のっちのマンションの正面玄関に着くまでは、いつも通りだった。少なくとも表面上は。
でも私にはわかる。のっちもわかっている。
2人とも他愛のない会話をしつつ、頭は完全に上の空で、歩く速度は確実に速まっていたのだから。
自動ドアが開いてマンションに入ってから、私たちは一言も話さなくなった。
足早にエレベーターへ乗り込む。ついさっきまで何を話していたのか、すでに思い出すことはできない。
のっちが部屋の階のボタンを押すと、エレベーターの扉が苛々するくらいゆっくりと閉じた。
早く。早くして。
急いだせいで少し乱れた呼吸を整えていたら、ボタンから離れたのっちの指が下に降ろされた拍子に、隣に立つ私の指に当たった。
「!」
しまった。こんなところで。油断していた。
私たちの均衡は、最初の一瞬で決まる。
今日の均衡の針は今、のっちへ振り切れた。
指が触れた瞬間、私の肩が微かに揺れたのを知ってか知らずか、のっちは一方的にそのまま手を握ってきた。
すでに熱いその手から私の体中の神経へ、快い電流が走る。今まで何度も感じてきた、感覚。
私は思わず固く瞼を閉じた。
今のっちを見てはいけない。見たら、飲まれる。
でも私は沸き上がる欲望に勝てない。勝てるはずがない。
いや、勝ちたいとも、思わない。
恐る恐る瞼を開き、目だけ動かして隣を見た。
途端、貫かれた。いとも簡単に。私を欲している瞳に。
むせ返るような期待に息が詰まる。脳内がじりじりと焦がされる。
こうなることはわかっていた。今日は1ヶ月ぶりに、2人だけで会うから。
私は貫かれたまま、目を逸らせない。
駄目だ。飲み込まれる。焼かれてしまう。
私たちは手が白くなる程強く繋ぎ合い、競うようにエレベーターから出ると、小走りでのっちの部屋に向かった。
バッグから鍵を取り出す間も、見つめ合う。
瞳から発せられる情に当てられ、この場で今すぐ求めてしまいそうになる。
のっちの手がひどく熱くて、痛くて、うまく呼吸ができない。
早く。早くして。
実際に経った時間の数十倍待たされたかのように、私たちは玄関へ入った。
ドアが閉まると同時に、先に入ったのっちが振り向いて、繋いだ手ごと私をドアに押しつける。鍵が床に落ちる音がした。
焦れた唇で捕らえられる寸前、私は握っていない方の手でそれを阻んだ。
嫌。せっかくここまで我慢したんだから。
邪魔なものを取らないと、嫌。
目だけでそう訴えると、のっちは軽く睨み返しながらもあっさり受け入れ、手を離して部屋に入った。もめる時間すら惜しいのだろう。
私たちは相変わらず何も言葉にしないまま、身につけているもの全てをリビングで脱ぎ捨てる。
こんな状態、端から見たら完全に狂っている。
でもそれくらい限界だし、実際、狂っている。
私は浴室へ向かうのっちに付いていき、2人で中に入った。
少し肌寒いと思ったと同時に、私の体はのっちによって壁へ叩きつけられた。玄関のときより力強く、肩を掴まれて。
あの瞳が、また私を貫く。瞳の奥で、たぎる情が揺れている。
いよいよこの中に飲み込まれ焼かれる思うと、私の下腹部から表現しがたい感覚がせり上がってきた。
刺激に備えて軽く息を吸い込む。
が、期待した刺激はなかなかやって来ない。
不思議に思う私を無視し、肩にかける力はそのままに、のっちは私の体を時間をかけて上から下まで舐めるように眺め始めた。
まるで、記憶と照らし合わせるみたいに。
私を惹き付けて離さない瞳で見つめられている。そう考えるだけで体の芯が疼いて疼いて、仕方がない。
ねえ、私は変わった?
ううん、変わらずにのっちを求めてるだけ。
私の心の声が聞こえたのか、一通り視線を一周させると、のっちは満足したように微笑んで言った。
「すごく、綺麗」
そんなありふれた言葉なのに、私の心臓は調子を外す。自分のものなのに、リズムを制御できない。
のっちの言葉は私が普段頑なに築いている防壁を、こうやって簡単に突き崩す。
狙わない本能的なのっちの言動に、いつも私は翻弄される。
自分の言葉の戦果には全く気づかず、のっちはようやく唇を重ねてきた。
優しい、と感じたのはほんの半瞬。
何度も角度を変えて、時折歯を立てて、私の口を噛み砕いて飲み下してしまうように。
快楽を与えようとしない、ただひたすら本能に正直な。
狂ったキス。
呼吸が遮断される。あまりに激しい舌の絡め合いに、もう酸素がなくても生きていける気さえした。
唾液は交換する暇もなく、流れるまま2人の顎を伝い下へ落ちていく。
私はもったいなく感じて思わず、左手で掬い取ってしまった。今日初めて触れる濡れた感触に、背筋がざわりとする。
唇を解放されないまま、空いている私の右手がのっちの左手に捕まり、指が絡められ壁に押しつけられた。
のっちの手が、指が、舌が、息が、熱すぎる。
早く。早くして。お願い。
また私の心の声が聞こえたのか、のっちの右手が肩から離れ、静かに私の体を下へ降りてきた。腋下まで来たところで、一瞬止まる。
私は息を吐かせぬキスに応えながら、来るであろう刺激に備えた。
が、再び期待は裏切られ、右手は乳房のすぐ横を掠めると、まるでそこには興味がないように下へ。
そのまま一気に私の左脚の内腿まで移動し、柔らかい肉をしつこく揉みしだき始めた。
今までにない感覚に、意図せず腰が揺れてしまう。私の中心が、じわりと濡れるのを感じる。
ほら、また。
狙わない本能的なのっちの動きに、私は翻弄され続ける。
私の口を味わい尽くした唇が、首筋を辿って体を降りていった。
時に吸い付き、歯を当てるのを忘れずに。でも目的地まで一直線に、下っていく。
この間、ほんのわずかに一息ついた私は、左手の上でぬらりと光っている唾液を舐めとった。
のっちがくれるものは、全て飲み込んでしまいたい。
唾液も、舌も、息も、指も、大好きな瞳から注がれる視線さえも。
だから私は、目的の乳房へ辿り着いたのっちを見下ろした。
さっきまでの乱暴さとは打って変わって、のっちは静かに私の頂きを舌で弄んでいる。
荒い吐息が肌に当たって、もどかしい。これも恐らく、のっちの狙わない行動。
その原因はのっちが自分の熱を持て余していることだと、私は判断した。
何を、今更。
繋いだままの手に力を入れ、舐め終わった左手で頭を抱き寄せ、私は続きを促した。のっちの舌が止まる。
早く。早く飲み込んで。
手が握り返されたと思った瞬間、のっちは私の乳房に容赦なく噛み付いた。
「は、あぁ…っつ…」
いつからか、のっちに噛み癖がついた。極度に興奮したときにだけ、現れる癖。
最初こそ戸惑ったものの、すぐに私は痛覚の中に別の感覚を見いだした。
歯から伝わる鋭い痛みと、舌から伝わる焦れったい触感。
2つの対極的な波と、ひっきりなしに続く内腿への刺激に襲われ、理性を手放してしまいたくなる。
私はそれを必死に引き止め、声と息を浴室に響かせながら、私を見上げてきたのっちの瞳へ目を向けた。
しかし、断続的に与えられる刺激で私の体が動いて、目線がわずかに下へずれた。
のっちの口元に、焦点が合う。
今日の昼間に、馬鹿な冗談を言って無邪気に笑っていた口が、今は私の乳房を噛んでいる。
そんなことを考えてしまった私は、最高に感じていて、
最低に、乱れている。
ずっと内腿を揉み続けていた右手が、私の中心へずれてきた。
私は迎えるために自ら軽く脚を開き、壁から少し腰を浮かせる。
躊躇いなくそんな動きをしてしまう私は、どうしようもないくらい、のっちを欲しがっている。
のっちは私のぬめる部分に触れると、嬉しそうに目尻を下げた。
「ゆかちゃん、可愛い」
その言葉が私の動きに対してなのか、濡れていることに対してなのか、わからないけれど。
どちらにしても、私の顔を熱するには十分だった。
のっちは自分が上気させた頬に口づけながら、この関係になるまでは不器用だと思っていた指で、巧みに私を転がす。
その指は、私より私の限界を知っている。本能で私のラインをどんどん上げてくる。
のっちは優しいから。
限界を上げることで私がもっと気持ちよくなると、知っているから。
私はのっちの優しさに甘え、飲み込まれ、焼かれていく。
2本の指が、私から溢れ出た水を私の中心に擦り込むように、馴染ませるように、前後に動く。
その動作は私を早くライン際へ追いつめるために、普段よりも性急になっている。
「あ…ふぁ…の、ち…んん…!」
私の声が浴室の四方の壁に当たり、跳ね返り、大きく反響した。
いつも私は声を我慢しない。喘ぎながら、名前を呼ぶ。何度も何度も、繰り返し。
自分の声は恥ずかしいけれど、それがさらに私を興奮させる。
そして私の声を聞いて、何故か私より恥ずかしそうに視線を逸らすのっちを見るのが、たまらなく好き。
のっちのせいで、こんなになってるんだよ。
そう言葉にしないでわからせるのが、好き。
とうとう私をライン上に乗せた指が、緩急をつけた力加減で周辺を撫で始めた。
かと思うと、突然中心を弄び、強く押しつぶす。
そして私が飛びそうになる寸前で解放し、また周辺へ戻る。
その指は、私の合図を待っている。
のっちは優しいから。
私が私自身を焦らすことでもっと気持ちよくなると、知っているから。
こんな妙なときに、私に主導権を与えてくる。
でももう、辛い。
早く、早く焼き尽くされてしまいたい。
「のっ、ち…ぃ」
目を合わせたまま自分でも驚く程掠れた声で名前を呼ぶと、のっちは私の前髪の上から触れるだけのキスを額に落とした。
これは、のっちの予告。
その予告通り、私を転がしていた指が、圧倒的な質感を持って私の中に入ってきた。
温度なんてもう、感じない。
ただ内側から、内蔵を押し上げられる、貫かれる感覚があるだけ。
それを感じながら、私はのっちの瞳を見つめ続けた。
少し細められた瞼の隙間から覗く瞳にも、私は貫かれる。
上も下も、どちらも手放したくなかったけれど、のっちの指が許してくれなかった。
中から全身を突き上げられる快感を逃さないよう、私は瞼を閉じた。
「……っ!」
脱力してその場に崩れ落ちそうになる私の体を、熱い腕がしっかりと抱きとめてくれた。
私たちは息を弾ませ、必要以上に肌を密着させ、汗で滑る体を愛しく感じ、お互い余韻に浸る。
が、このまま退いていくと思った私の波は、予想以上に早く、ひたひたと打ち寄せてきた。
「のっち…」
上半身だけ汗ばむ体から離し、私は目だけで訴えた。
まだ情が燻っている瞳をするのっちには、これで通じたはず。
その証拠に、うん、と言いながら、唇で私の頬を何度も啄んでくる。
のっちは、優しい。
いつも言葉にしなくても、動いてくれるけど。
「…もっかい、して?」
私は言葉にしたいから、する。
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最終更新:2009年02月23日 03:49