある!!」
「あ〜ちゃん絶対二階のジーニーに乗りたい!!」

結局流れには逆らえず、
あ〜ちゃんは一階のなんだかよくわからない生き物に乗ることになった。
最初は頬を膨らませてふてくされてたくせに、乗ったら乗ったでとっても楽しそうだ。


…音楽が流れて、台座が回り始める。
途端に周りの世界から切り離されて、夢の中にいるみたいな気持ちになって。

照明のせいなのかな。なんか輝いて見える。
笑っているのに、時折遠くを見るような目をしてる横顔を。
しだいに音が聴こえなくなってくるぐらいに、夢中で見てた。

「のっちー!」
「はーい?」
「Perfumeがんばろー!!」
「おー!!」

ポールに身を預けたあ〜ちゃんが、こっちを見て笑う。
その笑顔が自分に向けられてることが現実じゃない気がして、

何度も笑ってほしくなる。遠い目なんかしないでさ。
また、スローモーションのように振り向いてくれるんだ。

あ〜ちゃんが揺れて見える。すこしずつ傾いて……ん?
首をこっちに向けるというよりは、体ごとなんか傾いてる…!!


…あぶないっ!!
そう思ったと同時に乗っていた馬から飛び降りた。
気がついたら、あ〜ちゃんの乗ってた乗り物の下に膝をついて、腕を伸ばしていた。
ほんの0コンマ何秒か遅れて、あ〜ちゃんが腕の中に降りてきた。

それは本当に、一瞬の出来事だった。


「ナイスキャッチ!」
並んでいる人たちのどよめきが聞こえる。
係りの人が様子を見に来る足音も聞こえる。


…まだ、台座は回り続ける。
照明の金色の光が腕の中の彼女を照らしていく。音楽も止まっていない。
でも、その顔を見ていたら、何も聞こえなくなった。

腕の中にすっぽり入ったあ〜ちゃんは目をつむっていた。
回転に酔っちゃったのかな。テスト勉強続きで疲れてたから。

それとも、悩んで眠れなかったの。
その顔はすやすや眠っているようにも見えるから。
そんなに、つからかったの。

普通なら、大丈夫?って声をかけたり。肩をつかんで意識を確認したり。
きっとするべきだったんだろうと思う。

でも私は、吸い寄せられるように、彼女に顔を近づけていた。
ドキドキとかせつないとかくるしいとか、そんなんじゃない。

引き寄せられる、その表現が一番合っているように思った。
キラキラで目が眩むのに、なんかそれがとても自然な気がして、抗う気も起きなかったんだ。


…数センチの距離に届いたとき。
ガコッ!!
クリティカルヒット。
あ〜ちゃんの乗り物が上下して、その足に思いっきり頭を殴打された。

そしてまるでそれが合図かのように、
音楽も照明も回転も、すべてが止まってしまった。


「…ほんとに、大丈夫なの?」

係の人が医務室に運ぶと言ってくれたのを、あ〜ちゃんは頑なに断った。
私もちゃんと診てもらった方がいいって勧めたのに、がんとしてきかなかった。

寝不足なだけじゃ、と言いながらまた私より前を歩き出す。
アラビアンコーストは縁起が悪いから他行く!と言いながら。

あ〜ちゃんはほんとに頑固なところがあるから、こういうときは言うことを聞くしかない。
黙って後ろから見守るようについていくことにした。
でも、ふらふらとした足取りが頼りないよ。

ポップコーンのワゴンを通りすぎて、マーメイドラグーンが見えてくる。
人にぶつかって、数歩先を行く足取りがふらついた。
おいおい、あぶないなあ。ほんとに。

「あ〜ちゃんっ」

あわてて後ろから肩を抱きかかえるようにして、その身を支える。

「ほーらー」
すこし怒ったような口調で、あ〜ちゃんをいさめてみる。
普段と逆の立場でちょっと不思議な感じがする。

「今日は、もう帰ろ?」
「…」

覗き込んだ顔は何かを耐えているようで、唇がすこし歪んで見えた。
何を考えているんだろう。なんだか、胸が痛くなる。

「わーかった。じゃあ、座れるとこで花火待とうよ」

今度は素直にうなずいてくれた。にこって笑う。

「のっち」
「んー?」
「ありがと」

安心したような、取り上げられたおもちゃを返してもらったときのような。
子どもみたいな笑顔だった。



…その後花火が終わるまでは、たわいもない時間が過ぎていった。

あ〜ちゃんがどうしてもインディジョーンズに乗ると言ってきかなかったこと。
あ〜ちゃんがどうしてもバニラソルトアイスを食べると言って買いに行かされたこと。
途切れる会話にどうしていいかわからなくて、寝てしまった私を怒ったこと。
あやうくジーニーに乗れなかったことまで私にせいにされそうになったこと。

とてもよく覚えてる。


煙と火薬の匂いがまだ残る海。ショーも花火も終わってしまった。
映し出された街灯の光が、RPGの世界にいるみたいな気持ちにさせる。

お城みたいなところの階段を上って、二人でその景色を見ていた。
遠くには本物の海が見える。終わりが近づいてきてるね。

「…なんか、寒い」
「ほい」

つけていたストールを外して、あ〜ちゃんに手渡してみる。
黙って受け取って首に巻いた後、また柵に肘をついて作られた海に目を落とす。

その様子がなんだかいつものあ〜ちゃんとは違う気がした。
さみしそうな、でも触れてはいけないような。
もうなんか大人の女の人みたいな横顔で、ちょっとドキドキした。

ふと、あ〜ちゃんが何かをじっと見てるのに気づく。
視線の先には抱き合ってキスしているカップルがいた。
うわ…あんなこと。いろんな人が見てるのに…!
ドラマ以外で初めて見た生のキスに顔が熱くなっていく。

「のっち」
「…」
「のっち、見すぎ見すぎ」
「だ、だって、はっはじめてみた、から」

あ〜ちゃんが笑っておでこを小突いてきた。手は冷たかった。

「みんなしとることじゃ。のっちもするようになるんじゃよ」

お姉さんみたいに笑う。
みんな、という言葉と、のっちも、という言葉がひっかかった。
あ〜ちゃんも、してるってことなのかな。

そう思うとなんだかとてもくるしかった。


さっきのカップルは肩を組みながら、私たちみたいに海を見ていた。
あ〜ちゃんも相変わらずこのキラキラした世界を、黙ってじっと見つめてる。

何に悩んでるの?
そう聞いてあげれば楽になるかな。そう思うのに、言葉が出てこない。
頼りなさそうな細い手に触って、大丈夫って言ってあげればいいのかな。

それなのに、なんで触れることができないんだろう。
人生を変えてくれたこの大切な親友のことをもっと知りたいのに。
もっと知って、もっともっとわかってあげたいのに。

さっきから、くるしさとドキドキが交互に繰り返してる。
このなんだかよくわからない気持ちが邪魔して、なかなか踏み込めない。


何も言い出せないでいると、あ〜ちゃんがこっちを見ずに言った。
「…のっちは、好きな人とかおるん?」

好き、か。なんかよくわからない。

「好きってどういうことなん?」
「んー、その人といるとドキドキしたり、なんかくるしくなったり。」
「そういう人、おらんの?」
「えっ、そうなん、それなら…」

それなら、今そうだよ。
でもなんだか、それは言ってはいけない気がした。


ポケットに突っ込んでた手を出して、同じように柵にもたれてみる。
腕の触れ合った部分は、少しでも離れるとすぐに冷えてしまう。
あ〜ちゃんの体温が下がらないように、じっとしていよう。

「それなら、何なん?」
「の、のっちは…も、もしかしら…」

思っていたことを話そうとしたとき、それを遮るように強い風が吹いた。
さっきまで花火を映していた水面が揺れる。もうそこに輝きはなかった。


「のっち噛み噛み」
困ったように笑いながら、こっちを見る。
聞き取れないくらいの小さな声がしたと思った。
ふわっとした匂いとともに、あ〜ちゃんが肩に頭を乗せてくる。

どきどきみたいな胸の高鳴りを抑えながら。
うん。ちゃんと知りたいよ。このままじゃ、足りないよ。

「…あ〜ちゃんは?」
「何?」
「あ〜ちゃんは、その、なんていうか。最近元気ないっていうか…」

沈黙が痛い。聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。
もたれられた左の肩がなんだか熱い。


「…今しあわせじゃよ。けっこううまくいっとんのよ」

ふふっと息をもらして、すこし笑った。
甘い笑い顔に、返答に困ってしまう。嘘でしょって言えないよ。


「そっか…そういえば、今日なんで二人で来たの?」
「うーん」
「のっちは、あ〜ちゃんがピンチのときにいつも助けてくれるけぇ」

しあわせだって言ったのに、ピンチだって言うし。
せつない顔するくせに、笑顔になったりする。
もっと知りたいな。でもなんかそれは、いけないことなんだろうか。

あ〜ちゃんが私の左腕に自分の右腕をまわしてきた。
そのしぐさがあまりに手馴れているようで胸が痛かった。
なのに、うれしくてどきどきして、思わず手に触れたくなってしまう。

でも。それは気のせいだ。寒いから。風がきついから。
こうしてるとあったかいから。
どうせ、そんな理由にすぎないんだ。

そんな理由にすぎないのに。

「あ〜ちゃん…のっちはね」

口をついて出てきそうな言葉に、自分でも戸惑う。
自分は何を言うつもりなんだろう。


「のっち」
「…もうすこし、このままでいたいよ」
あ〜ちゃんが言葉を遮った。さっきみたいな固い声じゃなくて。
何かを祈るような、やわらかくて甘い声だった。

なんのことを言っているのかは、わからなかったんだよ。


「もうそろそろ、行こっか」

歩き出した後ろ姿があまりにも小さくて、せつない気がした。
でもそれは気のせいだって思わなければいけないと思った。

「そういえば…そのたんこぶどうしたの?」
「えっ、わかる?」
「わかるわかる、エンドウ豆の豆が増えとるみたい」
「いや、えっと、それは、まあ、その」

またポケットに手を突っ込んで、小走りにあ〜ちゃんを追う。
うーん。まさか、本当のことは言えないし。。
なんて言おう。のっちもコケたって言っておけば納得するかなあ。


「…馬の足に、頭打ったときのじゃろ?」
「え?まさか、起きてたの?」
「さあ?」

振り返って、いじわるそうにいーってした。
そこにはもう、いつものあの笑顔があった。
誰でも引き込まれてしまう、明るくって力強い笑顔だった。


さっき、大事なことに気づいたと思う。
でもたぶん、それはまだ気づかなくてもいいことなのかもしれない。

またいつか、二人で会えたらいいな。



この後しばらくの間、私は無意識に自分の気持ちに封印をする。
それが恋だったってことも忘れてしまうくらい、三人でいることに夢中になって。
ただひたすら最高を求めて、無我夢中で駆け抜ける時期を迎える。


…そしてさらにその何年か後。
すこし大人になった私たちは、知ることになる。

このとき気づかないふりをしていたことを。
それでも、互いに信じ合えてきたことを。

そしてそれが、確かに運命だったってことを。



(おわり)





最終更新:2008年11月13日 19:53