「あ〜…ちゃ…。」
家の廊下にしゃがみこみ、私は助けを求めた。
足の裏から、フローリングの冷たさが、だんだん伝わってくる。
日付が変わってから、どのくらい時間が経ったのだろうか。
‘ゆか、ちゃん…?’
電話の相手は、明らかにねぼけた声を出した。
「あ〜ちゃ…ゆか、ゆかっ…。」
‘ゆかちゃん?どしたん?!’
ただならぬ私の様子に、あ〜ちゃんの声がはっきりとしてくる。
「ゆか…のっち、のっちを…ころ…っ。」
…私は、電話を切った。
そして、そのまま携帯を壁に投げつけた。
◇◆◇◆◇◆
次の日、私は変わらぬ様子で迎えの車に乗り込んだ。
愛しい人とともに。
『ゆ、ゆかちゃんっ』
「あ〜ちゃんごめんっ!ゆか寝ぼけとった。」
あ〜ちゃんは、頭の良い人。
そっか、と微笑み、それ以上は黙っていてくれた。
『…二人きりじゃけ、話してくれる、よね?』
撮影の空き時間、あ〜ちゃんは私を別室へと引っ張った。
『何があったんよ…。』
あ〜ちゃんの瞳は、すでに潤んでいた。
私は、ポロポロと涙を流し、あ〜ちゃんに抱きついた。
「ゆか、どうしたらいいか…分かっ、ない…」
私は、あ〜ちゃんに全部を話した。
昨夜、いつものように先に眠った彼女の寝顔を見ていた時。
彼女が夢を見ているのか、クスッと笑ったことに、激しい苛立ちを覚えた。
私には、彼女がどんな夢を見ているのかが、分からない。
何でも分かっていたはずなのに、
彼女の中を、私でいっぱいにしたはずなのに、
それだけでは、足りない。
私は思わず、彼女の首を絞めてしまいそうになった。
「ゆかは、どう、したら…いいんっ…!」
「あ〜ちゃん、ゆかを、助けてっ…。」
あ〜ちゃんは、私を抱きしめる腕の力を強めた。
『ゆかちゃんは…のっちのこと、好き?』
私は腕の中で、大きく頷く。
「のっち、の…ため、なら…ゆか…、死ねるっ…。」
そう。
私は誰よりも彼女を愛している。
彼女のためなら、命さえも惜しくない。
『ゆかちゃん…』
あ〜ちゃんの珍しく低い声が頭に響く。
『それは、愛、じゃないよ。』
思わぬ言葉に私は固まった。
『…結局、あの時から何も変わってないんだね。』
あの時…
あの時…。
…あぁっ…。
封印していた記憶が、一気に蘇る。
『大切な人…ひとりくらい、ちゃんと守りなよ…。』
あ〜ちゃんは、出て行った。
私が別れを告げられ、公園で意識を失ったあの日から、もうすぐ一年が経つ。
私と彼女が、お互い封印していた記憶。
胸がドクドクいうのが分かった。
帰りの車の中、イヤホンをしていても、音楽など全く耳に入ってこない。
『それは、愛、じゃないよ。』
あ〜ちゃんの言葉が、頭の中を無限にループしていた。
私が貫き通していた、愛のカタチ。
それを、全否定するようなその言葉。
愛…、では、ない?
じゃあ私は、彼女を、愛しては、いない…?
そんなこと、あるはずない。
もっともっと、彼女がほしい。
もっともっと、彼女を独占したい。
いや、待てよ…
私は彼女を独り占めしたいだけで、実は愛してはいないのではないか。
いや、そんなはずは…
そんなはずは…。
私の中での自信がガタガタと崩れていく。
家に着き、いつもの癖で、彼女の唇を奪おうとする。
「…のっち。」
だけど、触れた瞬間、自分の唇が震えたのに気づき、すぐに離した。
‘それは、愛、じゃないよ’
私は、彼女の目を見ることすら出来ない。
震える唇を隠し、何とか彼女をお風呂へ行かせる。
彼女と同じ空間にいるのが怖くて、思わず私は外に出た。
オレンジ色の夕日が私の目の前にある。
眩しい。
手を伸ばせば届きそうなのに、絶対に、触れられないオレンジ色。
彼女の心の中も、実は私は何も分かってはいないのではないだろうか。
私の中の自信は、すべて消えていった。
ふと、下を見下ろす。
そこには、あの日の公園が広がっていた。
「はぁ、はぁっ…。」
苦しい。
苦しいよ…。
『…何しよん。』
っ…!!
私を包み込む温もり。
あぁ…
私には触れる権利はないのに…。
『いなく、なっちゃ…嫌ぁっ…!』
彼女は、泣いていた。
私を求めて、泣いていた。
また唇が震えるのが分かった。
「…部屋、戻ろうか。」
家に入るなり、彼女は私をドアに押しつけた。
「……っ…。」
私は思わず目をそらす。
私の震える唇に侵入してきた舌の動きは、
いつかの彼女を思い出させる、荒々しいものだった。
そのまま私は、彼女に体を奪われた。
『ゆかちゃん…いなくなっちゃ、嫌だよ。』
最終更新:2009年03月17日 18:13