(05)522 『共鳴者~Darker than Darkness~ -2-』

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



闇の中にいる。
酸性の沼地のような、肌を焼く闇の中に。
灼熱の汚泥は眼球をえぐり、神経を侵し、脳髄をドロドロに溶かしていく。
その夢を最初に見たのがいつなのか、高橋の記憶に定かではない。
共鳴者としてスカウトを受けてからか、能力の発現した頃か、あるいはより原初の、胎児の頃からか。
夢は常に現実的な苦痛を伴い、高橋愛を蝕んでいく。

――いつの頃からだろう。その苦痛が安堵にすり替わり始めたのは。

依然として闇は熱く、痛い。
だから、変革があったのは闇そのものではなく、そこに晒される高橋愛自身の方だ。
その激痛を愛しいと感じる。
その暗黒に安寧を覚える。
徐々に、徐々に。
気づくのが難しいほどにゆるやかな速度で、高橋はその闇に親しんでいく。




  *  *


流れ落ちる水の音が、視界にこびりついた暗い泥をすすぎ流していく。
何分、何時間そうしていたのか、我に返った高橋は蛇口をひねり水音をせき止めた。
場所は喫茶リゾナント。
高橋の自宅であり共鳴者の根城となっている店舗の厨房である。
厨房とは言っても、ホールとはカウンターで区切られただけの簡素なものだ。
ステンレスのシンクの底には先ごろ代行者から受け取ったアルミのピルケースと、
そこからこぼれ出た白い錠剤が散らばっている。
水に濡れていくつかは溶け出していた。
正規品ではないためプラスチックの包装をされていないのが仇となった。
その開発にかかったであろう血税の額など知ったことではない。
だが臨床試験のサンプルとされた先輩たちの存在に思いが至り、
急激に申し訳なさがこみ上げてくる。

今日の発作は急激だった。
軽い動悸と眩暈を覚え、焼きついた思考の中で錠剤を取り出した時にはまともに歩くこともできなかった。
そろそろ同居人である田中の目を誤魔化すのも厳しくなってきたかもしれない。

共鳴者(リゾナンター)の末路。
共鳴者が共鳴者と呼称される本当の理由を、高橋以外のメンバーは未だ知らされていない。
高橋自身、知らされたのは自らも発作を起こし始めてからだ。
説明してくれた同輩のあの横顔の意味を、高橋もようやく実感し始めている。

――どちらにせよ、もうあまり時間はない。
  決断を迷っていられる猶予自体が自分には――


「愛ちゃん」
「ふぇ?」

不意に呼ばれて、気の抜けた応答を返してしまう。
見ると、店舗から居住スペースを繋ぐ階段の入り口に田中れいなが立っていた。

「どうしたと? どっかケガした?」
「あいや別に」

咄嗟のことで早口になる。
しまった。不自然だ。
リーダーを務めるようになってだいぶ改善されたとは言え、
隠し事に向かない性格が今は特に弱みだ。

「ちょっと相談乗ってもらってもかまわん?」
「え、珍しいね。れいなが」

幸い田中は気がついていないようだ。
高橋は胸を撫で下ろした。だが。

「いや、能力の種類を変える方法とかってなか?……とか」
「……種類を、変える?」

急速に自分の表情が凍りついていくのがわかる。

「ほら、れいなの能力ってあんま単体で使えんやん?」

暗がりのせいか、田中は気づいていない。


「今まではみんなも攻撃的なの持ってなかったから気にならんかったっちゃけど」

それは。

「ジュンジュンもリンリンも攻撃に直接使えるのだからやっぱすごい活躍やし」

その悪意のない希望は。

「それに愛ちゃんの瞬間移動も今日見てて便利っちゃねーって」

触れてはいけない高橋の棘なのだと。

「それで前に新垣さんに、愛ちゃんの瞬間移動は
 元からあったわけじゃないとか聞いたの思い出して」

彼女は気づけていない。

「なんか方法があるんやったら――」

そして高橋もまた気づくことができなかった。
知らず振り上がる自身の右腕の行く先を。

乾いた音が、木霊した。



  *  *


「ご…めん、なさ……。」

勝ち気な彼女なら憤るものと思っていた。
だから、その反応に不意をつかれた。
客観的にみても、謝るべきはこちらの方なのに。

「ちが…、違うんよ。悪いのはあーしの、あーしが」

右の掌がひりひりと熱を帯びている。
狼狽する高橋を見て、頬をおさえ涙を浮かべた彼女はしかし、尚も謝罪を続けていた。

「よぅ、わかっちょらんけど……れいなが、
 言っちゃいかんこと言ったんやってことはわかるけん…。
 ごめんなさい……ただれいなも強く、なりたくて…っ、けど、
 そんな、悲しそうな顔させたくて言ったわけやなくて……っ」

――力が、欲しかったよ……愛ちゃ――

似ている。
目の前で泣いている少女と、
数年前に目の前でいなくなった少女。
二つの像が、視界に重なる。

「……ごめんね。先に、寝てて」

これ以上それを見るのが辛かった。
逃げ出すように、高橋は夜の闇へと駆け出した。



  *  *


どこをどう走って来たのか。
息が切れ切れになる頃、高橋は繁華街へと辿り着いていた。
極彩色に光るネオンが不愉快で、足の向くまま路地裏へと入り込む。

「おやおや。奇遇だね」

白々しく声をかけてくる人影があった。
視線を投げると、白衣をまとう見知った顔がそこにある。

「また、つけてたんか。あさ美」
「人の話を聞く癖をつけなよって言ったでしょ?
 今日はたまたま外をお散歩したい気分だったんだよ。
 そしたら鬼気迫る表情で走ってる友人がいたもんだから」

いずれにせよつけて来たのに変わりはない、という反論は飲み込んだ。
最終的に言い負かされるのは目に見えている。
それに、今夜こうして接見できたのはむしろ好都合だった。

「あんたに話があるんよ、あさ美」
「珍しいねえ。あ、ガキさんなら何度頼まれても渡せないよ?」

新垣里沙の裏切りを、高橋はすでに知っている。
別に見抜いたわけではない。
ただ、事の首謀者である紺野あさ美があっさりとその仔細を漏らしただけのこと。
もちろん、仲間を政府に売り渡すことなどできないという高橋の性質を知っての上だ。


「それはもう、いい。話っていうんは――」
「あれぇ~? こんなところで何してんのキミたち~」

路地裏の入り口から声がした。
見ると、6人ほどの若い男たちがこちらをかわるがわる覗きこんでいる。
酒でも入っているのか、その両目には好色そうな色合いが隠そうともせず滲み出ていた。

「二人だけ? だったら俺らと遊ばね?」
「まあ男連れならソイツぶっ飛ばすだけだけど!」

下劣な笑い声が路地に響き渡る。
溜息をひとつ吐き、紺野が一歩前へ出た。

「止めても無駄だよ? 愛ちゃん」
「いや」

高橋はそれを無視し、紺野の肩を掴んだ。
立ち位置を入れ替えるように前へ出る。

「あさ美は下がっとき」

意識の触手を軽く伸ばし、男たちの前頭葉を一瞬なぞった。
「は」と自身のものとは思えない乾いた笑みが口から零れた。
ああ、本当に良かった――

「んん~? 逃げたりしないのかなァ?」
「ああ。逃がしたりせんよ」

――決断の夜に巡り合えたのが、こんなクズ共で。


「あァ? オマエ何言って、」

乱雑に伸ばされた男の右腕が、指先から肩口まで順番にねじれていく。
ピキ。パキ。ボキ。ゴキ。ぷちっ。
男の意思など度外視した動きで腕は
数多の皮膚と筋繊維と血管と神経と骨を引き裂き砕き破りながらねじれ続け、
やがてごとんと肩から先をねじ切った。

「ア、へ、え……? ぎっ、」

男の声帯は悲鳴を絞り出す寸前で潰れ、弾ける。
ねじ切れた仲間の生首を見て、
鼠のような悲鳴を上げた残りの5人が我先にと路地の出口へ駆け出した。
狭い路地で押し合い罵倒しもつれ転び、倒れ伏しながらも
やっと出口へ達した男の指を――高橋は容赦なく踏み砕いた。



  *  *


「えっと、これは好い返事を貰えたと受け取ってもいいのかな?」

その殺戮を、紺野は期待に満ちた目で始終漏らさず見つめ続けた。

「構わんよ。あーしの力、あんたに預ける」

殺戮の創造主はなにかを諦めたようにそう返した。
路地裏の闇の中、彼女の周囲にはひときわ濃い闇が垂れ込めている。
決意の夜。
高橋は最期に低く、紺野にも聞こえぬ声でただ一言だけ呟いた。

――あーしは人間をやめるで。マコト。




















最終更新:2012年11月24日 08:14