「カレー食べる前に、ゆかと運動しよっか」
「ん?」
落ちたトングを拾った私に、ゆかちゃんが声をかけた。
声色の微妙な異質感と、背後から感じた殺気、いや情気、いや欲気?に、私は本能的に振り返った。
「!」
あまりの至近距離にゆかちゃんが立っていて、息を飲んだ。いつもなら魅了される笑顔に、なぜか鳥肌が立つ。
思わず後ずさったが、すぐにキッチン台に阻まれた。
…な、なに!?もしかしてずっと料理しっぱなしだったから怒ってる!?
でもさっきまで普通だったはず。
なんか、落ち着かない。
ん?さっき運動って言った?
ゆかちゃんは何も言わずに私に抱きついてきた。ほんの微かな香水の香りがして、私はつい深呼吸してしまう。
「どしたの?」
私は反射的にゆかちゃんの背中に腕をまわした。少し熱い体温。軽く力を込める。
…なんだろ?全然空気が読めないな。
それにさっきから、なんだか、こう、胸が、ざわざわする。
めっちゃ暑いし…お?おおぉぉ?
突然私の両腕が、ゆかちゃんの両腋に挟められた。その信じられない力の強さに、思わず腕の細さを確認した。いつも通り、細い。
「うゎ!」
腋で両腕を捕らえたまま、ゆかちゃんの手が私の、私の。
…お、お尻!?ちが、太もも!?
え、え、え、なになにどこどこ…!?
ってかなんでなんでどしたどした!?
う、腕動かせないし!身動きできん!
目をひたすら瞬かせる私の鼻の先に、ゆかちゃんの顔が現れた。
その子供っぽくさえ思える笑顔は、この体勢と全く合致していない。逆にそれが、怖い。
「だから、ゆかと運動しよ?」
私の頭の中に、逃げ遅れた草食動物の映像がちらついた。
サバンナの、ガゼル。
…く、喰われる…!
いやでもなんで今!?どこにそんな要素が??
落ち着け落ち着け、とりあえず状況を確認しよう。
それに相手は間違ってもヒトだ。まだ、たぶん…。
私は対話を試みることにした。
「う、運動?」「うん」「その、手は?」「本日の運動目標」「ふぁ!…いやいやいやうそうそうそ」「すごいねのっち!今のでわかったん!?」「わかるよそんな手つきされたら!」「じゃそゆことで…」「待って待ってお腹空いたって!」「ゆかも空いてるから、ね?」「うっわもしかして変な意味で空いてるって言いたいの!?」「すごいね〜のっちも頭回るようなったんね〜」「んぁ!…だから手つきがそう言ってるんだって!」「すぐ終わるから。目指せ30分」「はやっ!いやそゆ問題じゃないし!」「ん〜…じゃ20分で」「ちょっとなんの計算したの今!?ねえ!?」「のっちが集中すれば5分で…いけるっ」「いやまじ無理だから!ってかキリッと決め顔すんな!」「だから安心して、ね?」「なにを!?おかしいよさっきからキャラ変わってるよっ」「てーんごーくーへー♪」「やめて。あの歌そゆ使い方やめてお願い」「もう、何が不満なの?ヘヴンだよ!?」「ヘヴンじゃなくて全部だよ!カレー食べようよ!」「あ、今うまいこと言ったと思ったじゃろ」「思ってないし…もう、カレー食べたいだけっす…」「のっちはカレー食べたい。ゆかはのっち食べたい。なんて言うんだっけこれ?」「知らないよ!なんとも言わないから!」「わかった!食物連鎖??」「意味不明だしたぶん間違ってるよ…」「ゆか今うまいこと言ったよ?」「全っ然うまくないから。ってかまじで手ぇ離して」「やだー。のっちはゆかに目標を諦めろって言うの!?」「変な言い方やめろーっ」「今まで3人で頑張ってきたのに…」「それ話違うし。目標すり替わってるから」「あ、ほんとだ。じゃあゆか1人でも頑張る!」「ひゃ!…待って本気待って」「リモコンとは違って諦めないから!」「リ、リモコン!?まじ意味わからんよ!?」「のっち。ゆかにもね、負けられない戦いがあるんよ?」「なんで真顔!?ってかいっつも不敗でしょーが!」「今日はいろんな記録更新じゃね〜」「どんな記録…ってちょ…や…まっ」「だめー。もう十分待ったよー」
約1分45秒間の対話は終了した。
ゆかちゃんの手が私の、私の、よくわからない部分をしつこく撫でさすっている。
いつの間にかショートパンツの隙間から指を捩じ込まれ、汗で湿る肌を直に触ってくる。
私の両腕は相変わらずがっちりと固定されていて、しかもゆかちゃんの体が密着しているため、全く身動きが取れない。
それでも背中を叩いたり身を捩らせる私を叱るように、唐突に左耳が噛まれた。
噛んで噛んで、たまに舐め上げる。
それだけで私の抵抗は見る間に弱々しくなった。自分でも情けない。
…ん、はっ…もう、なん、で…
ってか、すご、暑い…あっつ。
ん?あつい??
私は今にも崩れ落ちそうな理性にすがりながら、必死に視線を動かした。
「ふっ…ぁ…?うおぁ!ゆかちゃん火!鍋の火ぃ止めてない!」「……」「続けないでよ!火!止めて止めて!」「ゆか手ぇ離せない」「離せるよっ。私が離せないんだよっ」「やだ。ゆかの目標見失っちゃうよ?」「だから変な言い方しないで!」「火とかいーよ、あと5分くらい」「あぁ、まぁそんくら…いやいやいや、5分とか無理まじ無理!」「のっちは本当はできる子じゃもんね?」「そのできるってそーゆー意味じゃないよね!?」「だってほら、あついよ?」「はっ…ど、どこ…さわっ」「ね?だから…ん、きっつ…」「きっ!! へ、変なこと言うな!」「変?だってこれ結構ぴったりして…」「!! わ、わ、わかったからっ」「のっちもしかして…」「だから火!火ぃ消さんと!」「まだゆかの指、届いてないよ?」「!! わーかったからお願いだから手ぇ離してっ」「のっち、さっき勘違いしたじゃろ?」「してないしてないしてない」「自分の体なのに勘違いって…」「しーてーないからぁ早くぅ!」「早く?よっしゃ任せとけ!」「や…くぅ…そ、そうい…意味じゃ…」「ちょっと黙ってて」「……」
約15分後。
「ん〜、おいしいねっ、のっちのカレー!」
「…はい、おいしいです」
私の自慢のカレーは極弱火の火力にしてあったことと、救出時間が予定通りであったため、非常においしかった。
にこにこご機嫌でカレーを頬張るゆかちゃんを見つつ、私は決意した。
…よし、カレーおかわりしよ。
この後のこともあるし、体力つけとかんと。
ゆかちゃん。のっちにも、勝ちたい戦いがあるんだよ?
ーーーーendーーーー
最終更新:2009年01月28日 20:19