「のっち?何しよん?」
思いがけない甘い声に、あたしは挙動不審なくらいの超高速で振り返った。
あ〜ちゃんは半回転くらい大きく振り返ったあたしに吹き出して、
「ほんと何しよん?」
と顔をくしゃくしゃにして笑った。
突然のあ〜ちゃんの出現にあたしはすっかり動揺して、放課後のパルコに女子高生がいる理由なんて腐るほどあるのに、よりによって、
「…さ、散歩…」
とわけの分からない言葉を口走った。
案の定あ〜ちゃんは面白いツッコミどころを得た時の目の輝きを見せたが、何故か急にふっと真面目な顔になって、
「…ふうん、そうなんじゃ…」
と気乗りのしない声で呟いた。
パルコで散歩をする人として容認されたことに少々戸惑いをおぼえたけど、あたしがここにいる本当の理由を知られるよりかいい。
あ〜ちゃんは何か言いたげな表情をしてたけど、ふっと息をついて、
「…まあいっか。ねえ、のっち、ちょっとうちの用事につき合いんさいや」
あたしがウンともスンとも言わないうちに、あ〜ちゃんはすたすたと歩き始めた。
「えっ、ちょっ、あ〜ちゃん…?」
「のっち、つべこべ言わない!」
「あ、はい!」
常日頃からの習慣で、つい返事だけは元気よくしてしまう。
あ〜ちゃんはあたしがついて来るのを微塵も疑い無く、ずんずんとエスカレーターに乗り込んでいく。
「のっち、遅い。うち先行くよ?」
「…あの〜、何をするかだけでも…」
「…あれ?あ〜ちゃん言っとらんかったっけ?」
ぽかん、とするあ〜ちゃん。
でもすぐに「まあ来たら分かるけえ」、とあたしの制服の袖をきゅっとつかんで引っ張って歩き出した。
目の前に揺れるふわふわの髪にくすぐられるように、あたしは思わず微笑む。
…まったく、可愛すぎる。
とか思う自分ってどうなん?ああ、あたしまた振り回されてるなあ。
あ〜ちゃんがもたらす甘い困惑。それはあたしの気分を弾ませるんだ。
つかまれた袖すらくすぐったくて、我ながらにやけてるな、ってくらい口元が緩んだ。
あ〜ちゃんに引っ張られて着いた先はタワレコだった。
何でもaikoさんの新譜の購入者はタワレコオリジナルグッズの抽選が出来るが、お一人様一回限りらしい。
あ〜ちゃんは初回限定版を、あたしは通常版を持たされてレジに並ぶ(代金はあ〜ちゃん持ち)。これで抽選を2回チャレンジ出来る、ってワケだ。
お一人様一つ限りの特売品売り場に駆り出された感じがしないでもない。
でも、CDを愛しそうにぎゅっと抱いたあ〜ちゃんはとろけそうな笑顔で。
…可愛いな。
もうしつこいくらい何度も口にした言葉だけど。性懲りもなく、また思った。
そういえば、あ〜ちゃんと二人きりは久しぶりだ。
ゆかちゃんとあ〜ちゃんが付き合い出してから、あたしは3人でとかゆかちゃんと2人でなら遊びに行ったけど、あ〜ちゃんと二人きりは意識的に避けていた。
あ〜ちゃんに対し友達以上の感情がある事を、ゆかちゃんは知ってるから。
ゆかちゃんは気にしないと言ってくれるだろうけど、あ〜ちゃんに関しては弱くなるゆかちゃんに、少しでも不安を与えたくなかった。
あ〜ちゃんの無邪気さや、ゆかちゃんの優しさに甘えるのはフェアじゃない気がして、あたしは嫌なんだ。
…大事なんだ。2人が。自分なんかより、ずっと好きなんだ。
「…のっち?聞いとる?」
「あっあああっ、…何だっけ?」
「もう!あのね、うちがC賞のボールペンを当てるけえ、のっちはA賞のTシャツね」
「…へ?」
「B賞のメモ帳でもいいけえ」
…いいけえ、って。
何なの、この当たるの前提の無茶ぶり。
さっきから抽選引く人達見てても、C賞のボールペンすらあんまり当たってないんじゃけど…。
「あのぉ、あ〜ちゃん?こればっかりはのっちの努力でも…」
「大丈夫じゃけえ、のっちなら!のっちはいざという時頼りになるけえ!」
いざという時ってどんな時?少なくともこんな時じゃないと思うんですが…。
困惑しきったあたしをよそに、あ〜ちゃんはaikoさんの歌を口ずさんだりしてご機嫌なご様子。
ココロの粒子がびしばし飛んでる感じ。
まぶしいほどのポジティブシンキングというかスーパーマイペースっぷりに、あたしは腹をくくった。
見事残念な結果になって、あ〜ちゃんに「役立たず!」といじって頂くのも、楽しいからいいや…。
ついにあたし達の順番が来た。
まずあ〜ちゃんがチャレンジして、宣言通りC賞をゲット。
余計に重くなるプレッシャーの中、あたしが思い切ってくじを引くと、
「…あ」
C賞、だった。
な、なんかビミョーなんれすけど…。
冴えない結果でほんとスイマセン、とちっちゃくなってると、
「のっち、すごいすごい!えらい!」
あ〜ちゃんが満面の笑顔で、あたしの腕にしがみついてぴょんぴょん跳ねた。
「へ…、だってC賞、だよ…?」
「でもC賞だってなかなか当たらんのんよ!?二人とも当たるのってすごいんじゃけえ!」
ちゃあぽんにもあげれる、とあ〜ちゃんは本当に嬉しそうに笑った。
「のっち、ありがとね」
…こんなふうに。
いつもあ〜ちゃんは屈託ない笑顔であたしを肯定してくれる。
あたしのダメなところや残念なところを面白がって笑いながら、おっきなマルをつけてくれる。
それがどんなにあたしを楽にしたり有頂天にさせたり救ってくれたりしたか、多分あ〜ちゃんには伝わってない。
大事そうに景品とCDを抱えてタワレコを出ながら、
「うちさあ、初めてのっちに会った時ピンと来たんよ」
「…何それ!?」
「何かね、きっとこの子はうちらにすんごい幸運を持って来てくれる、逃がしちゃダメじゃ、って思ったんよ」
「お、大げさだよ、あ〜ちゃん…」
「なんかね、お守りってゆうか、幸運のえんどう豆みたいに見えたんよ」
こ、幸運のえんどう豆ですかそうですか…。
何だかとってもゆるキャラな匂いを感じるけど、まあ豆でも何でも、側にいてほしいと思われてるならそれでいいや。
タワレコから1階までエレベーターで一気に降りて、パルコの裏の広場に出た。
やけにまぶしい春の空にあたしが顔をしかめながら伸びをしてると、
「…で、あの男の子、誰なん?」
あ〜ちゃんの豪速球のような質問が飛んで来て、あたしは文字通り腰をぬかした。
「ええええ〜!?あ、あ〜ちゃん!?」
「さっきあ〜ちゃんと会う前、この広場に男の子と二人でおったじゃろ」
「み、見てたのぉ!?」
よりによって一番見られたくない人に。
いや、別にあ〜ちゃんにとってはあたしが誰といようとそんなに気にならないだろうけどさ。誤解されて困るもんでもないけど。
「つき合っとる、とか…?」
あ〜ちゃんの声の響きがいつもと違った。
振り返ってあ〜ちゃんの顔を見ると。てっきりからかいまじりのイタズラな表情をしてると思ってたのに。
首を少しかしげて、寂しげに揺れる瞳でじっとあたしを見ていた。
どくん、と心臓が脈打った。
「つ、つつつき合っとらん!全然違うよ!」
「…ほんま?」
「…この間、こ、告白されたんだけど、なんかすごい高価なプレゼントもらったけえ、今日返す為に会ったんよ」
「…ってことは…」
「ちゃんと、断ったけえ。つき合っとらん」
あ〜ちゃんは、まじまじとあたしを見てたけど、やっと弾けるような笑顔になって、
「なんだ、そっかあ。さっきも変な言い訳するけえ、あ〜ちゃんに内緒でつき合っとんかと思った」
あ〜ちゃんは心底ほっとしたようにふわりと微笑んだ。
柔らかな髪が風に揺れて。まぶしい春の光に溶けそうに見えた。
…もう可愛いなんて言葉は出てこなかった。
それ以上の感情に、あたしはあ〜ちゃんの腕を引いて抱き寄せようと、した。
いや。抱き寄せようとしただけで。
あたしは、一歩も動けなかった。
切ないほどあ〜ちゃんに触れたくて腕がぶるぶると震え、ふみとどまろうとする足は釘付けされたように痛んだけど。
あたしは、動かなかった。
「のっち、隠し事とかせんどってよ。…寂しいけえ」
「隠し事なんか、無いよ」
あたしは最高の笑顔で嘘をついた。
「誰かとつき合い出したら、うちやゆかちゃんに内緒にせんでよ」
「あ〜ちゃん一筋じゃけえ、それは無いよ」
「もー、のっちはそんなことばっか言うー!」
あ〜ちゃんは大笑いしながら、あたしに甘いパンチをくらわす。
あたしは大げさによろけて笑いながら。
自分の本気を、冗談にして流した。
「ねえ、のっちチャリじゃろ?あ〜ちゃん後ろに乗っけて」
あたしの了解を待たずにあ〜ちゃんはスタスタ自転車に向かい、
「のっち、ほれ!早よクルマを出しんさい!」
と何故かとっても威張って言うから。
はいはいお姫さま、とか言いながらあたしはうやうやしく自転車を引っ張り出した。
あ〜ちゃんは大変満足した笑顔であたしの自転車の後ろに座って、
「のっち!出発!とばせ!」
とあたしの制服の端をぎゅっとつかんで、背中に頬を寄せた。
…うわ。
なんか、泣きそうになった。
あたしは急いでペダルを踏みながら、空を見上げた。
真っ青な、空だった。
潤みかけたあたしの視界が、透明なブルーに染まった。
並木通りを抜けて、大通りから川沿いへと向かう。街路樹の葉音が爽やかで、木漏れ日にあ〜ちゃんが歓声を上げる。
「のっち!もっともっと!ガンバレ!行け!」
あ〜ちゃんがぎゅうとしがみついて、笑った。
あたしも笑った。
目の前にはただひたすらな青。光る空。まぶしいほどのブルー。
風を切って走る自転車。揺れて舞い上がる制服のスカート。光の中弾む、柔らかなあ〜ちゃんの髪。
背中越しのあ〜ちゃん。つかまれた制服すら、切ない。
こんな近くにいても、さらって逃げることは出来ない。
下り坂で軽くなるペダル。胸の内には重く隠された感情。冗談にして流したあたしの本気に追いつかれないように、スピードを上げる。
目の前には、泣きそうにブルーな、空。
あたしは昔国語の教科書に載ってた詩の1フレーズを思い出した。
『空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする』
あたしが帰る場所。たどり着きたい場所。愛しくて声を上げて泣きたい場所。
それは今、この空間において一つの座標で示せる。そのたった一つの存在に向かって、あたしの全ての感情が巡り巡る。
きっとこの先、空の青さを見る度に。自転車に乗って風を切る度に。
あたしは今日の空の青さを、背中越しのあ〜ちゃんを、めちゃくちゃに好きだと言いたかったあたしを思い出すんだろう。
きっとこの一瞬を、あたしは無限に再生する。
繰り返される切なさ。巡り巡る想い。
たぶん、それは。
永遠のような、ブルー。
終わり
最終更新:2009年03月30日 18:17