『らくだの通行路』
【詩】5p
あらすじ
感想の書き方:
感想の横に、なんでもいいんで記号入れてください。
同じ人は同じ記号で統一。(たとえば☆マークは、ある同じ人の感想です。)
感想
△詩は本当にわからないので、軽々しい感想は慎もうかと思いますが、そうはいっても「感想」だから、やはり気楽に言わせてもらうならば、「なんか幼稚」と思た。
△良いと感じたのは、最後のカタカナだけです。
△いや、でも待てよ、、、もしかしたら凄い言語感覚の持ち主なのかもしれない。とにかく、私のものさしでは測れない。
△合評会では、内容うんぬんよりも、もう、「載せるのか載せないか」という、その二択を話し合うのかな、と思ったりします。だってほんまにわからへんねんもん。
☆ゾルバン!
☆とりあえず、レイアウトがすごい大事だと思います。たとえば、添付されてるファイルだと、
~
なんだ君は?
僕の声かい?
他人の声かい?
改行
改行
~次のページへ
くくくくくっ
☆というような感じになってて、たぶんリズムが大事な詩にとって致命的だと思います。
☆挿絵依頼したらなんか化学反応起きそうな感じします。
☆ゾルバン!
○ストレートな叫びには好感を持ちました。
○ただ、ストレートでありながら、どこか逃げているという印象も否めません。
○「意味」や「文学」を問いに付すのであれば、もっと正面から向き合い、もっと知的に取り組んでもいいのでは、と感じました。「文学」の否定(とまで言っていいのかどうかわかりませんが)を詩という形式に託すという遂行的矛盾に、作者がどこまで意識的なのか疑わしいです。
○何かへの苛立ちは読み取れました。ただその苛立ちが殺傷力を伴っていないのは、詩としてどうかと思います。
(野瀬)
●んん、なんかよくわからない。ゾルバンに期待します。
□正直にまず純然たる感想をいいますが、玉石混交だと感じました。作者がこれをひとつのものとして提示している理由がつかめているという自信がまったくないので、全体としては論じにくいです。そのあたり、創作の意図などを作者様から述べていただければ、建設的な議論の手がかりになるかと思います。
□主題めいたものをわたしが見出せたものだけに触れます(触れていないものに較べて触れているもののレヴェルが高いと感じたわけではありません)。
□ふたつ目と三つ目、四つ目(「奇妙な踊り―言葉と物」)では、表現行為そのものの主題化を腐心しているように見受けられました。中でも、「作者」と「作品」のあいだのズレを、きわめて純粋な形で提示しているあたりは、非常に興味深いです。
□しかし、「作品」の「作者」すらはねのけてしまう自律性、意味を欠いた「形」の無限増殖を内容としていながら、この詩の形式それ自体からそうしたテーマが伝わってこないのが不満です。詩中で語られている文章はおおむね安定して「意味」を備えてしまっています。もちろん作者は擬態語の繰り返しなどにこだわり、言葉そのものを俎上に乗せようとされているのだろうと感じるのですが、それが詩の内容そっちのけで氾濫してしまうところまで行っていないと思うのです(そして、そうした形式面での先鋭さが、この主題には不可欠だと思います)。
□ただし、「戦慄」と無題、「春」を経ての「嘘といいジュゴン」では(「春」に続いて恋愛がテーマになっているところは正直ピンとこないのですが)、詩が形式面での先鋭さを獲得できていない(ように見える)ことが、「ほんとのことが言えない(=言葉という形に回収されてしまう)」悲劇という内容と呼応していて、充実しているように感じました。同じよさは、ジュゴンの次の無題にもあるような気がします。長文失礼しました。(森下)
※作者です。みんさんたくさんのコメントありがとうございます。
創作意図を書いて、みなさんの意見・疑問に応えたいと思います。
※創作意図について
私がこの作品で全体としてテーマと考えていることは、いくつかありますが、大きなテーマは自己と他者との境界のあいまいさというか、言葉によって境界が目立ったり(言葉と自己とのズレ)、時にはむしろ境界が消えていくようなこと(言葉で他者が入ってきたり、他者のなかに入る)、ということが両方あると思うのですが、それを両方出しながら、最後は後者を強調すること(ゾルバン)によって、自分ではないものとして他者を排除したりすることを批判したいということがこの作品の狙いでした。その中で、「言葉と物」などで扱った言語の問題は、ボードリヤールがシミュラークルと言ってるものの僕のイメージなのですが、言語とそれが指し示すの現実のものとの関係の浮遊感、関係にリアリティーを感じなくなってしまうことを表現しています。それは私自身が本を読んだり、言語に限らず戦争報道などに触れても感じることなのですが、そのような対象との絶望的な距離を、自分が世界と向かい合ったときにどう対処したらいいのか、単にリアルじゃないということで放りださないための通路を探し出したいという点で言葉の問題を扱っています。そこでゾルバン(他者)の共有ということになったわけです。
※△さん、●さん
よくわからなかったことはごめんなさい。よくわからなかった、というのをもし可能ならもう少し詳しく合評会の時にお聞かせください。
※☆さん
そうですね。リズムというか、視覚的に一望できることが大切なのでレイアウトは僕も苦心したのですが、順番は変えたくないので、なかなか難しいですが、もうちょっと考えたいと思います。
※○さん
遂行的矛盾は自覚しています。□さんが書いてくれましたが、それは作品の中でも開示していて、「嘘といいジュゴン」のテーマでもありました。意味については、否定したいというのではなく、創作意図のところでも書きましたが、意味があるかないか、自分や言葉と対象との関係をどう取り結ぶか、ということを考えてみたいということです。それをうまく表現できていない部分があったので反省しています。そして、殺傷力の話ですが、私は自分の作品に殺傷力がないとは思いませんが、同時に、殺傷力がないのは詩としてどうか、という意見には、殺傷力がなくても詩として問題ないと思います。でもその前に、□さんのおっしゃる殺傷力について話し合ってみたいですね。このあたりは、他の作品でも話題になっていた、文学に何を求めるのか、という話と合わせて議論すれば面白いと思います。
※□さん
意味のことは上にも書きましたが、意味の否定は主眼ではありませんでした。私はどちらかというとその反対に興味を持っています。ただ、そう読ませてしまうことが作品の中にあったと思いますので、その点は改良したいと思っています。「言葉と物」ではそれが意味を持とうが持つまいが、自分の意思や対象との関係を離れて、言葉自体が氾濫していくイメージを表現したいと考えました。そのときに、それに見合った形式が重要だという指摘はその通りだと思います。よく考えてみたいと思いました。
※以上好き勝手に書きましたが、本当にみなさんありがとうございました。
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- 賛成です。 -- morishita (2010-05-17 01:58:16)
- 巻末がいいな -- toma (2010-05-17 02:08:20)
- ええんちゃう -- 野瀬 (2010-05-17 02:09:13)
- vol3はゾルバンという言葉でおわる。 -- masegi (2010-05-17 02:11:15)
- うん。 -- yamamoto (2010-05-19 13:29:44)
最終更新:2010年05月19日 13:29