(13)205 名無し募集中。。。 (吉澤の幽霊)

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里沙が自分のマンションにたどり着いたのは、すでに真夜中をかなり回った頃だった。
暗い部屋に入ってバッグをそこらに放るなり、倒れこむようにしてベッドへと身を投げ出す。
夜食を摂る気にも風呂に入る気にもなれず、今はただひたすらに
戦闘で疲れた身体を休めたかった。
 ……もっとも最近の里沙にとっては、夜ごとのわずかな眠りすら
悪夢によって妨げられることもしばしばだったのだが。

「お疲れ」
「ぅえぇ!?」
不意に声を掛けられ、慌ててガバッと身を起こした。
そのまま上半身を声のした方へ向ける。部屋の向こう側にパソコン机があるのだが、
その椅子に一人の女性が座っていた。
亜麻色をしたストレートのショートヘア、スラックスを履いた長い脚を優雅に組み、
男物のジャケットを何気なく着こなしている、その女性。

片肘を突いた上に乗せた頭を少し傾け、こちらへ向けて軽く微笑んで再度口を開いた。
「せめてシャワーくらい浴びた方がいいんじゃないかなぁ、乙女のたしなみとして」
里沙はその姿を認めると、はぁ、と脱力し軽くため息をついた。


「もう……驚かせないで下さいよ」
「仕方ないじゃん、そろそろガキさんも慣れてよ」
「無理ですよそんなの」
諦めて里沙は寝床から完全に身を起こし、そのままベッドの端に腰かけて彼女の方を向き直った。

「こっちはこれから寝ようとしてたんですけど。
だいたい吉澤さんはいつも出てくるのが突然すぎます」
「いや~何しろ幽霊だからさ、いきなり出てくるのが身上というか」
そう言って彼女――吉澤ひとみは組んでいだ脚をほどき、これ見よがしにブンブンと振ってみせる。
吉澤の脚は膝から下に向かうにつれ段々と色を失って透き通り、くるぶし辺りまで来ると
完全に空気に溶け込んだかのように見えなくなっていた。
その全身もよくよく見れば淡い燐光に包まれており、常夜灯しか点けていないこの部屋の中で、
その体の輪郭は蛍火のように微かな輝きを放っていた。

「ほらあれだ、守護霊みたいなもんだと思ってよ」
守護霊というよりも自縛霊じゃないですか、とつい軽口をたたきかけて、里沙はあわてて言葉を飲み込む。
吉澤の死の原因――藤本美貴、いやミティの裏切り――に里沙は直接絡んでいなかったとはいえ、
自分がダークネスと通じている以上、彼女の死に責任が無いとはとても思えなかったから。

ほぼ即死の状態でリゾナンダーの本拠地に運ばれてきた時そのままの、今の吉澤の服装。
ジャケットの下に着たシャツの胸許があの時のように鮮血に染まっていないことだけが、
里沙にとってはせめてもの慰めだった。


「守護霊なんだったら、ずっと愛ちゃんのところにいてあげればいいじゃないですか」
代わりにそう返すとほぅ、というように吉澤が片眉を上げた。
「知ってたんだ」
「愛ちゃん喜んでましたよ。『よしざーさんが夢に出てきてくれた』って」
夢じゃないんだけどなぁ、と吉澤は軽く苦笑いする。
「ま、可愛い後輩たちを草葉の陰から見守るくらいしかできないからね、今となっては。
この足じゃフットサルもできやしないし」
そう言って吉澤は、やれやれ参っちゃうよと大げさに首を振って再度ひとしきり笑った。

里沙はそれには応えずに、そのまま視線を落とす。
押し黙ったまま自分の膝を見つめ――少しして、俯いたままポツリと口を開いた。
「どうして愛ちゃんに言わなかったんですか、私のこと」
笑うのを止め、吉澤は里沙を見つめる。
口許にはまだ笑みを残していたが、そのまなざしは何を考えているのか分からないくらい、
ただ静かな光をたたえていた。

死んでこの世の人間とは異なる存在となった今となっては、全ての真実を吉澤は知っている。
里沙が実は、ダークネスの間諜であるということも。


「言えばよかったじゃないですか、新垣はダークネスの手先だって。
リゾナンダーの情報を敵に洩らしてる裏切り者、って」
膝に乗せた里沙の手に、思わず力が入る。
「みんなのことが心配なんだったら、どうして黙ってるんですか?」
「……言わないよ、あたしはね。
ガキさんが黙ってるのに、あたしがバラすわけにはいかないじゃない?」
当然のこと、とでもいうような吉澤の口調。

「命令さえあれば、私はいつダークネスのリゾナンダー襲撃を手引きするかもしれないんですよ?
なんでそんな呑気なこと言ってられるんです!?」
覚えず、里沙の口調は強くなる。
顔を上げて真っ向から吉澤を睨みつけた。
「私がリゾナンダーを壊滅させることになってもいいんですか?」
「ガキさんが、そうするのが正しいと考えたのなら」
静かに、だがはっきりと吉澤は宣する。
リゾナンダーの前リーダーとも思えぬその言葉に、里沙は一瞬息を飲んだ。
「本気で、言ってるんですか」
「勿論」
吉澤の真意を、里沙にはその表情から読み取ることができない。

「……じゃあ、何で吉澤さんは私の前にわざわざ何度も姿を見せたりするんです」
気を取り直して里沙は続ける。
「私のこと、憎いんじゃないんですか?さっさと呪い殺すなり何なりすれば、
それで済むじゃないですか。
いい加減にして下さい!私の前になんかもう出てこないで下さいよ!!
そんな暇があるんだったら一思いに私のことを」
「ガキさん」
強い鞭をビシリと鋭く打ち据えたかのような、吉澤の一喝。
瞬時にして里沙は気圧され、そのまま黙りこんだ。


「……死にたいの、ガキさんは」
「そんな――」
一転して口調を穏やかにした吉澤に対し、里沙は言葉を詰まらせる。
そんな訳無いじゃないですか、と返そうとし、けれども言葉を続けることが出来なかった。


こんなところで死ぬわけには行かない。自分には果たすべき任務があるのだから。
ダークネスに刃向かう組織リゾナンダーを内側から監視し、メンバーの――ことに高橋愛、i914の――
動向を逐次伝える。
各員の能力、特性、戦闘記録、性格や思考傾向に至るまで、事細かに。
全てはダークネスのため、そうして誰よりも敬愛するあの人の……≪天使≫の二つ名を持つ、あの人のために。
そう信じてきた。いや、それは今でも変わらない筈だ。

そして自分が潜入した、敵対組織リゾナンダー。
集まればいつも賑やかで騒がしい、時にひどく手の掛かる、それでいて敵に対する時には
抜群の団結力をもって戦う、リゾナンダーのメンバー達。
これだけ長いこと一緒にいればさすがにそれなりの情も湧かないでもないが、それはあくまで上辺だけのもの。
彼女らを欺く為の仮初めのものに過ぎない。
そう信じてきた。つい十日ほど前までは。



あの夜、小春の能力を試すために自ら掛かった“幻術”によって見せられた、里沙の裏切りを責めるリゾナンダー達の幻影。
それによって、里沙は気付かされてしまったのだ。
いつの日かリゾナンダーへの裏切りが知れることによって彼女らに失望され、彼女らに見放されるのを――
彼女らを失うことを自分は恐れている、ということに。

しっかり者のサブリーダー。仲間思いの頼れる良き先輩であり同志。
それらは全て、彼女らを利用するための偽りの姿。
全てはダークネスとしての使命を果たすため。例え何があろうと、彼女達に心を動かされることなどありはしない。
そう思い定めてきた筈だった。
 ……だがそんな心の仮面は、こんなにもあっけなく外れてしまった。


失いたくないと心の奥底で願ってしまうほどに、いつの間にか自分の中でリゾナンダー達の存在は
大きくなってしまっていたのだろうか?
あの人に――安倍さんに軽蔑され、見捨てられることを恐れるのと同じくらいに。
それとも、それ以上に?



その考えが、里沙の心にぞくりと冷たい刃のような恐怖を突きつける。
ダークネスの一員となってからずっと慕い憧れてきた、自分にとっては命の恩人にも等しい彼女。
あの人の為ならこの命も最後の血の一滴まで捧げると、裏切り者の汚名だって甘んじて受けると、そう誓ったはずなのに。
どうして今彼女の笑顔を思い浮かべようとすると、そこに愛や他のリゾナンダー達の笑顔まで重なってきてしまうのだろう?

何故自分の気持ちは、こんなにも揺らいでいるのだろうか。
他人の意思すら操りうる力を持っている筈の自分の心が、今わからない。
わからないことが、何よりも恐ろしかった。

ダークネスへの忠誠、安倍さんへの思慕。リゾナンダーへの愛着、共に戦ってきた者たちへの思い。
一体自分は、どれを取ればいい?
使命と絆とは絡み合う鎖となり、幾重にも里沙を縛り苦しめる。
 ……けれどもその狭間で狂気に堕ちることすら、自分には許されていない。
任務を途中で放棄することは、決してあってはならないのだから。


暗闇の内で絶望の声なき声で叫ぶ中、里沙の心はふと一つの考えに至る。
どちらをも片方を選び取ることが出来ないのなら、せめて。
自らに手を下すことも出来ないのならば――そう、例えば戦闘の中で。
使命を全うして命を落とせるのなら、それがいちばん良いのではないか?
そうすれば自分はもうこれ以上、大きすぎる選択を前に悩まずに済むのだから。

思い至り、里沙は吉澤を哀願の眼差しで見つめる。
生前強大な攻撃の能力を持っていた吉澤に、自分に最後の安楽をもたらしてもらうべく。



吉澤は、そんな里沙をしばし見つめる。
一瞬、憐れむような哀しみの表情がその顔をよぎり、それから静かに首を振った。
「今のあたしには、ガキさんをどうこうする力は無いよ。
もしあったとしても、そんなことはしないけど」
「何故、ですか」
何故って、と吉澤は穏やかに微笑みながら応える。あたしはもう、死んでるんだから。

「死んだ人間ていうのは、基本的にこっちの世界とはもう無関係の存在だからさ。
生きてる人間に関わったりとか、ほんとはあんまし出来ないっぽいんだよね」
「でも、吉澤さんは」
「うーん、そうなんだよねぇ。
何でかよく分からないけど、まぁ折角こうやって姿見せれるんだし?
アレだよ、テレビで野球とかサッカーの中継を見てたら、つい声援送ったり野次飛ばしたりしたくなるようなもんでさ。
まったく、さっさと成仏すればいいものをねぇ」
クスリと笑って、吉澤は続けた。
「……といったところで、いつまでこうしていられるのかも分かんないんだけど、さ」

言って吉澤は、椅子に坐ったまま身体をパソコン机の方に向ける。
キーボードの側に置いてあった飲みさしのグラスへ何気なく手を伸ばし掴んだ――正確には、掴もうとした。
吉澤の指はグラスに掛かることなく、そのまますり抜けていく。
その様子を吉澤は、ひどく冷静な眼差しでじっと見つめた。



「もしかしたら、こんな姿のあたしが何を言っても、意味なんか無いのかもしれない。
 ……それでも、苦しんでる姿を見て何もしないなんて、あたしには出来ない」
そうつぶやいて吉澤は、里沙を振り返った。

「今のあたしには、ガキさんにどうしろなんてことは言えない。
もしガキさんがダークネスに最後まで従うというのなら、それでも構わない。
けれどどうかその決断だけは、ガキさんが自分で納得がいく形で下してほしい。
どんなに辛くても……ガキさんはまだ、自分の道を選択することが出来るんだから」
選択、と里沙はつぶやく。
その選択をせねばならないこと自体が、今の里沙には苦悩の元であったのだけれど。

「たとえどちらを選んでも、ガキさんはその選んだ先の人生を生きることができる。
それが結果的に間違った選択だったとしても、どんなに後悔することになったとしても、
それでもそこからまたやり直すことだってできる。
 ……あたしはもう、この世界に自分が直接関わることはできない。自分の道を選ぼうにも、もう道は無いんだから。
今のあたしには、みんなのことを見守ることしかできない。
ガキさんのことも、高橋のことも、……美貴のことも」

最後の名を言うときも吉澤の表情はあくまでも穏やかで、自分の命を奪った相手に対する恨みの感情はどこにも見られなかった。
「藤本さんの、ことも?」
ミティという今の名を、里沙も敢えて口にはしなかった。
「彼女が彼女なりに考えて、ダークネスに付くと決めた。
そうするだけの理由が美貴にはあったんだから、あたしはそれを責めはしない」
少し黙った後、吉澤は苦笑めいた表情でボソッと付け加えた。
「――馬鹿だ、とは思うけど」


何を言えばいいのか決めかねて黙り込む里沙に、吉澤は軽く微笑みかけた。
「……ガキさんは、まだ生きているんだから。自分で決着を付けないうちに、死ぬのはダメだよ。
死んじゃったら何もかも、全部終わっちゃうんだからね」
死んだら全て終わり。月並みな言葉だ。
だが吉澤がその言葉を云う意味を、里沙は理解した気がした。

吉澤は今もまだ、戦っている。
里沙とはまた違った意味で孤独な――そして恐らくは勝ち目の無い、戦い。

「ダークネスに最後まで従うか、リゾナンダーとして戦うか。
最後までよく考えて、自分の心と戦い抜いて、自分で自分の道を切り開きなさい」
分かりました、と里沙は吉澤に頷いてみせた。

リゾナンダーでの吉澤は、普段はおちゃらけているようであってもその実は誰よりも強く、厳しく、そして心優しいリーダーであった。
たとえ敵対する組織に所属していても、そして吉澤が死んだ今となっても、里沙にとっての吉澤はやはり
尊敬すべき先輩、なのかもしれなかった。


「さて、と。ちょっと長居しちゃったかな。
ガキさん、お風呂でもシャワーでもいいから行っといでよ」
椅子から立ち上がり、吉澤はそう促した。
「体を温めた方が、よく眠れるよ」
「――ハイ」
思わず素直に返事をしてしまう。
それが、もう二度とその身体が温かくなることの無い人の言葉だったから。
「何なら、背中でも流そうか?」
「……そんなこと言ったって、出来ないじゃないですか吉澤さん」
「あーバレた?」
スポンジ一つ持てないなんて幽霊ってのはホント不便だよなーと、吉澤はケラケラと笑ってみせる。
つられて里沙も、こわばっていた頬がついゆるむのを感じた。

里沙はベッドから立ち上がり、バスタオルと寝間着を取って浴室へと向かった。
その背に掛けられる、吉澤ののどかな声。
「あーそうそう、寝る前にはちゃんと歯ぁ磨けYO!」
「もぅ、分かってますっ!」
里沙は思わず振り返り、そう叫び返した。
――声の先には、空になった椅子だけがぽつんと残されている。
現れたときと同様唐突に、吉澤の姿は消え失せていた。


耳に痛いほどの静寂が、室内に戻ってくる。
里沙は少しの間その椅子を見つめ、再度小さくため息をついて一人浴室へ向かった。
シャワーの蛇口をひねり、湯温が上がるまでしばし待つ。
浴槽の底を叩く水の流れを、見るとなく見つめた。

ダークネスのスパイとしての自分。リゾナンダーのサブリーダーとしての自分。
一方と対するとき、もう一方の自分を出すことは出来ない。それは常に隠してないといけない。もう一つの自分を、相手に悟られないように。
両方の自分を出すことが出来る相手が既にこの世の存在ではない吉澤だけであるというのは、何という皮肉だろうか。
 ……それとも、救いなのだろうか。

気がつくと、浴室には既に湯気が満ちていた。
里沙は着衣を脱いで脱衣所へ放り、そのまま浴槽に入った。
即座に無数の水滴が、里沙の体を包み込む。
その思いがけないほどの温かさに、自分の体が思っていた以上に冷え切っていたことに今更ながら気づかされた。

目を閉じたまま顔を上げて、里沙はシャワーの水勢を強めた。
全ての苦悩と葛藤を、たとえつかの間であっても押し流そうとするかのように。




















最終更新:2012年11月25日 09:58