(10)065 『邂逅~長雨の合間に~』

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朝まで降り続いていた雨がやんだ。

雨上がりの外は気持ちがいい。
見上げれば、ほんの少し白を混ぜた水色の空。
耳に届く、足下の水音。
肌に感じるは、ひやりと頬を撫でる風。
そんな穏やかな空気を想像しながら、さゆみは大教室で二時限目の開始を待っていた。

この科目はなかなかの人気科目で、空席はもうほとんど見られない。
あるとすれば、最前列に数席、四列目に一席、そしてさゆみの隣の席くらいか。
このまま誰も来なければ、席を二つ使えるけど。
そんな事を考えていた矢先、さゆみは後ろから声をかけられた。

「すみません。隣、空いてますか・・・?」

か細い、女の声。
さゆみは振り返って声の主と目を合わせる。

肩より長く伸びた茶色い髪。ふっくらした輪郭。まっすぐに向けられる大きな瞳。
たまに「フグっぽい」などと称されるさゆみだったが、この女からは「金魚みたい」という印象を受けた。


「あ!はい、どうぞ!」

荷物を自分の方に寄せる。
多少狭苦しくなるが仕方ない。さすがに90分も立たせっ放しでいさせるのはかわいそうだ。

「ありがとうございます。・・・ここって、LOVE論の教室ですよね?」
「はい。LOVE論です」

よかった、と彼女が柔らかく笑う。
さゆみは彼女から受ける印象に、ふんわりとした物腰を追加した。




「短期留学?」
「正確には、超がつきます」

二限を終え、昼時の構内を二人で歩く。
行き先は、学生食堂。

「私の通う大学には、一年に一週間限定なんですけど、提携先の大学の講義を受けられる制度が
あるんですよ。十五科目とれば三単位もらえるのかな。うちの大学にも他大学の人が結構来てますよ」
「へー・・・初めて聞いた。そっか、だから学食の場所知らなかったんですね」
「すみません。わざわざ案内してもらっちゃって」
「気にしないで下さい。私も行こうと思ってましたから」


LOVE論が終わった直後、彼女が学食はどこかと聞いてきた。
説明するより連れていくほうが早い。ちょうどさゆみもそこへ向かうつもりだったし。
それにしても、梅雨も明けようというこの時期に妙なことを聞くとは思ったが、まさか外部の人間だったとは。


「・・・あれ?」

彼女が突然足を止める。
その瞬間、さゆみはある事実に気付いた。
お互い、まだ自己紹介が済んでいない。

「どうかしました?」
「今、なんか変な音しませんでした?なんだろ、こう・・・ズザザーって・・・」

あっちの方から、と彼女が指差した先には新設中の8階建ての棟があった。
この夏のオープンキャンパスの目玉だそうで、外壁の塗装を残してほぼ完成の域に達している。
無理に作業を進める必要がないのか、昼食時になると周囲には人影が見当たらなくなるのだった。
そのため、今も人の気配は感じられない。

「き、気のせいじゃ・・・」
「違う。・・・もしかしたら・・・!」

立ち止まっていた彼女がいきなり走り出した。
置いていかれるのが嫌で、さゆみも彼女を追いかける。
そこで、息を切らしながらの新発見。

彼女は、さゆみよりずっと足が速い。




さゆみは思わず息を呑んだ。
紅い水たまり。つまり血だまり。
建物と通り道の死角に、作業着姿の男が頭から血を流して倒れていた。
雨粒で濡れた足場から滑り落ちたか。不幸にもヘルメットはつけていない。

「意識ありませんね」

男の顔色を見ながら淡々と彼女が呟く。
普通の女子大生らしからぬ反応だ。普通はもっと取り乱すものだと思っていた。
彼女、ただ者ではない。
そこまで考えて、さゆみは自嘲する。
そんな冷静な判断を下す余裕がある時点で、自分も“普通”ではないじゃないか、と。

「早く止血しないと」

彼女の呟きに、さゆみははっと我に返る。
止血なら自分の出番だ。
普通じゃないからできることがある。


「じゃあ私が応急処置しておきますから、誰か呼びに行ってもらっていいですか?」
「えっ?でも私、ここの勝手わからないですし・・・・・・って、応急処置できるんですか」
「・・・もちろん!私の家、代々医者の家系なんです」

嘘だよ。
でも、この場はそれを真実にするしかない。彼女にこの場にいられてはまずいから。

できることなら、他人が見ている前で能力は使いたくない。
恐れや蔑みの感情を向けられたくない。
けれど、彼女はここを離れる素振りをみせない。
さゆみは、倒れている男に目を向けた。

相変わらず意識はない。当然だ。この出血量なら。
事態は一刻を争う。
逡巡している時間なんてなかった。

元々ここの人間じゃない彼女に見られても、噂がそう周囲に広がることはないだろう。
さゆみは、自分を納得させながら倒れている男に近づいた。

「お願いします。これから見ること、誰にも言わないでください」

一応釘をさして、治癒開始。
さゆみは男の傷口に全神経を集中させた。
ピンクのオーラが辺りを包む。

その時初めて、彼女が動揺の色を見せた。



品切れの明太子スパゲッティの代わりに、ピザセットをとった。
しばらく食べていないうちにチーズが減量した気がする。
げに悲しきかな、原料価格高騰問題。
対照的に、目の前のオムライスがやたら大きく見えた。

「ん~!いいねぇ、ここのオムライス」

ああそうか。
彼女の幸せそうな顔が余計にこのガッカリ感を後押しするのだ。
彼女の頭上にお花が見える。

「何も言わないんですね」
「ふぇ?」

ある程度覚悟していたのに、彼女はさゆみの能力に関して何も触れてこなかった。
嫌悪の態度も好奇の視線も見せることなく。
今、彼女の興味はオムライスにしか向いていない。
はっきり言って拍子抜けだ。

「何か言ってほしいの?」
「そういうわけじゃないですけど・・・」

言葉に詰まる。
どうも彼女のペースに巻き込まれているようだ。
彼女は、何事もなかったように食事を続ける。



「・・・何も感じなかったわけじゃないよ。ただちょっとびっくりしただけで」
「え?」

終わったと思った会話が再開される。
いや、彼女の中ではまだ続いていたのか。
食器を動かす手を休めて、彼女が言った。

「すごいよね。ああいう力を普通の人が知ったら、必要以上に怖がるか悪用を考えるか
どっちかだと思う」

光のいたずらか、一瞬彼女の瞳から灯が消えた。
しかし、それは束の間。

「でもさ、だからって自分が“普通”じゃないなんて思うことないよ。なんていうのかな、
あれは一種の才能っていうか・・・なんだろ、スポーツが得意な人がプロの選手になったり
頭使うのが得意な人が学者さんになったりと同じで、その力をうまく使えればみんなが
喜んでくれるんじゃないかなー・・・と。ごめん、なんかお説教っぽくなっちゃった」

彼女はそう言って笑い、また皿の上に意識を戻した。


お説教なんかじゃ、ない。
かつてリーダーの愛にも似たような言葉をかけられ、さゆみはずいぶんと救われたことがある。
彼女の言葉により、さゆみは当時の感情を鮮明に思い出した。



―――この人はこちらの胸のうちを全て見透かしている。
―――なぜかいやな気はしない。
―――むしろ、嬉しかった。
―――この苦しみを理解して、自分の存在を受け入れてくれる人がいることが。


そろそろ昼休みが終わる。
彼女はすでに食事を終え、携帯電話に目を通していた。
かと思うと。

「ごちそうさまでした。さて。私もう行くね。今日は午前だけなんだ」

空の食器を持ち上げて、席を立つ。
一方、さゆみの皿にはまだジェラートが残っていた。

「じゃあまたね。これからもがんばって」
「あ、はい。気をつけて」

軽く手を振りながら去っていく彼女につられて、さゆみも手を振り返す。
彼女の後姿を見送りながら、さゆみはお互いに名前を名乗っていなかったことを思い出した。
しかし、悔やむ気持ちは湧いてこない。
それはきっと、「さよなら」ではなく「またね」だから。
彼女とはこれきりで終わりにはならない。またどこかで会える。

予感めいた確信が、確信めいた予感が、胸の中に広がった。





正門の外に見慣れた顔が二つ。
偶然通りがかったにしては話が出来過ぎている。
やはり、事態はおおごとのようだ。

「奇遇ですね。こんな所で何してるんです?お二人揃って」

二人は示し合わせたように怪訝そうな顔をする。
少し道化が過ぎたか。
心の中で密かに反省していると、二人のうちの一人、少年のような顔をした女が
けだるそうに口を開いた。

「・・・迎えに来た。なんか知んねーけど緊急招集かかってんだよ。幹部級は全員来いとさ」
「あらま」
「ちょっとー!あんた知らなかったの?メール見てないわけ?」

もう一人のやたら声が高い女も続いた。

「こっちもいろいろありまして。実はメール見たのついさっきなんですよ」
「いろいろって何よ。適当なこと言ってんじゃないでしょーね」

自他問わず厳しいのは、この人の長所であり短所だ。
しつこい追及とその特徴的な声に遭って、思わず耳を塞ぎそうになる。
どこまでも相手を追い詰める粛清人という仕事は、この人の天職だと思った。

「そーいや敵の一人がここの大学通ってんじゃなかったっけ。ひょっとして交戦してたとか?」


傍観していた女が、思い出したように呟いた。

当たらずとも遠からず。
こっちの人は無自覚に鋭い時がある。
正面から堂々と責め立てるもう一人とで、案外いいコンビなのかもしれない。

「戦闘スキルのない私に交戦は無理ですよ。それに私、敵の顔あんまり覚えてないんで」

道重さゆみと遭遇したことは誰にも話すつもりがなかった。
「誰にも言わないでほしい」と言われたのもあるし、能力を使われるまで相手の正体に
気がつかなかったなんて白状したら、それこそ目の前の声が高い彼女に八つ裂きにされそうだ。

「敵の顔も覚えられないくらい忙しいんだったら、大学なんかやめちゃえば?ただでさえ
うちは科学者が少ないんだから。そっちに集中しなさいよ」

棘々しい非難の物言いに、負けじと強い口調で反論した。

「外の世界を知ることも研究の役に立ちますよ。一応両立できてるんだから、そんなこと言われたくないです」

彼女はしかめっ面で何か言いたげにして、しかし何も言ってこなかった。
正攻法の戦いでは彼女に敵わないが、やり方を選べば対等以上に戦える自信がある。
このような論戦もその一つだ。
論戦。
その単語で、先程まで一緒にいた少女の顔が頭に浮かぶ。


彼女たちなら、味方に対する勝ち負けなど気にもしないはずだ。
味方はあくまで味方であって、戦いの対象にはなり得ないのだから。

なんだろう。無意味な苦笑が漏れた。

「話済んだ?もう行こう。あんまり遅くなると、上がうるさい」



結局、道重さゆみとは自己紹介をせずに別れた。
こちらは相手の名前がわかったので、それで満足してしまったのかもしれない。
悪かったと思うと同時に、これでよかったとも思う。
次に彼女と会う自分は先程までの自分とは違う人格なのだし、
名前を名乗ったところで意味がない。いたずらに彼女を混乱させるだけだ。
そう。
与しているものが違う限り、彼女と自分はきっとまたどこかで再会を果たす。


溶け合うことはないけれど
光と闇はいつだって隣り合わせ




















最終更新:2012年11月24日 15:34