仕事が終わり、一緒に帰宅する。
向かう場所、帰る場所、私たちは毎日同じだった。
そして、玄関でのキス。
これも相変わらず毎日続いていた。
「…のっち。」
『…っ。』
ただ、今日のキスはいつもと違った。
いつもの深い深いものではなく、ただ軽く触れるだけの、あっさりとしたものだった。
彼女はスタスタと部屋に入っていく。
いつもと違う感覚に、私はその場に立ち尽くした。
TVがついた音で我にかえり、彼女の後を追い、リビングに急ぐ。
「先にお風呂、行ってきなよ。」
TVに視線をやり、そう言い放つ彼女。
さっきのキスのせいだろうか。
私の方を見ないその彼女の背中に、なぜだか苛ついた。
『…まだ入んない。』
私は後ろから彼女を抱きしめ、軽く耳にキスを落とす。
「…入りな、よ。」
やっぱり、今日の彼女は何だかおかしい気がした。
今、この腕を解いてしまえば、もう二度と、彼女は私のもとへ戻ってはこないかのような、
何となく、そんな嫌な感じがした。
彼女の体をくるっと自分の方に向け、唇を近づける。
「だめ…。」
が、彼女の細い人差し指がそれを拒んだ。
「お風呂、あがってから、ね…?」
彼女はぎこちなく微笑んだ。
私は言葉を発することもできない。
彼女は私の腕をすり抜け、また私に背中を向けた。
再び、嫌な予感が私を襲う。
『…!』
彼女を追いかけようとした足をとめ、私はお風呂場に向かった。
お風呂から上がり、部屋着に着替え、リビングに戻る。
彼女と暮らしはじめてから、白色に変えられたカーテンも、だいぶ目に馴染んできた。
つけられたままのTV、照明…
お風呂に入る前と、何ら変わりのない風景。
ただひとつ、
彼女の姿が
そこにはなかった。
『っ…!』
心臓がドクドク、波打つ。
部屋中をさがす。
だけど、見当たらない私の大好きな姿。
彼女が、いない。
私の中を支配していたものが、さーっと消えていく。
私が、私で、なくなる感覚。
私は、彼女がいなければ、何もできない。
私は、後悔した。
どうしてあの時、腕を解いてしまったのか。
あんなに近くにいたのに。
手を伸ばせば、簡単に抱きしめられる距離にいたのに。
どうして私は、彼女を捕まえておかなかったのか。
背中でも、良かった。
彼女に触れられたのに。
どうして私はあんなくだらないことで、苛ついたのか。
涙が頬をつたうのが分かった。
彼女がそばにいること、それは当たり前のようで、本当は当たり前ではない。
分かってはいたけど。
分かってはいたけど。
私は座り込み、迷子の子どものようにしゃくりあげ始めた
顔をあげ、ふと部屋を見回す。
彼女のバッグは置いたまま。
私は、玄関のドアを開けた。
一歩外へ出ると、ドアの前、マンションの廊下から、外を眺めている彼女の背中を、すぐ見つけることができた。
『何しよん…。』
私はまた、後ろから抱きしめる。
さっきよりも、強く、強く。
背中、でも、いい。
彼女に触れていられるのならば。
『…いなくなっちゃ…ダメ、じゃん。』
彼女はくるっと体を回転させ、私を見つめた。
ようやく、彼女の瞳は、私をちゃんととらえた。
やっぱり、背中じゃ、嫌だ。
私はそのまま肩を震わせ、ポロポロと涙を流した。
「…泣かないでよ。」
そっと涙を拭ってくれる指先。
ただ、優しいその指先は、目の前の私のためではないような。
ここにはいない誰かに向けられたかのような、そんな感じがした。
彼女が、遠い。
目の前にいるはずなのに、遠い。
『…いなく、なっちゃ…、嫌ぁっ…!』
私は彼女にしがみついた。
日が沈みかけ、肌寒い。
オレンジ色が私たちを照らしていた。
彼女の鼻を赤く染める、寒い季節が、もうそこまで来ている。
「…部屋、戻ろうか。」
彼女は私の手を引いた。
また、背中しか見えなくなった。
部屋に入った瞬間、私は彼女をドアに押しつける。
彼女は、
目をそらした。
ードクッ
私の中で、何かが蘇る。
彼女を、離したくない。
彼女が、もっともっと、欲しい。
拒む彼女の体を、そのまま私は強引に奪った。
『ゆかちゃん…いなくなっちゃ、嫌だよ。』
最終更新:2009年03月17日 18:12