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『ボールを蹴ることに意味などない』(仮)


【小説】8p
あらすじ
「べつに意味なんてない」。そう言ってボールをプレゼントしてくれた父が亡くなった。
哲也は、従姉の小夜子と父の思い出のボールを蹴りながら、昔のことを思い出していた。


感想の書き方:
感想の横に、なんでもいいんで記号入れてください。
同じ人は同じ記号で統一。(たとえば☆マークは、ある同じ人の感想です。)

感想
☆なんか寂しい感じは伝わってきた。
☆読みやすかった。
☆中学くらいの国語の教科書に載ってそうな感じ。
☆個人的には、もうちょい山場というか、話が盛り上がるところがあったほうが印象に残ったかなあ、と思った。
☆あと、哲也と小夜子が何歳くらいなのか、どんな感じなのかっていう描写がもうちょいあったほうがよかった。
□ボール蹴りに絡めて、ふたりの微妙な関係性を書いているあたり好きです。随所に入る小夜子の、服装(スーツほか)ゆえの運動のやりにくさの描写が、ふたりの歳を感じさせて秀逸だと思います。最後の、転倒から空につなぐあたりには、生き生きとした運動性があっていい終わり方だなあと和みました。
□淡々としているあたりに魅力を感じたので、冒頭、ふたりのボール蹴りからはじまるトリッキイな(それほど複雑ではないですが)構成にあまり意味を感じられませんでした。最初にふたりをセットで認識させてしまうよりも、お葬式からはじめて途中で出会わせた方が、ふたりのあり方を感じさせられたのではないか、それからボールを蹴るシーンに持っていくことで、ボール蹴りの運動性も作中でより鮮烈に打ち出せたのではないか、と。勝手なこといってすみません。(森下)

△ジャングルジムの一段目にボールが入り込む描写がたいへん良い。葬式のところも、よく見ているし、よく思い出している。再構成の技術にたけています。湿っぽいグラウンドという設定も、好きです。
△そうは言っても、こなれた文章で書き流したスケッチ、という印象は否めません。作者が未知のものと格闘した形跡がなく、極めて人工的な感じがします。ある程度の水準に達してると後はもう好みの問題で、その点文章良く、小品としては良いのでしょうが、何か新鮮な読後感を与えてくれることを期待していただけに、お茶を濁されたかのように感じました。作者自身も、そう感じているのではないかと、邪推します。
△私は作者ではありませんが、日本語で小説を書く際に、時制はそれほど問題ではないように思います。語尾のリズムをとるために現在形にしたり、何か確定したような印象を与えるために過去形にしたり。動作を生生しく伝えるために現在形にしたり、というようなことは、わりとよくあるのではないでしょうか。要は作者がそれに自覚的かどうか、意図された時制の変化なのかどうか、ということなのかもしれません。いや、でも、まあ、やはり、「好み」の問題でしょうか。しかし、基本的な誤字脱字や文法ミスでないかぎり、しっくりこないところこそが、その作者の独自性がわかりやすく出ているのだ、という考え方もできるだろうと思います。有名な作家の小説にも、そういうところはたくさんあるわけやし。


○ちょっと焦点を絞って書きたいと思います。哲也が「悲しい」と答えず「わからない」と答えるところや、「胸の中に穴が開くような気分」という表現を陳腐といって退けるところには、クリシェへの嫌悪というか、よくある言葉にまとめられてしまうことに対する拒否感があるのだと思いますが、それをそのまま書くだけでは、それ自体すでにクリシェだということがあるかと思います。そして、この作品ではそういうものを掘り崩せているようには思いませんでした。これはもしかしたら△の方が書かれた感想と重なるのかもしれません。このあたりについて、合評会でみんなの意見も聞いてみたいと思いました。 

●他のレビュアーの方も書いていましたが、お葬式に関する描写がよく書けているなと思いました。5年前に亡くなった祖父の葬儀を思い出しました。
●読んでいて詰まったところ、日本語がしっくりこないと思うところがありました。あくまで個人的なものですが。以下
●「意識的無意識的に最も」最も、とわかっているなら無意識ではない?・・・細かいですが。
●「暴力衝動に直結するようなどうしようもない幼さ」など、修飾句が多くてすっと入ってこない箇所がいくつかありました。
●「そうやよ」関西人ではありませんが、こういう言いかたがあるんですか?
●「怨み言をこぼすことになる。」それまで過去形で統一していたのに、なぜここだけ現在形?

作者
  • 何点か答えてみます。
  • 時制について:
時制の使い方について意識的ではあるべきでしょうが、△氏の言うように、日本語の場合はそこまで厳格でないと思います。むしろそれぞれの書き手が自らのルールを設けているのではないかと。この小説では全般に過去形を用いて、単純な回想、および場面を構成する動作を叙述していますが、●さんがご指摘の箇所は、小説のラストということもあり、単発的な動作よりも一連の情景を一枚のタブローのように印象付けたいという意図で、現在形を用いました。違和感を与える結果になったとすれば、作者の力量不足に尽きますが。
  • 「そうやよ」:
経験上、聞いたことがある、としか答えられません。ただ、登場人物はすべて関西弁を話していますが、必ずしも「適切な」関西弁を彼らに常に喋らせるということは、作者の意図にはありません。もっとも、作者が関西人であるという裏付けがあってこそ、こういうことが言えるのかもしれませんが。
  • クリシェについて:
文学だからといって、クリシェは常に否定されるべき要素なのではなく、むしろある情景、局面を構成する積極的な一部でもありうるのではないかと思います。あの場面はクリシェ批判を狙ったものではなく、「わからない」という言葉で立ち止まらせることで、登場人物の心理を浮き彫りにしたかったというのが作者にとっての主眼です。自ら批判するなら、その彫琢の仕方が不十分だったかとは思います。
  • 構成について:
ぶっちゃけた話、これが作者にとって一番書きやすい形でした。単線的な展開にした場合、本当に淡々と始まって終わるだけの話になってしまいそうな……。二人の主要人物のあり方という点では、構成を変えるよりも、細部の描き方を見直す方向で進めると思います。ボールの動きということなら、冒頭に出すのが最も印象的だと思います。時系列的な叙述では、ボールの運動も物語の流れに飲み込まれてしまうのではないかというのが作者の考えです。
  • なんだかんだ、言い訳だらけですね。ともあれ合評会後どれだけ余裕があるかわかりませんが、書き直しは行ないます。コメントくださったみなさま、どうもありがとうございます。

  • 合評会について:
掲載の可否についてのみなさんの判断を聞くのはもちろんとして、この作品に何が足りないか、どうすればよりよくなりそうかなど聞いてみたいですね(既にいくつも意見があがっていますが)。その上でどうなるかは、もちろん一人作者次第なわけですが。


∞描写の視点の交替や、回想と現在の状況との交替が数回ありますが違和感なく読めました。
∞ボールの蹴り合いと会話の交錯が重なっており、特に、ボールが強く蹴られるときはやや踏み込んだ問いかけの投げかけになっている感じがして面白かったです
∞ △さん●さんが話題にあげられ、作者もすでに答えられていますが、私も最後の「~になる。」という箇所を読んであれっと思いました。それまでは書き手(語り手?)の主観が入らない、客観的な描写が続いていたのに、そこだけ書き手が、ストーリーをぐいっとまとめるようにしているような感じを受けました。
∞父親に似てきた、と言われた哲也が、そんなことを言われてもうれしくないしそれに…と話を続けかけて言いよどむ所や、父親が買い与えたボールによって暴力をボール蹴りに転じさせたエピソードなど、もう少し父親と哲也の関係を掘り下げて書くと深みが出るのではないかと思いました。
∞「そうやよ」は、、、実際口にしてみると「せやで」とかのほうがしっくりきますかね。でもそれまでの小夜子の語り口には「せやで」はしっくりきませんね。笑

この作品の掲載に賛成しますか?
  • 賛成です -- toma (2010-05-16 22:21:21)
  • 保留 -- 山下 (2010-05-17 00:34:36)
  • 賛成です。 -- morishita (2010-05-17 00:42:09)
  • 小説はよくわからない -- ませぎ (2010-05-17 01:26:02)
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最終更新:2010年05月17日 01:31