『解体』
【小説】16p
あらすじ
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感想
★全体に散漫という第一印象です。長編小説が煮詰まりきらずにこの長さになった、という風な感じを受けました。作者が何を描きたいのか絞り込めていないと感じます。
★紫の花へのこだわり、本当でない名前というモチーフ、周さんと圭一それぞれのエピソード、いずれも中途半端で、一つの物語に収斂していないと思いました。
★はためくバスタオルを見て翌日の雨を思うところなど、随所の描写は素晴らしかったです。ただ、作品としての焦点が曖昧なため、全体としては文章に安定感はあっても、緊張感に欠けていると感じました。
★冒頭の夕焼けのシーンには金属的な美しさがありました。J.G.バラードのようなSFを思わせます。日常劇を離れてこの方向の描写で女を絡め、嘘の名前/本当の名前という主題に絞って、もっとロードムービーっぽくしても面白かったかと思います。が、差し出がましいことを言って申し訳ないです。
(野瀬)
△好みの問題かもしれないが、焦点が一つに絞れていたり、モチーフが有機的に結びついて主題を暗示していたりするような小説には飽き飽きしている。だから、作者としては、何も起こらない、それこそ「曖昧」な小説で良いのだと思っておる。曖昧というのは、ポジティブな言葉です。とはいえ、読ませる技術も必要だという指摘はありうる。とにかく、だれか知らんけど、興味深い指摘をありがとう。参考になりました。
あと、「書きたいこと」というふうに特定できることは別にこれといってない。知らない人たち数人が話しているのを見て、関係がよく見えないもどかしさって、普通の生活の中でもよくあると思うけど、そういう感じを冒頭で出したかった。それがだんだんわかってくるのって気持ちいいし。でも結果として作者の力不足を露呈する結果になってしまったのかもしれない。
△合評会では、作品の質についてはもちろんですが、それ以外にも、「散漫でいいんじゃない?」「作者の意図ってどれくらい大事なんだ?」「てか小説を読むってのは、どういうことなん?」てことまで、議論がおよべばいいなあ、と思います。技術的なことを言うならば、「ボール」か「解体」が頭ひとつでてると思うが、それだからといって、良い小説かどうかってのはまた別問題だもんな。難しいよな。その点、「共かずき」はいかにも書きやすそうな題材で、実際下手なのに、妙な説得力があるものなあ。
△いま□による評価を読んだが、「圭一の娘の死」に関しては、考え方の違いだな。
「現実に価値を預けている」「貧しい」という指摘は、なるほどそういう見方もあるのかと思った。書いた方としては、むしろ「現実の価値を再現しているから」「豊か」(そこまで何か図式的に意図したわけじゃないけど、まあ便宜上そう書いておく)なのだと、言いたいけれど、それはまあここで言っても仕方ないか。短編だけに、鮮やかに「突き抜け」たかったという思いもあるが、それを狙うのは白々しいようにも思えたんだな。次はもっと良いものをかける気がするんだな。
(以上、作者降臨・・・)
☆★さんのおっしゃる印象とほぼ同じです。散漫で、作者が何を書きたいのかわかりませんでした。
☆なぜそう感じたのか、勝手に推測しますと、いくつかポイントがあると思います。
- 最初の1ページで、雅人、周さん、大山さん、圭一、(次のページで)新人のジャージ野郎、と、人がたくさん出てきて読んでる側からするとぱっと頭に入らず、疲れる。
- それぞれの登場人物のエピソードがいずれも中途半端(★さんと同じ印象)
- 主人公(雅人)がひねくれてる割に、あまり魅力的でない(たとえば由美の金を盗むシーンに、わざわざ「こうしておけばいつでも嫌われることができる」などと説明をつけて何かしらの考え(美学?)をアピールしているが、それが物語の中で一貫していない→散漫、と思った)
☆また、短編だったためか、それぞれの登場人物のキャラ付け(などという言葉を使うと反発されそうですが)が、シンプルでわかりやすかったです。たとえば、
| 周さん |
女好き |
| 大山さん |
暴力的な上司 |
| 新人バイト |
仕事はできるが、周囲の環境に対する批判精神が旺盛(いわゆるゆとり思考?) |
| 圭一 |
子供を虐待して照れて遊びに行こうとする、ちょっと危ない人 |
と、いずれもおとなしい感じの雅人からすると刺激的で批判しやすい登場人物なのかな、という印象を持ちました。
ただ、こういう対人環境の中で雅人だけが、キャラ付けがよくわかりませんでした(物語の視点となっているため、ということもあるでしょうが)。
●個々の描写、いいなと思いました。核心部分を語らず、周りをなぞってそれを浮き立たせる作者の意図は何となくわかりますが、もうちょっと教えてくれよ、と思いました。家の「解体」作業になぞらえながら、一体何の「解体」を表現しているのでしょうか。圭一という「大黒柱」を失いつつある家族?それにしてはウェイトがそちらに置かれているようには思えません。
季節の花を出すのは好きです。
同じ意見がありましたが、冒頭で人物がたくさん出てきて戸惑いました。
∞ ☆さん、●さんもおっしゃっていますが 冒頭で登場人物がたくさん出てきたので最初若干頭に入りづらかったです。
9ページで一気に緊迫感が増し、そこでの、圭一が虐待を告白して「照れる」という反応や、雨についての描写や、とまどう雅人の様子など、リアルな感じがして良かったです
「解体」という題はちょっとストーリー全体と噛み合ってないかもなあと思いました
□印象的な情景描写からはじまり、多くの登場人物をさばく手腕は非常に巧みであり、すごいなあと思います。「普通の生活の中でもよくある」「関係がよく見えないもどかしさ」は確かに感じられました。
□雑多な登場人物、雑多なエピソードを貫くのは、やはり2ページ目に登場しラストにも触れられる「紫の花」であり、それに象徴される「つかめなさ」だと感じました。それが、「本当でない名前」のモチーフや、各エピソードの最後まで語られない感じともつながり、一本の作品としての格好はできているのではないでしょうか。その意味で、☆さん★さんが指摘される作品の「散漫」さは、正当化されうるものだと思います。
□(作者様が降臨されているようなので、ここからはつっこんだことも書かせてもらいます)しかし、「何も起こらない、それこそ「曖昧」な小説で良い」として、変化しない(むしろ変化を望まない怠惰な)関係を作品のキモとして書く、ということは、自分にはどうもピンと来ません。むしろそれは、「現実」に価値を預けてしまうことであり、創作としてはなにか「貧しい」ことなのではないかという気がします。曖昧さを出しつつも、どこか突き抜ける瞬間というものが必要なのではないでしょうか。
□ですので――小説の批評としては不適切かもしれないことを承知で書かせていただきますが――作中での圭一氏の娘さんの扱いは、作品の「現実」感を成立させるために作者の「神の手」にもてあそばれているようで、個人的に好めません。道徳的・倫理的な判断というだけではなく、それではつまらないと思うのです。以上、身勝手ですが感想です。(森下)
★「何も起こらない」小説がどのようにして可能なのか、という点への意識が薄いように思えます。小説を書き出した時点で、既に何かしらが生じており、小説は出来事についての語りとしてしか構成されえないのではないでしょうか。
★曖昧でもどかしいものだからこそ想像の余地が生まれる、というのはありえると思います。小説内の出来事を一つのラインに収斂させないことで、小説の中に複数の地層が導入されるというようなこともあるでしょう。しばしばポリフォニーと呼ばれるものも、そういった狙いを持つものの一つかもしれません。『解体』をポリフォニックな小説にしようとする意図は作者にはなかったと思いますが。しかしいずれにせよ、小説に現実的な「豊かさ」を表現させたいのであれば、まず問われるのはナラティヴのあり方だと思います。『解体』は雅人に視点を託したきわめて模範的な三人称で構成されていますが、この方法では単線的で、それゆえその一つのラインに意味が集約されていくような作品しか書けなくなります。既存の「普通の小説」を転覆させたいという作者の意志はよくわかりましたが、そのような狙いと実際に採用されている方法との間にミスマッチがあるように感じます。現実の豊かさ、と言うのであれば、それを汲み取ることを可能にするようなナラティヴがあってしかるべきかと考えます。読ませる技術だけの問題ではなく、方法の問題が垣間見えました。
★「『現実』に価値を預けてしまう」という□さんのコメントには強く同意します。固定された視点から、さまざまな出来事を投げ出すように描くというのは、誰かしらの私的な日記を掲載するのとどれほど違いがあるのでしょうか。
★以上を踏まえ、作者が提起している合評会での議論のテーマは非常に興味深いものです。「小説」の定義にも関わってきそうな大きな主題ですが、時間が許せば論議してみたいところです。
◆ナラティブ、プロット論は他の方も書いておられるので、私は風景描写についての感想を少し書きます。
(結論から言えば、物語そのものについては、関係性が徐々に見えていくという方向性で十分主張されていると思うし、特に異存ありません。)
もっとも疑問に思って作者さんに聞いてみたいのが、冒頭の描写で、看板群をクローズアップしたことについて。
あのようなM、牛丼、等々のみ。という風景ってあるものでしょうか・・・と馬鹿正直に思ってしまいました。単純に写生の問題です。
間になんらかの民家とか、小屋とか、ありそうなものですけど、それを省いて夕焼けと、喰われていく山との間に投げ出してあるんですよね。
そう「見える」やん、というのをやりたいのであれば、それは上の方がおっしゃられているように「固定された視点から、さまざまな出来事を投げ出すように描く」ということなのだと理解しています。ただ最初から最後まで「見たいものを書く」という印象で、写生という行為に振り回される感覚が読後に残りませんでした。私はそういうのがある方が、読み続けたいなという気になるもので。その境目があいまいなこともわかっていますが。
◆あとは、女性の描き方についてですかね…。今回の作品たちの中では「共かずき」は置いておくとして、他の小説は、女性の出てきかたが「うーん」という印象でした。作品の中で一転してぎこちなくなるというか、「脚本」としてしか読めなくなる雰囲気になる、といいますか。作者にとっての異性の描き方って、つっこんだらどつぼにはまっていきそうなので、今回はメインの俎上に乗らなくて構わないのですが、結構みなさんのお書きになる女性っていくつかの「型」を使っている感じが強いほうだと思うので、そのへんがどういう意図なのか聞いてみたいです。
この作品の掲載に賛成しますか?
- 賛成です -- toma (2010-05-16 22:21:08)
- 賛成です。 -- morishita (2010-05-16 23:42:49)
- 賛成 -- 野瀬 (2010-05-17 00:23:12)
- 議論が分からなかったので保留。 -- 山下 (2010-05-17 00:24:51)
- 皆さんにお任せします。すんません。 -- ませぎ (2010-05-17 00:26:13)
- 改稿を読ませて頂いてお返事致します(可能なら)。 -- 範子 (2010-05-17 00:31:22)
- うまく改稿できなければ、取り消します。面白さを伝える技術がたりないんかもしれないが、実は別にそれほどへこんでいない。がんばります。 -- yamamoto (2010-05-17 01:28:45)
最終更新:2010年05月17日 01:30