「あ〜ちゃ…!」
わるい夢で目が覚めた。
喉はからからで、頭はじんじん。しかも、前髪がべっとり額に張りついている。
一つため息を吐いて髪をかきあげ、隣を見やる。
跳ね起きてしまったせいであ〜ちゃんを起こしてしまってないかな?
良かった。
どうやら気付かなかったみたい。
こんなとこ見たら、きっと優しい君は心配するだろうから。
そっと布団を出ると、冷蔵庫をあけて水を取り出す。
一気に喉に流し込むと、乾いた咳が立て続けにでた。
わるい夢だった。
いや、わるい、って言い切っていいのかはわからない。
ただ、少なくともわたしにとっては相当の悪夢だ。
けれど、それは本来あるべき姿のようで。
だったらきっとさっきまでのことも無意味なこと。
あ〜ちゃん、わたしには自信がないよ。
自分がしてることが正しいことなのか。
わかってたことだけど、改められて突き付けられた事実は重い。
なんとなくベッドには戻り辛くて、ソファに寝転がって体を丸めた。
ちぢこまったところで、逃げられるわけじゃないのに。そうでもしないと自分が
ばらばらになってしまいそうで。
正しいって、なんだろう?
のっちが変だ。
ううん、変、っていうのとは少し違うかな。どちらかっていうと遠慮してるって
いうか…。
いや。もしかしたら単に落ち着いただけなのかな。確かに一時期はやりすぎだっ
たし。
でも、やっぱり気になる。
そう。最近のっちが私に触れてこない。
構わないんだけど、そこは、やっぱり、ね。
もしかしたら飽きちゃったのかなとか、私に魅力がないのかなとか、考えちゃっ
て。
ああ見えて、本当に優しいから。色々言い出せないだけなのかもしれない。
実はとっくに私のこと好きじゃないとか…。
右手の薬指にはめたままの指輪を眺める。
よっぽど左手にはめようと思ったけど、のっちは穏やかに微笑んで、そこまでし
なくていいから、って言ってくれた。
あ〜ちゃんの想いは伝わってる、って。
思えばこれくらいしか、私たちの間を目にみえて示してくれるものはなくて。
普通ならこれでじゅうぶんなんだろうけど、普通じゃない私たちは目に見える確
かなものがないと安心できない。
だから、なんとなく解る。
のっちが貪るように私を求めたのも。
不安なのは彼女だけじゃない。
私は小さく指輪に問い掛けた。
ねぇ、教えてよ。
これをくれたあの人は今どんな気持ちでいるのか。
一人で悩んでたりしないか。
でも当たり前のように、指輪は鈍く光るだけで。
普通ってなんて残酷な言葉だろうって、思わず泣きたくなった。
「のっち。」
「ん?」
呼び掛けると彼女は優しく微笑む。
久しぶりのお泊まり。
ドキドキしたけれど私から誘ってみた。
結局あれからのっちは私に触れようとはしなかった。
それが全てだとは言わないけど、このままほうってもおけない。
だって本当にもう私のことが好きじゃないんだったら、いつまでも彼女のことを
しばってはおけない。
だって私は彼女が好きだから。
万が一のことまで考えて、会う前に指輪も外した。
何をいわれるかわかっていないのっちは優しく微笑み続ける。
その瞳の色は、前とかわらないように見えるのに。
何分かしたら、この唇から残酷な事実が告げられるのかもしれない。
そう思うと、このまま素知らぬふりをしていられたらなんて、都合のいいことを
考えた。
けれど、大事な人の重荷になるくらいなら傷ついたほうがましだ。
「あ〜ちゃん、どうしたの?」
「ねえ。」
深呼吸を一つする。
口を開きかけて、ああ、本当に別れるんだったらキスくらい最後にしておけばよ
かったなんて、小さく後悔した。
部屋に入る前から気付いてた。
あ〜ちゃんの指に指輪がないことくらい。
もう、ダメなんだなって思った。
片想いしてた時間のほうが、付き合ってた時間より長いなんてよくある話。
付き合えたっていうこと自体が奇跡みたいなもんなんだから。
人間諦めると穏やかな気持ちになるみたいで、きっとここ最近で一番穏やかな顔
をしてたと思う。
皮肉だなあ、最後なのにこんなに嬉しい。
だって、あ〜ちゃんから誘ってくれたんだ。
これが別れ話じゃなかったら、どんなによかっただろう。
「のっち。」
「ん?」
至近距離で彼女を見つめて、心からいとしいと思った。
こんなに近いのは久しぶりだ。
あの夢を見た日から、なんとなく自分から彼女に触れられなくなってしまった。
自信がなかった。
無意味じゃないって思い切れるほどの自信が。
それが例えばただ、触れる、っていう一番簡単な行為でも。
毎日手を伸ばしかけて、ためらって、諦めての繰り返し。
もっと近くにいたいけど、あるかもしれない未来のことを考えると、それが出来
なかった。
自分がとても嫌なもので、きれいな彼女を汚してしまう存在に思えた。そもそも
自分のせいで、道を踏み間違えさせてしまったんじゃないかって。
あ〜ちゃんは熱っぽい瞳でわたしを見つめたまま口を開かない。
そんな表情で別れを告げるなんてやっぱり君は残酷だ。
だってどうやってもこの顔からは甘い台詞以外は出てきそうにないじゃない。
「あ〜ちゃん、どうしたの?」
先を促したくはなかったけれど、きっと君は優しいから切り出せないでしょう?
だったらきっかけは自分が作らなきゃ。
せめて最後はかっこよく終わりたい。
「ねえ。」
彼女は甘い瞳のまま、けれど表情からためらいの色は消えていない。
このまま強引にキスをして、その唇を奪ってしまえば少しは先のばしにできる?
嫌なんだよ、あ〜ちゃん。自分は君が好きでたまらない。手放すなんて絶対にし
たくないんだ。
ぐわっと身体中の血が沸騰して、思わず手を伸ばし掛けたとき、夢の中のあ〜ち
ゃんの言葉が甦った。
『私ね、どうしても子供が欲しいんよ。のっちのことは本当に好き。けど私たち
じゃ…。だから、別れてください。傷つけて本当にごめんなさい。』
だめだ、わたしはもうそれだけで身動きがとれない。
実際に言われた訳じゃないのに。
結局手を伸ばすことも出来ずに、ただこぶしを握り締めて、目の前の彼女に向き
合った。
「あの、ね。」
あ〜ちゃんはためらいがちに唇を開きはじめる。
「少し、前から思ってたんだけど。」
ああ、くる。
最後の瞬間が。
その台詞は夢と同じなの?
それとも君は、わたしを傷つけないように優しい嘘を吐くの?
「のっち、私のこと、嫌いになっちゃったのかな?」
「…へっ?!!」
そんなにおかしいことを言っただろうか。
のっちは口をあんぐり開けたまま、二の句が告げないでいる。
ただ単にストレートに聞いただけなんだけど…。
「勘違いならええんよ。じゃけど、なんとなく最近のっちに避けられとるように
思えて…。」
言いながら、どんどん不安になってくる。
のっちは相変わらずぽかんとしたままだ。
「本当に。ちがうならいいんよ。けど…。最近あんまり、触れてくれんなぁとか
、思ったけぇ。」
おそるおそる続ける。
すると、のっちの表情が曇りはじめた。
「あの、ね。もし。…もし、もうのっちが私のこと、好きじゃなくて。でもなん
となくいい辛くて言えてないだけなんだったら、今きちんと教えて。」
のっちは黙り込んだまま。
違うなら否定してくれればいいのに、目の前の彼女は身じろぎもしない。
時計の針がカチコチと動く小さな音だけが部屋に響く。
私はというと、沈黙が重すぎて身動きがとれないでいた。
けれど、このままお互い黙ったままじゃ何も進まない。
「…勘違いならいいんよ。のっちがその気になるまで待つけぇ。」
声が震えそうになるのを必死に堪えながらそういうと、のっちは細く息を吐き出
し、俯いた。
予想外だった。
ただ、当然の疑問だとも思った。
だって単に自分が勝手に夢にとらわれてしまっただけで、別に今までの自分達に
は何の問題もなかったんだから。
あ〜ちゃんの言葉にひどく安心して、けれど同時に戸惑いに襲われた。
夢と同じ結果になるくらいなら、今、ここで全てを終わらせてしまったほうがい
いんじゃないかって。
彼女を自分に縛り付けておいたら、彼女には一生こどもは出来ない。
わたしは俯いたまま何も言いだせなかった。
好きなだけじゃ、どうにもならないことがある。
彼女の本当の幸せのためには自分は身を引いた方がいい。
けれどなら、耐えられる?
彼女のあの白い肌の上を、自分以外の指が、唇が這うことを。
熱っぽい瞳で見つめられることを。色づいた高い声を聞かれることを。
…駄目だ。耐えられない。
だってこんなに自分はあ〜ちゃんが好きだ。
気付いたら、涙がひっきりなしに零れてきた。
身動きがとれない。
わがままを言うこと、君は許してくれないかな?
夢を一つ諦めて、わたしのそばにいることを選んでくれないかな?
「のっち…。」
戸惑った声と共にめらいがちに腕がのばされて、けれどしっかりと抱き締められ
た。
久しぶりの感覚に、胸が苦しくなって。けれどひどく安心した。
やっぱり手放せるわけがない。
だってこんなにも彼女が好きでたまらない。
「夢、みたんよ。」
しばらくはのっちが子供みたいにひくひくしゃくりあげる声だけが部屋に響いて
。
そのあと、今にも消えそうな声で小さく呟いた。
「夢?」
「ん。ゆめ。」
みた、ってことは、あの寝ながらみる方の夢なのかな?
私はよく解らないまま、ただ相づちをうつ。
でもきっと、これからのっちは何か大切なことを話してくれるはず。
「あ〜ちゃん、言ったんよ。そこで。こどもが欲しいから、もうのっちとは付き
合えないって。」
「…。」
何も言えなかった。
私だって、考えたことがない訳ではない。
「単なる夢、だけど。でも、あ〜ちゃんはこども好きだし、欲しいって、言って
たの知ってるし。…そしたら、触れられなくなったんよ。全部、ぜんぶ無駄な気
がして。」
無言のまま彼女を抱き締める腕の力を強める。
それに呼応するように、私の肩の辺りにのっちが頭を埋めた。
「だから、今日も別れようって言われるんだと思った。…指輪もしてないし。そ
したら、ぜんぜん考えてなかったこと言われて。」
ぽつりぽつり話し続ける。
もう泣き止んではいたけれど、その声にはいつもの明るさはない。
「わかんない。好きだけど、でも好きだから幸せになってほしい。自分が幸せに
したいけど、自分じゃどうしてもかなえてあげられない幸せがある。」
「のっち。」
言いながら、形のいい頭に手を伸ばしてそっと撫でる。
「のっちは…。私のこと、嫌い?」
「好き。」
力強い口調に安心する。
なら大丈夫。
だって、一番大事なことは一番シンプルだもの。
「だったら、そのままはなさんでよ。」
「でもそしたらこども…。」
「私だって、考えたんよ。」
のっちは恐る恐る私を見上げた。その瞳は真っ赤で、頼りなく揺れている。
そういえば、彼女が泣くのを見るのは久しぶりだ。
きちんと付き合いだしてから、泣いているのは私だけで、きまって彼女はそんな
私を何も言わずに包んでくれていた。
プライベートでは私に負けず劣らず涙もろかったくせに。
きっと今までも泣きたくなるようなことなんて沢山あっただろうに。知らないう
ちに、いつもその優しさに守られてたんだ。
強がっちゃって。
そんな彼女を改めていとしいと思った。
こんなに愛されて、これ以上何を望めというんだろう。
「罰があたるわ。」
「え?」
「そんな理由でのっちのことふったら。」
「あ〜ちゃん…。」
「私は、今ここにいるのっちが一番大事。のっちが男だったらこどもはできるか
もしれんけど、それはもうのっちじゃないけぇ。覚えておいて。私は大本彩乃が
好きなんよ。もう覚悟なんて、出来てるから。」
そう。もうとっくにしてる。
あなたを好きになったあの日から。
「それくらいの価値、あるから。私にとって。」
ぎゅうっと、無言で抱き締められた。
この腕はこんなに安心する。
そこにきちんと帰ってこれたことを、本当に嬉しいと感じた。
「ばかのっち。」
いつもの感じで悪態をつくと、今日はじめてのっちが笑った。
この先も、私の好きなその笑顔を見せてよ?
「それに、もしどうしてもこどもが欲しくなったら、ゆかちゃんから奪うけぇ大
丈夫じゃ。」
「ちょ、それ犯罪!」
「何いっとんの?ゆかちゃんのものはPerfumeのもの。要するに私たちのものでも
あるんよ?」
「うへぇ。」
「だから自信もってよ。のっちばっかが私のこと好きなんじゃなくって、きちん
と私ものっちのこと好きなんよ。」
「あ〜ちゃん…。」
言いたいことを言い切った私は、付かれないようにポケットを探り、彼女の目の
前にお目当てのものをかざす。
ねえ、今度はどこにはめてくれる?
全てを悟ったのか、彼女はゆっくりとした動作で手の中からそれを奪うと、真剣
な眼差しで私をみつめた。
今までないほどのドキドキの中、私はあなたが指輪をはめてくれるのを待ってい
た。
END
みなさんの続きものの間にひっそりと。最近投下が多くて嬉しい限りです。
最終更新:2009年02月12日 14:32