(11)296 『未来に選ばれし者たち』

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&br() ――― ・・・・・・!? 喫茶「リゾナント」のテーブル席で、いつものようにノートを広げて勉強していた光井愛佳は、たった今頭の中をよぎったビジョンに驚いて、ペンを走らせていた手を止めた。 手元の注意がおろそかになったことで、ノートには Pn= と書かれた後、不規則な線が引かれる。 だが、愛佳の意識はもう数式からは離れていた。 そんなことに構っている場合ではなかったから。 「今の人は・・・」 思わず口に出して呟くと、カウンター席の向こうで座って本を読んでいた高橋愛が顔を上げた。 「んー?何か“視え”たん?」 「あ、はい。あの・・・」  田中れいなが休みを取って遠出しており、そのこともあって今日は臨時休業している喫茶「リゾナント」。  入り口のドアにはその旨を書いた紙が貼られ、「CLOSED」の札が掛けられている。  ふとそのドアが開き、来客を知らせるベルが静かな店内に鳴り響く。  今日も朝から降っている雨が地面を叩く音が、それに続いて聞こえてくる。  それらの音をバックに立っているのは一人の長身の女性。  自分と同じく“未来”を“視る”ことのできる、黒く深い瞳が印象的な・・・ 愛佳が、つい今しがた“視た”そのビジョンを愛に伝えようとしたとき、ドアの外に気配がした。 静かに開かれるドア。 店内に響くベルの音。 雨音。 そして・・・ 愛佳がほんの少し前に“視た”光景が、今また目の前にあった。 かつて、例の幽霊ビルの件のときに出遭った長身の予知能力者が、雨のそぼ降る街並みを背景にして悠然と立っているその光景が。 「今日、お店お休みみたいだけどちょっといいかしら?」 意外に礼儀正しく、でも限りなく無愛想にそう訊ねる長身の女に対し、愛はやや警戒と困惑の表情を浮かべながらも頷いた。 ガードされているらしいその心は覗けなかったが、敵意や害意は不思議と全く感じられなかったから。 「ありがと。・・・心配しなくていいわよ。今日は組織とは関わりなく個人的な用事で来ただけだから」 「個人的な用事?」 「そ。ちょっとこの子と話がしたくて」 静かにドアを閉め、傘立てに傘を入れた女は、テーブル席で固まったままの愛佳に視線を移した。 愛佳の肩がビクッと動いたのを見て、女はほんの微かに表情を動かした。 「心配しなくていいって言ってるのに。・・・同席させてもらってもいい?」 「あ・・・・・・はい、どうぞ」 頷きを返し、愛佳は慌ててテーブルの上に広げられた教科書やノートを片付け始める。 その向かい側の席に歩み寄った女は、愛佳の手でテーブルの端に移動された教科書に目を向けながら呟くように言った。 「確率・・・か。箱の中に入ってる赤い玉6個と白い玉3個を取り出すとき・・・とかいうやつでしょ?バカバカしい問題よね。意味があるとは思えない」 「はい、まあ・・・そうですね」 向かいの席に着く女に対し、愛佳は曖昧に頷いた。 一般的な意味で言っているのか、予知能力者だからこその言葉なのか・・・それとも何かそれ以上の意味があるのか分からなかったから。 「何か飲みますか?」 気付くと、すぐ隣に愛が立っていて愛佳は驚いた。 「そんなに慌てて飛んでこなくても大丈夫って言ってるのに。この子がびっくりしてるわよ」 表情一つ変えずにそう言う女に対し、愛も真顔で答える。 「カウンターまわってくるの結構面倒なんで。日頃はできんからこんなときくらいと思って」 (この人らどっちもどこまで本気か分からへんから心臓に悪いわ・・・) 緊張感で既に疲労してきている愛佳は、一人胸の中でそう呟いた。 「じゃブレンドコーヒーを1つ。・・・あ、この子の分も。もう随分冷めてるみたいだから」 愛佳の前に置かれた飲みかけのカップを示しながら、女はそう言ってメニューを置く。 「承知しました」 愛は再び瞬間移動でカウンターの向こうに戻り、コーヒーを淹れる準備を始めた。 しばらく気詰まりな沈黙の中、サイフォンの音だけが店内に響く。 (高橋さん、間違えて普段も注文のとき瞬間移動しはらへんか心配やな・・・) (話てなんやろ・・・やっぱり予知能力に関することやろか) (あーコーヒーのええ匂いがしてきた) 耐え切れない緊張感の中、愛佳の思考は視線とともに色んなところに飛んだ。 それとは対照的に、向かいに座る女の視線は一点を・・・どこか遠い世界の映像を見ているかのように動かない。 (なんかまたどっか遠いとこ見てはる感じやなあ・・・“未来”やろか) 思わずまじまじとその目を見ていると、遠くに行っていた視線が愛佳の顔に焦点を結んだ。 「光井さん・・・って言ったわよね。あなた・・・最近何か大きな予知を“視た”?同じ予知を繰り返して・・・とか」 突然目が合ったことにうろたえていた愛佳は、質問の意味が一瞬分からずに首を傾げた。 「大きな予知?繰り返して?それはどういう・・・」 「見てないか。まあそうでしょうね。いえ、だったらいいんだけど。やっぱりあたしだけの問題ってわけだ」 最後は呟くようにして言うと、女は再び口をつぐんだ。 「お待たせしました」 ちょうどそこに、湯気と香りの立ち上るカップを載せたトレイを持った愛がやってきた。 今回ばかりは普通にカウンターを迂回して。 「いい香りね。あ、ちなみにあたしの名前も“カオリ”って言うの。土二つの圭に織る」 「圭織さん・・・ですか」 「“羽織り”みたいに発音しないでほしいの。そうね“タオル”を言うときの発音で」 「タ・・・タオル?えっと、カオリさん・・・でええんでしょうか?」 本当にどこまで本気か分からないと思いながら、愛佳はその名を呼んだ。 「ま、そんな感じ。ところで・・・本題に入らせてもらいたいんだけど」 「はい」 「いつだったか、あたしがあなたのこと殺そうとしたの覚えてる?」 「・・・そら・・・まあ」 覚えているかも何もないものだ。 いったん言葉を切って無表情にカップを口に運ぶ圭織を見ていると、あのときの恐怖が改めてよみがえってくる。 瓦礫の下敷きになり、血まみれになって息絶えている自分のビジョン。 それは結局自身の予知能力によるものではなかったが、あんな映像はできれば二度と見たくはない。 「あなたはあのとき何を思って里沙を助けたの?助ければ自分が死ぬと分かっていて」 「何をって言われましても・・・」 あのとき―― 愛佳は崩れ落ちる瓦礫の下敷きになりかけた新垣里沙を突き飛ばし、その身代わりとなった。 “予知”の中で“視た”ように、それが自分の死を意味することを知りながら。 無我夢中だったとはいえ、我ながらあんなことがよくできたと思う。 ・・・でも、同じ場面に行き逢ったならば自分はきっと同じ行動を取るに違いない。 そんな思いもあった。 「何ていうか・・・『私しか今の新垣さんを助けられる人はおらん』って思ったんです」 愛佳は、あのときのことを思い出しながらゆっくりと語った。 少し離れた席に座って話を聞いている愛がかつて自分に言ってくれた、「明日を知ってるのはあなただけ。自分で変えるんだよ」という言葉。 その言葉について自分なりに色々と考えてみたこと。 そして自分のこのチカラで――ずっと忌むべきものでしかなかったこのチカラで、誰かを救えるかもしれないと思えるようになったこと。 でも、もしかしたらそれは未来を好き勝手に弄ぶ行為であり、そんなことが本当に許されるのかと懊悩したこと。 「そやけど・・・とにかくここで新垣さんを助けな、一生後悔しながら生きていかなあかん・・・って思たんです」 「自分の命を犠牲にしても?自分が死んじゃったら後悔も何もないじゃない」 時折カップに口を付けながらしばらく黙って話を聞いていた圭織が口を挟む。 「確かにそうですけど・・・でもここで“未来”を変えられへんかったら自分も変えられへんと思たんです」 「つまり、“変われなかった自分”が“変えられなかった未来”の中を生きていても意味がない・・・と?」 「それは自分でもよう分かりませんけど・・・とにかく最初に言うたように『私しか今の新垣さんを助けられる人はおらん』って思たのが全てなんかもしれません」 「『私しかいない』・・・か。なるほどね。神にも変えられない“未来”を自分だけが変えられる・・・か」 ひとり言のようにそう呟く圭織に、愛佳は「それは違う」と言いかけた。 「未来をも自由に選べるこの能力は神そのもの」 あのとき、圭織が未来予知の能力をそんな風に表現していたのを思い出す。 自分たちは決して神なんかではない。 ましてや神を超える存在なんかではなおさらない。 一人の人間に過ぎない。 だが、口を開きかけた愛佳はその言葉を飲み込んだ。 言っても無駄だと思ったわけではない。 一瞬、頭の中を“未来”のビジョンがよぎったからだった。  薄暗く、広々としたどこかの廃墟の中。  天井から射し込む一条の光の下、椅子に座り、机に向かって作業をしている圭織。  色鉛筆を持ち、机の上の画用紙に絵を描く圭織のその表情は、穏やかで・・・美しい・・・ 「あなたはあのとき言ったわね」 圭織の声で愛佳は我に返る。 「『自分の意志で選んだと思った“未来”も、元々選ぶようにできているだけの話だ』って」 「はい、言いました。私はそう思います。今でも」 愛佳はキッパリと頷き、言った。 “未来”を“視た”自分が行動することにきっと意味があるのだと。 その意味で、自分たちは未来に「選ばれた人間」であると思うと。 「なるほど。・・・で、選ばれた人間たるあなたは“未来”を変えるためならば、自分が犠牲になると分かっていてもその行動を取るわけだ」 「それは・・・・・・はい、それが必要なことならば」 「低レベルな思考ね、相変わらず」 突然立ち上がった圭織を、愛佳は驚いて見上げた。 「“未来”のために自分を犠牲にするなんて浅慮もいいところ。あなたの・・・・・・まあいいわ。ごちそうさま。おいくらかしら?」 何かを言いかけてやめた圭織は、愛の方に目をやると何事もなかったかのようにそう訊ねた。 「いえ、お代はええです。今日は休みやし」 「・・・そ。じゃあお言葉に甘えようかしら。おいしいコーヒーだったわ。ごちそうさま」 そう言うと、圭織はもう愛佳の方を見ようともせずに出口に向かった。 カランカラ~ン ドアが開き、その上部に取り付けられたベルが音を立てる。 「さようなら。もう二度と出会う事もないでしょう」 振り返りもせずにそう言うと、圭織は小降りになった雨の中へ足を踏み出した。 背筋を伸ばした独特の姿勢で、手には畳んだままの傘を持って。 ドアが閉まり、喫茶「リゾナント」には再び静寂が訪れた。 テーブルの上に残されたカップをぼんやりと眺めながら、愛佳は考えていた。 唐突に現れ、唐突に去っていったあの長身の予知能力者が残した言葉の意味を。 そして先ほど一瞬見えたビジョンの意味を。 「高橋さん・・・あの人の・・・圭織さんの心の声は聞こえました?」 カップを片付けに来た愛にそう訊ねてみたが、愛はゆっくりと首を横に振った。 「聞こえんかった。やけど・・・あのとき言うのをやめた言葉は分かる気がする。多分あっしが言いたかったことと同じやから」 「高橋さんと・・・?・・・・・・そうですか。なんか私にも・・・分かった気がします」 自分の前に置かれたカップをようやく口に運びながら、愛佳はそう呟いた。 圭織は・・・もしかするとこう言いたかったのではないだろうか。 あなたの犠牲の上に築かれた“未来”を、残された者が喜ぶと思うのか。 それはただの自己満足に過ぎない。 本当に自分が未来に選ばれた人間だと思うのならば、安易な自己犠牲の道を選ぶべきではない・・・と。 だがそれと同時に、愛佳には他ならぬ圭織が今からその道を往こうとしているように思えてならなかった。 去り際の圭織の言葉と、その決然とした後ろ姿がそれを何よりも物語っているように。 「神にも変えられない“未来”を自分だけが変えられる・・・」 呟くように圭織がそう言った際に浮かんだあのビジョン。 あの“未来”の映像が意味するのは・・・・・・ 表情らしい表情を浮かべているのを見たことがない圭織が、あのビジョンの中では優しく穏やかに微笑んでいた。 その様は息を飲むほどに美しく、射し込む光と相まって神々しさすら感じさせたが、同時に掻き消えそうな儚さも併せ持っていた。 「何か大きな予知を繰り返して“視て”いるか」 先ほど、圭織は愛佳にそう訊ねた。 おそらく、圭織には何らかの大きな予知が繰り返し“視え”ているのだろう。 もしかすると一人で抱え込むには大きすぎる“未来”のビジョンが。 だから圭織は同じ力を持つ自分のところへやってきた。 苦しみを共有できるかもしれないと考えたのか、他に理由があるのかは分からない。 とにかく、圭織は何かを求めて自分に会いに来たのだ。 そして、あの会話の中で自らの往くべき道を決めたのではないだろうか。 たった一人でその道を往くことを。 愛佳は思わず立ち上がり、入り口のドアへと走った。 カランカランカラ~ン ドアの勢いに合わせ、ベルが激しく打ち鳴らされる。 開け放たれたドアの向こうには雨に濡れた街並みが見える。 だが、その中に圭織の姿はもうなかった。 ただ・・・空を覆っていた雲にようやくできた切れ間から射し込む日の光が、先ほど“視た”ビジョンの中の圭織を思わせた。 満足そうな・・・安らかな微笑みを浮かべた圭織の姿を。 ---- ---- ----

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